終わりなきピースラン 三遊亭楽松師匠の長崎〜広島ピースラン・サポート記 2004年8月9-15日 |
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■ 8月11日 佐賀〜博多 | ||||||||||||||||||||||||
初日(8/9)は長崎を昼過ぎにスタート、大村まで約30km、到着は21:30。二日目、大村〜佐賀66kmはさすがに時間がかかり、23時近くにゴールしたとのことだった。
三日目、佐賀〜福岡55km、なかなかペースが上がらないようで、予定どおり鳥栖で合流することにした。 13時に仕事を終え、特急に飛び乗り、14時過ぎ鳥栖に着いた。あまりの暑さに眩暈がした。鳥栖ICまでわずか3km程度走っただけで草臥れ果ててしまった。この日の最高気温は36℃、おそらくアスファルトの上は40℃くらいになっていたのではないだろうか。鳥栖からは峯啓子さん、山本哲也さんと自分の3人が併走、江口裕さんが車でサポートしてくれた。 久しぶりに会った師匠は真っ黒に日焼けし、頬がこけ、精悍な顔つきになっていた。それに対して足はパンパンに腫れ上がっていた。オーストラリアからの距離は既に400kmを越え、足が腫れるのも無理はない。加えてこの猛暑、日が高いうちは走れるような状態ではなかった。 それでも日が傾くにつれ徐々にペースが上がり、併走者が置いていかれるような有様だった。どこにこれだけのパワーが残っていたのか、驚きである。 最後は松尾さん、スーツ姿の原田さんも加わり、ゆっくり歩いて、21時過ぎ博多に到着した。風呂に入ってから師匠と明日の打合せ、その後二升瓶へ飲みに行った。 |
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■ 8月12日 博多〜門司港 | ||||||||||||||||||||||||
この日は門司港まで77-78kmという長丁場。それをサポートするのは田中行広さんただ一人。自分は仕事があるため、師匠の荷物を持って一旦黒崎に戻った。予定では夕方黒崎で合流し、前村やよひさんも加わって3人で併走し、門司港で東京組にバトンタッチすることになっていた。
しかし今日もこの夏一番という猛暑、師匠もかなり足が痛いようでペースが上がらないと田中さんからTelが入った。そのため車に飲み物と氷を積み、昼休みに二人を捜しに出かけた。エアコンが効かない。外気温は37-39℃に達していた。 ようやく東郷で二人を見つけた。博多と黒崎の中間点をちょっと過ぎたくらい。二人とも元気そうだったが、このペースでは深夜かなり遅いゴールになりそうだった。東京組の城定さんに連絡を取ったら、観光を切り上げて九州にすっ飛んでこられた。そして腫れ上がった師匠の足に合わせてやや大きめの靴を買い、師匠達と合流された。 |
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18時前、前村さんが来た。しかしいつまで経っても師匠達が着かない。心配になってTelを入れた。あまり遅くなるならワープも考えた方がいいのではと言ってみたが、一人で走り通すという師匠の意志は固かった。そこで車で迎えに来てもらい、19時過ぎ、陣原で合流して併走を開始した。
20時過ぎ、黒崎・病院前を通過。約3km毎に休憩を取りながら門司港へと向かった。博多から引っ張ってこられた田中さんとは八幡駅で別れた。夜になっても蒸し暑い。休憩の度に師匠の足を冷やしたが、腫れは引かない。かなり辛そうで、特に小倉北区清水とJR門司駅手前の陸橋では、階段を後ろ向きに下りられていた。痛々しいが、目だけはしっかり前を向いていた。そして昨日と同様、ゴールが近付くにつれ、ペースも上がってきた。慌てた併走者が転ぶ始末。そして0:45、17時間かけて門司港に到着した。 |
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■ 8月13日 門司港〜防府 | ||||||||||||||||||||||||
長崎〜広島の中間点を過ぎ、いよいよ本州入りである。この日から東京組がサポートされる。門司港〜防府、防府〜岩国、いずれも75kmという長丁場で、防府にはAM2:20着、岩国着はAM1:25。疲労・睡眠不足も蓄積し、かなり厳しい状況だったようだ。
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■ 平成16年8月15日 岩国〜広島、そして | ||||||||||||||||||||||||
足の痛み、疲労、睡眠不足にも負けず広島を目指す楽松師匠。いても立ってもいられず、師匠達に会いに行った。土砂降りの高速を飛ばし、AM10時、広島県大竹市に到着。岩国側に少し戻ったところで師匠達と合流した。
小雨が降り、走りやすいようだった。パンパンに腫れ上がった師匠の足だったが、不思議と腫れが引き細くなっていた。最終日という余裕もあるのか、穏やかな表情だった。ここから大野町にかけて約2時間、車で併走したが、快調な走りだった。 11:50、大野町役場近くに到着。正午、終戦記念のサイレンを合図に全員で黙祷を捧げた。このまま一緒に広島まで走りたかったが、予定が入っていた。楽松師匠のカウラ〜シドニー330km+長崎〜広島ピースラン470kmのウソ800km無事完走を祈り、握手をして別れた。 そして8月15日17:02にゴールしましたと連絡が入った。 H17年3月、三遊亭楽松師匠から手紙をいただいた。そこには「恒久平和にゴールはありません。未だにピースラン走り続けています」、と書かれていた。 |
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