長崎〜広島ピースラン2008 レポート
2008年8月9-15日
■ 長崎〜広島ピースラン
 8月、今年も真夏恒例のイベント、ピースランの時期がやってきた。2004年に始まった長崎〜広島ピースランは今年で5年目。当初、一緒に走ったメンバーは少しずつ離れていき、それでも毎年師匠は走り続けている。慰霊のための広島〜長崎リレーマラソン、そして長崎が最後の被爆地となることを願って。
 戦後生まれの自分は広島にも長崎にも縁はなかったが、実家は北九州市の小倉。実は長崎に投下された原爆の当初の目標は小倉だった。前日、八幡大空襲があり、その煙で投下目標が視認できず、長崎に投下されたとされている。ピースランの単なる通過地点ではない。
 そんなこともあって時間が取れる限り一緒に走り、またサポートしてきたが、昨年は富士山に出かけて初めて不参加。今回は2年ぶりである。過去3回、一緒に走った区間は鳥栖〜博多、赤間〜門司港、門司港〜山口市、防府〜欽明路、仕事を休むわけにいかないのでなかなか全部がつながらない。長崎〜広島のピースランなのに、長崎をスタートしたことも広島にゴールしたこともなかった。幸い今年は8月9日が土曜日。11時2分、長崎平和公園ゴールでリレーマラソンが終わり、午後スタートする師匠には間に合わないが、夕方スタートすれば大村で仮眠する師匠に追いつけるかもしれない。ということで、今回初めて、長崎からスタート、師匠を追って佐賀まで走ることにした。
8月9日・長崎→大村    8月10日・大村→佐賀    8月12日・赤間→黒崎
楽松師匠のメッセージ “恒久平和にゴールはありません”
8月9日11時2分 浦上天主堂跡で黙祷。
その後 長崎平和祈念公園 平和の像から
8月15日正午 広島平和記念公園 平和の灯へ 平和から平和へのピースラン。

人類最初の被爆地 広島は 不変です。
人類最後の被爆地 長崎を 不変にするのは私達です。

今年で5年目。長崎から広島へ。ランパン ランシャツ で 武器も防護服も無く
無防備で走れる平和の有り難さに感謝し走ります。
無防備で ランパン ランシャツ で 走れる 幸せ 平和。

8月8日 北京オリンピック 平和の祭典 オリンピック の 聖火 聖火リレー。
中国のチベット弾圧に 長野 善光寺 の 聖火リレースタート地の回避。
聖火リレーが 厳重な警備の中でのラン。

ランパン ランシャツ で 無防備 で 走れる 平和 に 感謝。
ピースラン。 走ります。
走って 何に 成るの? 走って 平和に 成るの?

走れる 事が 平和の 証しです。
恒久平和にゴールは有りません。
ブログ『走る落語家 三遊亭楽松の人生放浪記』


■ 8月9日 ピースラン1日目 長崎〜大村 40km
 長崎〜広島ピースランも回を重ねるにつれ、師匠なりのペースができつつある。以前は前もって全ての宿を決めていたが、超ロングのマラニック、なかなかスケジュール通りには進まず夜中に到着、早朝スタートということがざらで、そのためかえって無理するようなところがあった。昨年あたりからか、宿は決めず、その時の進み具合で適宜休憩・仮眠を取るようになった。そしてペースは時速5km。
 長崎をスタートして約40km、大村が最初の仮眠地点となる。遅れて夕方にスタートしても大村で何とか追いつけるだろう。なごやんさんから参加表明があり、9日18時、一緒に長崎平和公園をスタートしようと決めた。
 仕事を終え、14時、長崎へと向かう。西の空に真っ黒な雲が見えた。そして赤間付近から雨が降り出した。師匠は雨に降られているかもしれないなぁと思っていたが、その雨のため、とんでもないアクシデントに遭う。
 荷物は少ない方がいい、佐賀駅で一旦降りて、明日泊まるホテルに着替えなどの荷物を預けた。駅に戻ると、激しい雷雨となった。16:01の特急に乗る予定だったが、落雷で長崎線が止まってしまった。結局、長崎行きの特急は2時間13分遅れ、17:23到着予定が19時半を過ぎてしまった。2時間以上の遅れで全額払い戻しになったが、時間に余裕が無くなった。
ピースラン1日目:北九州〜長崎

西の方から真っ黒な雲が(黒崎駅にて)

落雷(佐賀駅にて)
 19時半、長崎駅でなごやんさんと合流、路面電車で松山町へ、そして20時、長崎平和公園着。
 平和祈念像前では慰霊祭が行われ、多くの人でごった返していた。予定より2時間以上遅れて20:15、長崎平和公園をスタートする。まずは隣の爆心地公園へ。こちらはひっそりとしていた。2時間以上遅れてのスタートとなったが、AM1時から2時くらいには大村に着くだろう。大村で少しは仮眠も取れそうだと思ったが、師匠にTelしたら、既に大村に着き、一眠りして、AM2時にスタートするという。涼しいうちに距離を稼ぎたいのだろうが、それだとこっちは寝る時間がない。とにかく急ごう。
 長崎の町中はまだまだ暑く、ちょっと走れば汗が噴き出してくる。長丁場なので、ゆっくり、かなり抑えて走る。長崎駅前を過ぎ、桜町で右折、中島川にぶつかったところが眼鏡橋。中島川にはこの眼鏡橋を始め、いくつもの石橋がかかっている。その中島川に沿って走る。八幡町付近では何箇所かで精霊船を作っていた。
 R34号を日見バイパスへと上る。本河内トンネル・新日見トンネルと長いトンネルが続く。中に入るともの凄い熱気で気分が悪くなった。早く抜け出したい、少しペースが上がった。トンネルを抜けると一気に気温が下がった感じ。長い下りを一気に下り、矢上町のコンビニで休憩。
 結構飛ばしたので疲れた。かなり汗もかいた。ポカリと水を交互に摂りながら走ったが、足をつりそうになった。なごやんさんに付いていくのが辛くなってきた。諫早IC先のコンビニで休憩、うどんを食べ、芍薬甘草湯を飲み、足にはナパゲルンを塗った。20分ほど休んでスタートしたが、さすがにペースがガクッと落ちた。
 諫早の市街地を抜け、鈴田峠へ。星がきれいで、天の川も見える。半分歩いて、1時半頃鈴田峠に着いた。大村までは5-6kmというところ。風が気持ちよかったので、一眠りした。ゆっくり寝たかったが、そこに師匠から、そろそろスタートしますとTelがかかってきた。寝たのは5分くらいだっただろうか、渋々起きあがり、師匠を追ってスタートした。
ピースラン1日目:長崎

20時過ぎ、長崎平和公園着

長崎平和公園での慰霊祭

ひっそりとした爆心地公園

眼鏡橋
■ 8月10日 ピースラン2日目 大村〜佐賀 75km
 師匠に起こされ、AM1:45に鈴田峠を出発。師匠が休んでいた大村のサウナ前を2時半頃に通過した。師匠からは時速5kmで歩いていると連絡が入っていた。40分差と言うことは、3-4km先にいる計算。ちょっと走れば追いつきそうだが、なかなか追いつけない。腹が減ってコンビニで軽く食べたりビールを飲んだりしていると、アッという間に15分、20分経ってしまう。焦って途中で連絡したら、1km差くらいに迫っていることがわかり、ホッとした。
 4時、少しずつ東の空が明るくなってきた。5時過ぎ、間もなく東彼杵IC。ここから俵坂峠への上りになるが、まだ師匠に追いつけないでいた。その東彼杵IC手前、ふと東の空を見上げると、素晴らしい朝焼け。その反対、大村湾側を見ると朝焼けの空に虹。よく見ると、外側にもうっすら虹が見える。そしてその色は、朝日が当たって赤味を帯びて見えた。普通は夕立がザーッときてその後に虹というイメージ。朝焼けと虹というのはもちろん初めてだった。立ち止まって何枚も写真を撮った。この直ぐ近くで師匠も虹を眺めていたらしい。
 虹を眺めながら、コンビニで朝食。汗もかいたしビールと麺類、と思ってコンビニに入るのだが、どこのコンビニも冷房が効きすぎている。買い物している間に体が冷えてしまい、結局ビールは買わず、熱いカレーうどんを買ってしまった。食べ終わってそのまま地べたに横になってちょっとだけ寝た。
 東彼杵のコンビニを出て、俵坂峠へと向かう。延々7kmの上りが続く、長崎〜佐賀間の一番の難所。食べ終わって直ぐなのでしばらく歩いた。町中からはずれているせいか、いくらか涼しく感じられた。歩いて走って歩いて走って、峠まで1kmの坂本郷。自販機で給水、しかしなごやんさんは止まらず、そのまま走っていってしまった。なごやんさんは、嬉野を過ぎたところで無事、師匠と合流したようだ。
 先が長いので無理して追いかける必要もないと思ったが、一人になって急にペースが落ちた。7:40に俵坂峠を通過、嬉野温泉への下りも休み休み走って8:20、嬉野温泉着。R34号線から温泉街へと右折して、「シーボルトの足湯」に寄り道。足湯に足を浸けて、汗びっしょりの下着とランパンを着替えた。少しさっぱりしてスタート。
 嬉野から武雄市に入った頃から雲が消え、暑くなってきた。ようやくいつものピースランらしくなったが、さらにペースが落ちた。コンビニで缶ビールを買う。ちょっと前に同じ格好の人が行きましたよと言われた。2kmくらい先にいるとわかり急に元気が出てきた。東川登町の亀水交差点から旧道越えで武雄市街へ、R35号に入り、R34号との合流点で、ようやく二人に追いつき、11:15、武雄温泉駅着。駅近くの店、「おっちゃんの店」で昼食休憩1時間半、ちょっと休みすぎた。
 外に出ると、強い日射しにめまいがした。おそらくこの日、水分は10L以上摂ったと思うが、飲んでも直ぐ汗となって出ていく。頭も痛い、フラフラ蛇行する、軽い熱中症か。おまけに睡魔。きつくて武雄北方IC手前のコンビニで休んでいたら、山口さんが差し入れのスイカを持って来てくれた。ありがたい。
 しかし歩き出すと直ぐまた睡魔に襲われ、蛇行し始めた。前方には大きな入道雲、一雨欲しいが、その願いもむなしく、雲はだんだん薄くなっていった。結局、睡魔には勝てず、師匠には先に行ってもらい、なごやんさんとともに北方駅のベンチで横になった。15分くらい寝て、15時、北方駅をスタート。佐賀まで残り20km、ちょっと時間的に厳しくなってきた。走れないことはなかったが、かなり遅れそうだった。16:23、肥前山口駅着、ここで走るのを止め、佐賀まで電車でワープすることにした。走行距離97.6km、所要時間20時間8分だった。
 佐賀駅前のホテルにチェックイン、風呂に入って、鮮食工房まんざいへ。楽松師匠は無事ゴールされ、翌日のランナー、佐藤先生・柳川さん・熊本さんも加わって打ち上げ。
ピースラン2日目:大村〜佐賀

朝焼け(東彼杵IC付近)

朝焼けと朝日に照らされた赤い虹
(東彼杵IC付近)

俵坂峠まであと1km(坂本郷)

嬉野温泉の足湯・シーボルトの足湯

山口さんからありがたい差し入れ(武雄北方IC付近)

一雨欲しいが、、、(北方駅手前)

佐賀市内で打ち上げ

翌日の伴走者にバトンタッチ

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■ 8月12日 ピースラン4日目 福岡〜赤間〜北九州 78km
 11日、ピースラン3日目は佐賀から福岡まで。途中、かなり雨に降られたそうで、雨宿りしながらだったらしい。
 12日、ピースラン4日目。この日は福岡から北九州までで、途中から北九州ウルトラRCのメンバーが合流することになっていた。昼休み、クーラーに冷たいタオルや氷、飲み物を入れて、車でサポートに向かう。Telしたところ、古賀にいるとのことだったので、高速で古賀ICへ。ICを出て、R495号から旧3号線へ。しかしなかなか見つからない。福間〜東郷を行ったり来たり、ようやく14:20、通り堂交差点で師匠と二升瓶の大将、走るウルトラ飲兵衛氏の3人を見つけた。ゆっくりサポートしたかったが、午後の診察があり、一旦病院に戻った。この後また、土砂降りになったらしい。
 診察終了後、北九州ウルトラRCの西田さんと遠賀川駅へ。走るウルトラ飲兵衛氏は遠賀川から家に帰り、西田・大庭さんが師匠と走った。20時過ぎ、遠賀川を渡り、21時過ぎ、則松。ところが途中から再び土砂降りとなった。どこかで雨宿りしてらしく、3人が黒崎駅前に着いたのは22時過ぎだった。ここから小倉まで12.5kmだが、土砂降りで雨宿りしたりでは、到着が何時になるかわからない。結局この日は黒崎で止めることになり、コンビニで夕食を買って、師匠を連れて家に帰る。そして師匠は仮眠。
 2時半に師匠を起こし、黒崎駅に戻る。そして13日午前3時、師匠は防府へ向かってスタートされた。
ピースラン4日目:福間〜北九州

東福間でようやく発見

初めての全行程TV取材(東海TV)

遠賀川駅で走るウルトラ飲兵衛氏と交替

遠賀川を渡る

3号線則松付近、この後、土砂降りに
■ 平成18年8月15日 広島
 雨に祟られた今回の長崎〜広島ピースランだったが、師匠からは15日11時53分、広島平和記念公園にゴール、正午に黙祷したとメールが届いた。

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