今から1年前のGW、初ウルトラのサロマ湖に向けて峠越えで64kmのマラニックを敢行した。暑い日だった。こんな日に萩往還を走っている人は大変だろうと思っていたが、まさか1年後に自分が萩往還250kmを走ることになろうとは思いもしなかった。
1月、クラブの新年会で250km挑戦を宣言、140kmも走ったことがないのにいきなり250kmにエントリーした。 その前哨戦ということで2月の大村湾UM160kmに出て無事に完走。 それに気をよくして臨んだ萩往還マラニック250kmだったが、甘くはなかった。海沿いから山の上まで起伏に富んだ難コースに、10箇所のチェックポイントが絶妙に配置されている。0泊3日で二度の夜を迎える。突然襲ってくる睡魔。おまけに今回、三日間雨の降らなかった日はなく、足は今まで経験したことのないダメージを負った。 完踏したものの、体はボロボロになった。このままでは引き下がれない。来年再び250kmに挑戦しようと思い始めた。 |
■ 平成16年1月〜4月 萩往還マラニックに向けてのトレーニング | |||
1月 255.0km
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萩往還250kmにエントリーしたものの、250kmという距離に実感が湧かない。月間の目標を300kmとしたが、風邪を引くなどして初っぱなから目標を下回ってしまった。 | ||
2月 410.6km
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萩往還の前に一度100km超・夜間走を体験しておこうと思い、大村湾一周UM160kmにエントリーした。萩往還前哨戦として、バックパックを背負い、ヘッドランプもつけて走った。 この時はかなり調子も良く、時間内に完走できた。初めて月間400kmを越えた。 |
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3月 302.5km
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しっかり走り込まないといけない月なのだが、大村湾の反動か、いろいろゴタゴタもあって走ろうという気力が失せた。 下見ランも計画していたが、それもしなかった。 |
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4月 313.8km
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風邪で寝込んだこともあり11日しか走れなかったが、萩往還を意識した長い距離の練習が多く、走った距離は先月を上回った。 4/4 さが桜マラソン+三瀬峠越え 70km
4/19-20 麻生林道ナイトラン 57km 4/27 遠賀〜玄海マラニック 45km |
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■ 平成16年4月30日 準備 | |||
地図
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直前の4/30になってようやくコースの確認に取りかかった。大会事務局から送られたコース図をPCに取り込み、コースをたどっていきながら一目でわかるようにコースに色を付け、さらにクニさんのコースガイドを貼り付けていった。250kmのコースを頭に入れるのは容易ではなかった。 関門時間も地図に記入しておいたが、ペース配分・到着予定時間などは考えないことにした。長時間のレースなので、時間を設定しても意味がないように思えた。 |
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装備
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荷物はGregory Reactorに入れて背負うことにした。リザーバタンクをつけたので、水を入れたらこれだけで1kgを越える。 必需品のLEDヘッドランプと予備の電池・ライト、デジカメ、小銭、携帯電話に加え、雨という天気予報だったのでウインドブレーカー上下とカッパ、予備の靴下も入れた。緑十字をつけることになったので胃薬4種類・鎮痛剤の他に痛み止めの塗り薬も数本持つことにした。クエン酸・アミノ酸顆粒、ブドウ糖ゼリーも持った。初めてで不安だったので、あれもこれもと、かなり荷物が多くなってしまった。水を入れた状態では、重量2kgを超えていただろう。 |
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靴
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前半宗頭までをアシックスのGEL-KAYANO X、後半がGEL-1080MILLE。いずれも玄海100kmや大村湾160kmなどで履き慣れている。最後の往還道はアップダウンの激しい悪路なので、かなり重たいが安定感のあるGEL-KAYANO Xで通した方が良かったかもしれない。 | ||
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1月〜4月 説明会 5/2:瑠璃光寺〜豊田湖 5/3:豊田湖〜宗頭 5/4:宗頭〜瑠璃光寺 懇親会 レース後の体 |
平成16年5月2日 いざ山口へ |
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4/30は徹夜でコース図を作っていたので、翌日は十分眠れるかと思ったが、緊張でなかなか寝付けなかった。
当日はAM8時起床。AM11:30に車で出発、北九州URCの高津会長・前村さんを拾って山口へ向かった。出発したときは晴れており、三日間雨にたたられようとは思いもしなかった。 1時間半ほどで山口着。瑠璃光寺で受付を済ませ、荷物置き場の木町集会場へ向かう。参加者が多いためか、荷物で足の踏み場もなかった。 |
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15時から県警武道館で説明会。これを聞かないと萩往還が始まらないと言う「小野節」と、コースの説明などで1時間ちょっとかかった。説明会のあとUMMLerの記念撮影に加わる。
集会場に戻って装備の最終チェック。途中の着替えと靴は宗頭だけに預けることにした。尾形さんやドンガメオーさんも到着し、そろそろ瑠璃光寺に向かおうという頃から小雨がぽつぽつと降り出した。 |
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会場に着いて多くのUMMLerに会った。九州以外のUMMLerとは殆どが初対面で名前がわからない人も多かったが、UMMLer
Tシャツを見つけては、あちこちで記念撮影をした。
日医ジョガーズ・中村集さんにも会え、医療関係者の目印である緑十字を見せてもらった。その後、小野大会委員長に挨拶し、その緑十字のバッジを受け取った。自分が倒れた時はどうしよう。 |
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山口・瑠璃光寺→上郷駅→下郷駐輪場→西寺→豊田湖 | |||||||||||
0.0km 萩往還マラニック250km−第3ウェーブスタート 18:10 |
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不思議と緊張感はなく、訳のわからないままスタート地点に並び、「エイエイオー」のかけ声とともに18:10、第3ウェーブでスタートした。約50人の集団で、ドンガメオーさん、楽松師匠、松尾志峰さんらが一緒だった。
スタート直後は1km6分くらいの思っていたより速いペースで山口駅から椹野川沿いを走る。時折降る雨はむしろ気持ちいいくらいだった。しばらくして第2ウェーブに追いついた。前村さん、西田さん、松尾さん、渕上さん、野口さんらがいたので走りながら記念撮影。その後再び単独走となったが、背中に付けた緑十字を見つけていざというときに安心だからといって付いてくる人もいる。こっちは初めてで不安なのに。 上郷駅手前でヘッドランプを点けた。快調に走って、最初のエイド、上郷駅13.4kmには難なく到着。 |
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上郷駅を過ぎると次第にばらけて寂しくなってきた。自転車道に入る頃には真っ暗、前後にランナーが見えなくなって不安になり、後続のランナーを待つこともあった。
21km湯ノ口交差点エイドでUMMLerの大友さん、礒本さんらに会い、記念撮影。 しかしその後も基本的に単独走となり、前方のランナーの点滅ライトを見失わないようにしながら走り、27km下郷駐輪場に到着。下郷ではUMMLerのぐびどんさんや、田中行広さんと一緒になった。 |
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田中行広さんと初めて会ったのは昨年の玄海100kmだった。田中さんが玄海100kmに合わせて米子〜津屋崎450kmジャーニーランをされた時で、凄い人がいると感心したものだった。次に一緒になった大村湾でもだいぶ差を付けられた。走力・走歴、実力差は明らかである。そんな方達について走るのは、無謀と言うほかない。
ところが強い追い風に惑わされた。下郷を出て門村交差点を経由しさらに西寺エイドまでの約16km、無謀にもずーっと田中さんについていったのである。あとで田中さんから「いいペースで走る人がいたのでついていった」と聞かされたが、1km6分切るか切らないか位のペースだっただろう。さすがに西寺手前で離されエイドに着いた時は少し疲労を感じたが、この時のオーバーペースが後々大きく響いてくる。 |
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エイドで温かいコーヒーをもらい、ストレッチしながら、少し長めの休憩を取った。そこに北九州URC・高津会長が到着したので、写真を撮ってもらった。
西寺を出発する頃から雨が強くなってきたのでウインドブレーカーを着た。西寺から次第に山の中へと入っていく。スタートして5時間、日付が変わる頃に50km地点を通過したが、この頃から追い風の中、無理した影響が出始めた。特に苦しくなってきたのが、百合野を右折して豊田湖までの急な登り坂。一緒に走っていた人と休まず一気に上ってしまったが、これがダメを押した。 |
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豊田湖のエイドに着いた途端激しい吐き気に襲われ、外のベンチにへたり込んだ。落ち着くまでしばらく店の外でじーっとしていた。中に入ると熱気でまた気分が悪くなり、トイレに駆け込む。吐こうとするが何も出てこない。ここから深夜の山の中、何か食べなくてはと思いうどんをもらってきたが、一口食べてまた吐き気。トイレに駆け込み、出てきて一口食べてまたトイレへ、こんなこと繰り返していたら、食べかけのうどんを片付けられてしまった。きつい。高津会長にも尾形さんにも置いていかれた。後から来たランナーもどんどん出発していく。一人取り残され焦りを感じ始めたが、どうすることもできなかった。
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1月〜4月 説明会 5/2:瑠璃光寺〜豊田湖 5/3:豊田湖〜宗頭 5/4:宗頭〜瑠璃光寺 懇親会 レース後の体 |
豊田湖→海湧食堂→俵島→川尻岬→シーブリーズ→立石観音→千畳敷→青海島・鯨墓→宗頭 | ||||||
落ち着くまで1時間くらい休んでしまった。豊田湖を出発して間もなく、雨足が強くなってきた。ウインドブレーカーの上からポンチョを着たが、休みすぎたこともあって体が冷え切ってしまった。空腹と吐き気と眠気でフラフラする。スピードが出ないので余計に体が冷えてしまう。
後から考えると、今回最大のリタイヤポイントが豊田湖だったように思う。打ち上げの時に尾形さんから、顔が相当青ざめていたと言われたが、真剣にリタイヤを考えそのまま寝てしまおうかと思っていた。序盤、追い風で調子に乗って飛ばし過ぎたのが悪かったと反省しても時既に遅し。残り200kmという距離を考えると、食事が摂れなければ完踏は不可能。しかしリタイヤするには早過ぎる。わずか50km走ったくらいでリタイヤしたら、みんなに何と言われるか。とにかくだましだましゆっくり走り、行けるところまで行こう。とぼとぼ走っていたら、バス停にでも使われていたのだろうか古ぼけた小屋を見つけ、中に入って横になった。雨をしのげるのがありがたかった。 どれくらい寝ただろう、人の気配で目を覚ました。仮眠場所を探すランナーとサポート車だった。リタイヤと間違えられたらまずい。起きあがって走り出した。しかし豊田湖で何も食べられなかったのがこたえてきた。山の中で自販機もない。渇きを癒すのに口を開けて走ったら雨粒が口の中に入らないだろうか、などとバカなことを考えながら走っていた。ようやく大羽山交差点で自販機を見つけ、缶ジュースを飲んだ。これで生き返りやっとのことで俵山温泉着。豊田湖からの8.6kmに1時間半も要していた。 |
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66.0km 俵山温泉 3:43着 |
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ゆっくりしたかったが、エイドにいた海宝道義さんに急かされ、水分補給をしてすぐ出発。ここから砂利ヶ垰までは上りとなる。前方のランナーの点滅ライトを見失わないように走る。その前方にいたのがどうやらクニさんだったようだ。
俵山温泉から約2kmの分岐点、その点滅ライトに付いていき右の方へと登っていった。「右・七重、左・油谷」という標識が出ていたが、何も疑問に思わず付いていった。しばらくして下の方から、「道が違うよ」という声が聞こえた。前方のランナーのことが気になったが、追いつこうにも遠すぎた。そのまま一緒に走っていたランナーとUターンした。正規のルートに戻ってからは一本道、砂利ヶ垰の上りで他のランナーを引き離し、真っ暗で不気味な峠道を一気に大坊ダムへと駆け下りた。大坊ダム手前で白々と夜が明けてきた。 クニさんから油谷に曲がるところを間違えてかなりロスしたという話を聞いたのは、静ヶ浦キャンプ場のエイドで食事をしている時だった。ベテランでも間違える。地図を読みながら走るというのが鉄則なのだが、、、 ※後日、コースを間違えた我々を見つけて声をかけてくれたのは、横田さんと一緒にいた大西さんと判明しました。本当に助かりました、ありがとうございました。 |
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75.8km 大坊ダム 5:12着 |
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大坊ダムエイドでは、いくらか雨が弱まったものの、かなり風が強かった。ここでも元気な横田さんと一緒になった。横田さんとはこの後立石観音付近まで同じようなペースで走ることになった。幸い吐き気も治まって食欲が出てきた。味噌汁で体を温め、ゆっくり休んでスタートする。
大坊ダムからの下りで江口さんの声援を受け元気を取り戻した。しかし新大坊交差点あたりから再び眠気に襲われた。幸い雨が上がっていたので、道ばたに腰掛けてしばらくうとうとした。伊上交差点を右折し、眠気覚ましに自販機で缶コーヒーを買って飲む。 油谷大橋でアムラーグッズの竹上さん・Y子さんと一緒になった。ちょっと声をかけてから、追い越した。その前方には長崎の阿部さん、さが桜マラソンの時にわざわざ長崎から走ってきた人だった。人と話していると眠気も感じなくて済む。江口さんとも頻繁に会うようになった。車で走り回っての応援は実にありがたいことだ。 雨が上がって天気が良くなってきた。しかし夜が明けて眺めが良くなると、自分が向かっているチェックポイントのあまりの遠さにうんざりしてくる。 AM7時前、小田・海湧食堂に着いた。 |
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胃の調子もすっかりよくなり、お粥を平らげた。暑くなりそうだったので水をもらってリザーバタンクに入れ、クエン酸の顆粒を溶かした。そろそろ出発しようかと言う時に西田さんが到着した。
海湧食堂にはリタイヤしたぐびどんさんがいた。リタイヤした仲間と会うのもつらいものだ。そのぐびどんさんに写真を撮ってもらい、スタートした。 |
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ようやく雨が上がり晴れ間ものぞいて暑くなってきたのでウインドブレーカーを脱いだ。向津具(むかつく)という地名の通り、アップダウンの連続に嫌気が差す。そうえいば海湧食堂をスタートする時に江口さんから、ここからアップダウンが続いてきつくなるよと言われていたのだった。農協交差点を左折したところでドンガメオーさんとすれ違った。随分調子が良さそうだが、飛ばし過ぎを注意されたと言っていた。油谷島に入ったところで尾形さんからTel、俵島のCP1に着いたら同じ道を引き返さずそのまま時計回りに島を回った方がいいと教えてもらった。アップダウンはきついが、その分距離が短く、また南側より眺めがいいそうだ。CP1手前で、折り返してきた高津会長とすれ違った。思っていたほど差は付いておらず、少しホッとした。
スタートして約100km、15時間弱、ようやく最初のチェックポイント・俵島に着いて、竹上さん・Y子さんと記念撮影した。 |
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CP1から北側のルートを走る。俵島から川尻岬にかけてが今回唯一晴れたところで、眼下に美しいコバルトブルーの日本海が広がり、立ち止まって写真を撮った。往きのルートと合流したところで渕上さんと野口さんに会った。記念撮影して、時計回りのルートを教えた。
大浦漁港で500mlの缶コーラを購入し一気に飲み干した。農協前を左折して川尻岬へ。暑くなってきたので、リザーバタンクからこまめに給水を摂った。 高津会長と横田さん等から少し遅れて、川尻岬・沖田食堂CP2に到着。だいぶ遅れを取り戻せたようだ。 |
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川尻岬のエイドではご飯が無くなってうどんしかないとのことで、うどんにカレーをかけてもらったが、食べている途中でご飯が炊き上がったようだ。食べ終わって外に出て、横田さんとお互いに記念撮影したが、また雨が降り出した。西田さんと入れ違いにスタートした。
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畑峠から下ってくると、目の前に美しい棚田が見えてくる。立ち止まって写真を撮ったが、この頃からかなり雨足が強くなってきた。大浜海水浴場・シーブリーズに着く頃には土砂降り。アイスティーを飲みながらたまたまTVで天気予報を見た。北部九州に強い雨雲がかかっている。天気は西から、これからあの雨雲がやってくると思うと、気が滅入ってきた。土砂降りの中、立石観音に向けてスタートしたが、水たまりを避けることもできずアッという間に靴の中は水浸しになった。
立石観音CP3に着いた時は大荒れで、チェックカードが飛ばされないように注意しながら慎重にチェックライターを押し、早々にスタートした。 |
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立石観音を過ぎ、中盤の山場、千畳敷CP4へと向かう。幸い雨は小降りになっていたが、風が強い。標高330mの千畳敷までの約7km、延々と上りが続く。江口さんからも言われていたが、千畳敷の長い上りは無理して走らず早歩きで通すことにした。走っているランナーと大してスピードは違わなかった。途中で自販機を見つけたが、見事に売り切れ、残っていたのは缶コーヒーとお茶の各1種類。缶コーヒーを飲んで千畳敷を目指す。きつい上り坂、下を向いて黙々と上っていたので、一枚も写真を撮らなかった。
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千畳敷に着くと江口さんの車が止まっていて、そこに高津会長もいた。雨は止んだが風がかなり強く、チェックを済ませ水分補給をしただけで早々にスタート、西坂本を目指した。今度は急な下り坂が続く。足を痛めないように長い急な下りを慎重に走り、緩やかな下り坂になったところで高津美佳さんの車が止まった。立ち止まって、もらった餅を食べた。西坂本はそこから直ぐだった。高津会長と澤田さんがおり、遅れて横田さんも到着。
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128.6km 西坂本エイド 14:27着 |
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西坂本のエイドでは中学生がカップラーメンを作ってくれるのだが、続々とランナーが到着し、なかなか希望のカップラーメンができてこない。しびれを切らした高津会長は食べずに出発してしまった。自分はしっかり高菜ラーメンを食べ、汁まで飲み干してから出発した。
西坂本から仙崎までは調子よかった。殆ど歩かずに走り続けた。黄波戸峠で澤田さんに追いついた。北九州URCの先輩ということになるので、挨拶してから追い抜いた。 黄波戸温泉を過ぎて自販機でコーラを買おうとしたら小銭がなく、お札を入れようとしたら湿っていて入らない。何枚目かの1000円札がようやく入って、無事コーラを買うことができた。 境川交差点を左折して国道191号線に入ったところで、高津会長に追いついた。眠くてきついという会長を追い抜き、先に行かせてもらうことにした。このあたりから再び土砂降りとなった。しかし雨で暑くならなかったのが良かったようだ。殆ど平坦だったこともあって、いいペースで走れた。長門市の町中でUMMLerの宮城先生、木下聡さんらに追いついた。木下さんらはランとウォークを繰り返しながら走っていた。玄海100kmの地蔵峠の登りで、田中さんたちが同じような走り方をしていたのを思い出し、付いていくことにした。あとでラン300歩・ウォーク100歩を数えながら走っていたと教えてもらったが、おかげであまり疲れることもなく、仙崎T字路のエイドに到着。 |
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142.3km 仙崎公園前 16:32着 |
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ここでもまた海宝さんに急かされ、直ぐに青海島へ向かった。青海島もアップダウンが続くが、ランとウォークを繰り返しながら快調に走った。静ヶ浦キャンプ場を過ぎた頃、鯨墓CP5から折り返してきた尾形さんとすれ違った。尾形さんは、明るいうちに青海島に入れたのは初めてと言っていたが、調子がいいのだろう。それだけ自分も挽回できているということかもしれない。宗頭から一緒に走る約束をして、鯨墓に向かう。鯨墓CP5には18時頃着いた。
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真っ先に目に入ったのは座り込んでいるドンガメオーさん。ここまでかなりいいペースで来ていたが、オーバーペースだったのだろうか、リタイヤを決めてがっくり落ち込んでいる。見ていて辛くなる。
鯨墓まで来て残り100km、あと24時間あるが、豊田湖での状態を考えるとこっちもまだまだ油断できない。 鯨墓を折返し、大荒れの仙崎湾を見ながら静ヶ浦キャンプ場へ向かう。雨は小降りになった。北九州の従兄にTelしたら雨は殆どやんでいるとのことで、このまま天候が回復してくれるかもと淡い期待を抱いたが、、、甘かった。 |
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157.0km 静ヶ浦キャンプ場 18:51着 |
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折り返してきて静ヶ浦キャンプ場で食事。そこに鯨墓に向かおうというクニさん、前村さん等が到着した。クニさんがコースを間違えた話はここで聞いた。そんなロスをものともせず何としても10連続完踏しようという気迫が、クニさんの厳しい表情から伺える。前村さんから高津さんがリタイヤし、西田さんもリタイヤしているかもしれないと聞いた。静ヶ浦を出て木下さんらと仙崎T字路のエイドに向かう。暗くなってきたのでヘッドランプを点けたが、ライトが少し暗くなった気がした。
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163.3km 仙崎公園前 20:04着 |
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仙崎に着いてゆっくりしようと思ったが、例によって、「もたもたするな、越田さんが出発するぞ」と言う海宝さんの声が聞こえた。ランアクロスアメリカに出た越田信さん?木下さんはもう少し休んでからというので、越田さんについて行くことにした。仙崎から長門三隅駅までがわかりにくいということになっていたが、路面に矢印が書いてあり迷うことはなかった。
越田さんの走り方は、早歩きより少し早いくらいのスピードを維持して走っている。ついていくのが難しいスピードだった。手には傘を持っていたが、往還道での杖代わりにもなると言っていた。さすがに余裕があり、宗頭を2時に出発してこのスピードをキープすれば完踏できると話されていた。それを聞いて何となく自分も完踏できそうな気がしてきた。宗頭の手前2kmくらいのところで雨が強くなり、スピードを上げて集団から離れ、22時に宗頭着。 |
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尾形さんとは23:30出発の約束になっており、すでに尾形さんは仮眠中だった。宗頭では仮眠が取れるし、風呂にも入れるが、睡眠を優先することにして、風呂には入らなかった。休憩所に上がり、高津会長さんと話をしながら食事をする。その時一人の女性ランナー(A106?)から足首の後が痛いという相談を受けた。おそらく靴が当たっているのだろう。あと70km以上、しかもこれから深夜の山の中、そんなところで動けなくなったら大変だから無理をしない方が良いと言ったが、ここまで来て簡単に諦める人間はいないだろう。緑十字を付けていると言っても所詮は内科医、あまり適切なアドバイスができず、取り敢えずセクターローションを1本譲った。仮眠所に上がり靴下も下着も脱いで裸になり、体を乾かしながら仮眠を取った。30分くらいで目が覚めた。股ずれがかなり痛みディクトンを塗ったが、かなり赤くなっており効果は期待できそうもない。下に降りると、既に尾形さんは準備ができていた。直前までかなり強い雨が降っていたが、出発する頃には小降りになった。
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1月〜4月 説明会 5/2:瑠璃光寺〜豊田湖 5/3:豊田湖〜宗頭 5/4:宗頭〜瑠璃光寺 懇親会 レース後の体 |
宗頭→三見駅→玉江駅→笠山→虎ヶ崎→東光寺→往還道→瑠璃光寺 | |||||||||||
宗頭からは夜の山道となる。わかりにくいところなので、竹上さんとY子さんも一緒に走ることになった。さらに尾形さんの知り合いの西野さん・二階堂さんらのグループ、先ほど相談を受けた女性も靴を替えたら痛みが気にならなくなったとのことで一緒に走ることになり、10人の集団となった。
一眠りして体を乾かし、乾いたウェアと下着に着替え、乾いた靴と靴下に履き替え、気分一新してスタートした。しかしスタートして間もなく土砂降りになった。靴の中はまたも水浸し、せっかく履き替えたばかりだというのに。藤井酒店CP6までは3kmしかないが、土砂降りのせいで随分遠く感じられた。 |
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177.9km 藤井酒店CP6 0:03着 |
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藤井酒店から鎖峠へと上っていく。国道191号に合流するまでの上りがきつかったので、尾形さんと二人で集団から少し遅れてゆっくり走っていた。だいぶ差を付けられたが、鎖峠で追いついた。雨は激しさを増し、道路の凹んだところを水が川のように流れている。峠をちょっと下ったところの自販機前で小休止。ここから三見駅方面への分岐までかなり長い下りが続き、右足に痛みを感じるようになった。長い下りが終わって三見駅方面へと左折したが、右足の痛みがだんだん強くなってきた。集団の先頭に立ち、スピードを抑えて走り、三見駅CP7に到着。
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三見駅から玉江駅までの山道がさらにわかりにくく、不気味なところらしい。三見駅からは尾形さんが先導してくれたが、右足の痛みがさらに強くなり、おまけに眠気も襲ってきてきつくなり、尾形さんにペースダウンをお願いした。一人だったら止まって一眠りしただろう。何とかついていって、土砂降りになる直前に玉江駅に到着した。
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駅の待合室では段ボールを敷いて寝ている人がいた。長く休むと体が冷え切ってしまいそうだったが、それ以上に眠いのが辛かった。みんなに頼んで、仮眠を取らせてもらうことにした。スタートしようかと言う時、竹上さんから足の裏にマメができて大きな穴が空いたけどどうしようという相談を受けた。取り敢えずカット絆だけ貼ってもらったが、辛そうだった。
尾形さんたちは先に出発、少し遅れてスタートしたが、竹上さんは足がかなり痛むとのことで玉江駅へとUターン、Y子さんらと3人で笠山を目指した。ヘッドランプが点かなくなり、電話ボックスに入って電池を交換した。萩城から何となく道なりに右へと進んだ。お寺がいくつも並び、24時間営業の大きなスーパーもあった。Y子さんが新しくできたのかしらと言った。コースガイドには載っていなかった。どうやら道を間違えたらしい。地図を確認している時にちょうど尾形さんからTelが入り、引き返して菊が浜沿いの正規のルートに戻ることにした。往復約1kmのロス、引き返さずにスーパーの先を左折すれば合流できたのだが、眠くて思考力が鈍っている。しかし大きなスーパーを発見したのは、来年役に立つかもしれない。 雁島橋で尾形さんと合流したが、右足の痛みがひどくなってきた。股ずれも痛む。ロキソニンを飲みナパゲルンローションを擦り込み、ランとウォークを繰り返しながら笠山を目指す。 遠かった。途中何度も止まって痛み止めを擦り込み、AM6時前、何とか笠山CP8に辿り着いた。残りあと50km。 |
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笠山は海に突き出た半島のてっぺんで雨風ともに強かった。チェックを済ませ、すぐに虎ヶ崎へ向かった。笠山からの下りで復活した竹上さんとすれ違った。完全に遅れを取り戻している。
負けられないと思った。足の痛みをこらえ、必死に走って虎ヶ崎・椿の館CP9に到着した。 |
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207.1km 虎ヶ崎・椿の館CP9 6:17着 |
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中にはいるとストーブが点いており、その暖かさにホッとした。濡れたものを乾かそうと思ったが、この雨だとまたすぐびしょ濡れだろう。右足を見ると、甲から脛にかけてが少し腫れていた。
隣のテーブルではY子さんが居眠りしており、つられてうとうとした。しばらくして竹上さんも到着した。 TVのニュースで大雨警報が出ていることを知った。カレーを食べ、7時に尾形さんとスタートした。 休憩して足は少し回復した。細かいカーブとアップダウンの続く山頂周遊歩道を調子に乗ってすっ飛ばしたので、かなり足に応えた。明神池を過ぎたところで前村さんに会った。その先で140kmに出ている山崎憲次郎さんにも会えた。往還道の状況を聞いたら、泥水が流れていると教えてもらった。痛む右足でちゃんと走れるか、不安になってきた。 笠山に向かうランナーに手を振って挨拶しながら元来た道を戻り、往きに気が付かなかった萩焼会館前を左折、川を渡って左折し最後のCP10・東光寺を目指す。 |
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AM8時過ぎ、最後のCP10に着いた。入念にチェックライターを押し、10箇所のチェックが入っていることを確認して、チェックカードを大事にしまった。東光寺から松陰大橋を渡り、その先がわからなくなり、地図を見ればいいのだが、尾形さんを待った。尾形さんは自信満々だが、こっちは初めて、周りにランナーの姿が見あたらず不安になっていた。35kmや70kmのランナーが来る方へと走っていけばいいだけのことだったが、不安で何度も地図を確認する。しかし睡眠不足の頭では、どこにいるかもわからない。ようやく見つけた標識は風のために千切れて、肝心の矢印が無くなっていた。しばらくして鴻池さん(70km)や高津美佳さん(35km)とすれ違い、一安心。ようやくのことで萩有料道路休憩所に到着し、温かいスープで体を温めた。右足の腫れは足関節まで広がってきた。
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萩有料道路休憩所からいよいよ往還道に入る。右足の痛みはさらに強くなり、まともに走れなくなっていた。尾形さんには先に行ってもらうことにした。がに股、足首を動かさないようにして上り、下りは左足一本で走った。
萩往還道に入ってすぐとり正の大将・花田さんや浦さんに会えた。元気な知り合いに会えると、こっちも元気を取り戻せる。すれ違う35・70kmのランナーがお疲れさま・お帰りなさいと声をかけてくれるのも嬉しかった。明木市のエイドまでは何とか辿り着いたが、右足痛で平地も歩くのがやっとという状態だった。しかしここまで来てリタイヤはしたくない。 |
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226.4km 明木市エイド 10:35着 |
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明木で原万里子さんと会い、折り返してきた鴻池さんには早くも追い越された。元気な二人が羨ましい。まんじゅうを食べながらゆっくり足を休める。そこにクニさんが到着した。青海島では1時間くらいの差があったはずだが、かなり差を詰められた。さすがに10回連続完踏しようかというクニさんの底力は凄かった。そしてクニさんより先行していれば完踏できるのではないかという気がしてきた。
痛む足を引きずるようにして明木を出発、一升谷を経て佐々並へ。しかしこの辺りのことはよく覚えていない。後でビデオを見たが、それでも思い出せない。眠気と痛みで、泥道を蛇行しながらフラフラ走っていたような気がする。走ってはいたが、頭は眠っていた。田圃に落ちなくて良かった。 目が覚めた時にあることに気が付いた。みんな三日間降り続いた雨に苦しめられている。靴の中まで濡れて足の皮がふやけてマメに苦しめられているのに、自分にはマメができていなかった。そこで水たまりを走ることにした。水たまりアイシング、痛む足を冷やそうというわけである。これが功を奏したのか、痛み止めのロキソニンが効いたのかわからないが、痛みが和らぎ、少しずつ走れるようになってきた。 発想の転換、辛い雨が恵みの雨となった。 やっとの事で佐々並エイドに着いた。もちろん到着時間は覚えていない。 |
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235.6km 佐々並市エイド |
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佐々並エイドには江口さん、野口さん、渕上さんが来ていた。豆腐を食べながら足を休めているところに、とり正の花田ますみさんが到着した。250km完踏したら、とり正での飲み放題が待っている。俄然元気になった。残りあと15km、3時間あればゴールできるだろう。渕上さんから眠気醒ましなどをもらい、佐々並を出発した。
佐々並から夏木原キャンプ場を経て板堂峠までは延々と上りが続く最後の難所。右足はだいぶ腫れていたが、幸い水たまりアイシングが効いて、痛みは軽くなっていた。走ったり歩いたりを繰り返しながら板堂峠を目指す。その横を、元気な70kmのランナーが走り抜けるが、急ぐこともない。 強風・雨の中、登り坂の途中でビデオを構えている人がいた。とり正の常連さんだった。知っている人にビデオカメラを向けられると張り切らざるを得ない。一旦坂を下って元気に走っているところを撮り直してもらったりと、余計な体力を消耗した。 |
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ダラダラ続く登り坂の途中で西田さんの車に追いつかれた。高津さんや原田さんら北九州URCのメンバーも一緒だった。ちょうどタイミング良くキャンプ場下の私設エイドに到着し、草餅とお茶で一息入れた。ここまで来たら完踏間違いなし、45時間台などといわれたが、まだ実感が湧かない。
最後のエイドを出発してしばらく一般道を上り、往還道に入って一般道を横切り、再び往還道に入ってちょっと登ると、どうやらそこが板堂峠の最高点だった。記念撮影してから下る。一ノ坂の石畳や霧雨に煙る往還道はなかなか風情があったが、濡れているので滑りやすい。最初は石畳の上を慎重に下っていたが、ゴールが近いと思うと、足も軽くなってきた。滑りやすい石畳を避け、その横を一気に駆け下りた。ゼッケンが見えるようにとウインドブレーカーも脱いだ。 往還道が終わると天花畑。カメラマンの横も一気に駆け抜けた。瑠璃光寺までどれくらいの距離が残っているかは覚えていなかったが、ここまで来たらゴールまでは休まず走り続けようと思った。しかし遠かった。ダムを過ぎてしばらく走り続け、ようやく町が見えてきた。 木町集会場の前を通り、最後の角を右折したところで尾形さんに会った。ゴールの瑠璃光寺はもう目の前。坂も一気に駆け上がり、山門前で田中行広さんとハイタッチ。 |
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1月〜4月 説明会 5/2:瑠璃光寺〜豊田湖 5/3:豊田湖〜宗頭 5/4:宗頭〜瑠璃光寺 懇親会 レース後の体 |
250.0km 瑠璃光寺 15:41(45:31:33)ゴール |
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スタートして45時間31分後の15:41、瑠璃光寺のゴールに飛び込んだ。
ゴールではドンガメオーさんがカメラを持って待っていてくれた。チェックカードの確認を受け、長かった初めての250kmがようやく終わった。しかし完踏の感激はあまり無かった。足の裏はふやけてしわしわ、右足関節から脛は腫れ上がり、おまけに股ずれと体はボロボロ、ゴールにたどり着けた安堵感だけで、まだ感動に浸るどころではなかった。 ゴール地点でドンガメオーさんや礒本さん、渕上さん、田中さんらと話しながら、後続のランナーを待った。10連続完踏となったクニさんはY子さん・村尾さんと一緒に両手に花のゴール、竹上さん、楽松師匠も無事にゴールした。140kmのとり正・花田ますみさん、山崎さんもゴールしたが、とり正の大将は遅れている。まだ走っている仲間には申し訳なかったが、とにかく汗を洗い流して早くサッパリしたいと、一足先に銭湯に行った。 |
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■ 平成16年5月4日 親睦会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
場所がわからずあちこちうろうろして、18時過ぎにようやく惣野旅館にたどり着き、荷物を置いて川向こうの銭湯へ。股ずれが痛くてたまらなかったが、久しぶりの風呂は実に気持ちよかった。
19時から惣野旅館で懇親会。30-40人が参加していただろうか、すし詰め状態だった。 懇親会の主役はなんと言っても10連続完踏のクニさん。御祝いのくす玉まで用意されていた。 中締め後も居残って、後から来た楽松師匠らと飲んでいたが、何を喋ったか記憶にない。もちろん寝た時間も憶えていない。レースの疲れと心地よい酔いで72時間ぶりに爆睡した。 |
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■ 平成16年5月6日 250km走ると・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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