2004 大村湾一周ウルトラマラソン160km完走記 |
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大村湾一周ウルトラマラソンTシャツに描かれたコース地図 |
ウルトラ歴8ヶ月という初心者が、無謀にも160kmの長丁場に挑戦することになりました。100km超もナイトランももちろん初めて。無事完走できたのは、コース下見会に参加させていただきコースを頭にたたき込んだことと、コンビニ要らず、10-15km毎に設けられたエイドによるサポートのおかげです。ありがとうございました。
エントリーを決めてからゴールするまでを、写真を基にたどってみました。 |
■ 平成16年1月 初売りで始まった | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1月2日 初売り |
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雨でトレーニングは休み、そこで知り合いのアウトドアショップに行き、そこでLEDヘッドランプを見つけた。夜を徹して走る時には必需品。衝動買いしたことから2004年が始まった。
翌1月3日、北九州URC新春マラニックで、萩往還250km挑戦を宣言。その前に一度ナイトランを体験しておこうと、大村湾一周UM160kmにエントリーすることにした。 |
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1月18日 コース下見会 |
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大村湾一周UMは初参加だが、徹夜で走るのももちろん初めて、コースがわからないのが不安である。早い時間にスタートしたいが、仕事の関係で最終の16時スタートしか間に合わない。そこでコース下見会に参加することにした。
山月荘旅館で主催の佐藤先生等と合流、峯さんの車に乗って下見に出発し、距離とコンビニ、工事箇所などをチェックしていった。 コースは大村湾を時計回りに一周する。前半は嬉野温泉から東彼杵に下り、大村・諫早・多良見町・長崎を通って時津町で中間点。後半は大村湾沿いを琴海町・西海橋・佐世保・ハウステンボスを通って東彼杵に戻ってくる。東彼杵から嬉野温泉までの10kmが最後の難関、俵坂峠である。 雨が降っていたが、せっかくなのでこの最後の所だけ走ることにした。峠までは6kmちょっと、勾配はきつくないが、だらだらと登り坂が続く。150km走った後のこの坂はかなりこたえそう。峠からは往路のキリシタン史跡を回るルートを走った。所々雪が残り、冷たい雨の中写真を撮ったりしながらゆっくり走ったので体が冷え切ってしまった。 しかしコースが頭に入り、また夜間走の装備などいろいろ話を聞くことができて大いに参考になった |
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雨の俵坂関所跡 |
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■ 平成16年2月14日 バレンタインに春一番 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
前日は仕事で遅くなった。雨が降った時のことを考えポンチョなどに防水スプレーをかけたりしながら荷物を準備する。靴は一番重いが安定感のあるGEL-KAYANO
Xにした。ウェアは長袖・ロングタイツにウインドブレーカー、予備にベスト、5本指ソックスは山用の長めのものにした。とにかく初めてのナイトランでどれくらいの装備が必要か勝手がわからず、準備にかなり手間取って、寝たのは明け方4時過ぎだった。3時間睡眠で仕事に向かう。
前線通過で春一番が吹き荒れるという天気予報通り、風が強く外は真っ暗。ついに大粒の雨が降り出した。心配になって12時スタート組の尾形満歳さんにTelしたが、幸い現地では降っておらず食事をしながらくつろいでいるとのことだった。早めに上がるつもりだったが、こんな時に限って飛び込みの新患。点滴をしている間に着替えと食事を済ませ、心の準備もできぬまま13時に嬉野へと出発した。外はかなり風が強く、空が霞んでいた。どうやら黄砂のようだ。 黒崎から嬉野温泉までは150km弱、1時間半ほどで国立嬉野病院に着き、車を置いてスタート地点の嬉野温泉「松園」に向かった |
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■ 平成16年2月14日 大村湾一周前半:嬉野温泉→大村→諫早→長崎→時津町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
16:00スタート 嬉野温泉「松園」 |
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15時前に「松園」に到着し、受付を済ませた。受付でバレンタインのチョコレートを受け取った。前村さんからだった。
荷物を置きに2階の大広間に上がると、どのランナーも準備が終わってのんびりしていた。山本哲也さんは膝にパッド入りのサポーターを巻いていた。膝を痛めているわけではなく、必ず転ぶからその時のためにとのことだった。夜通し走れば何が起こるかわからないからなあと感心した。 大広間は閑散としていた。それもそのはず、参加者67人中大半の58人は14時までにスタートし、16時スタートは9人しか残っていないのであった。面識があったのは玄海100kmで一緒になった田中行広さんくらい。TVで見た坂本明子さんはすぐにわかったが、玄海にも出られた恵村泰尚さんや松尾志峰さんは名前が出てこなかった。そのせいか何となく緊張して落ち着かない。自分はまだウルトラ歴1年未満の新人なのである。 急いで着替えて胃薬・鎮痛剤を飲み、前村さんの心遣いに感謝してチョコレートとどら焼きを食べた。 15:30過ぎホテルの玄関へ。集合写真を撮ってから佐藤先生の注意。ちょうどその時4時間前にスタートした尾形さんから、25km地点にいるとの連絡が入った。 |
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16時スタート組:左から松尾、スタッフ、藤本、植村、山本、藤原、田中、坂本、スタッフ、西村、恵村、スタッフ |
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16時いよいよレースがスタートした。長丁場のレースでゆっくり目のスタート、取り敢えず足の調子はまあまあだった。初めての100km超でペース配分は全くわからない。中間点80kmの時津に10時間、AM2時に到着できれば何とかなるかなと考えたが、そう甘くはないだろう。
嬉野温泉をスタート後、往きは小川内から子捨て谷・太刀洗いなどのキリシタン史跡の方を回り俵坂関所跡へ向かう。トップは坂本・恵村・松尾さんの3人で、それから数十m離れて走った。走りながら田圃に映った自分の影など写真を撮った。俵坂峠から長い下りにかかる。先頭集団は快調に飛ばしだんだん遠ざかっていった。ここの下りは終始向かい風だったが、オーバーペースにならずかえってよかったかもしれない。1時間30分程で東彼杵IC下を通過。順位は16時スタートの真ん中くらい、最後尾でないことに少し安心する。 |
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田圃に映った影 |
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東彼杵町から国道34号線を南下、大村湾沿いを時計回りに走るが、ここからは追い風となった。天気も良くなり、20km千綿付近では大村湾に沈む美しい夕日をカメラに納めることができた。しかし日が沈むとだんだん冷えてきた。時々一緒になったランナーと声を交わすが、基本的にはひとりぼっち。暗くなって退屈になり知り合いに携帯でメールを送ったが、返事は帰ってこなかった。
大村市にかけては殆どアップダウンもなく、追い風に乗って軽快に走れた。時々すれ違う自転車に乗った高校生から頑張ってくださいと声をかけられる。大村の町中ではジョギング中のランナーを追い越した。これから100km以上走るというのに無理しすぎかな? ほぼ10km毎くらいに移動エイドが待機してあり、コンビニに寄る必要はなかった。30km付近でヘッドランプを付けた。20時、ほぼ4時間で38km鈴田峠のエイドに到着し、暖かいお粥で体を温めた。 |
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大村湾に日が沈む |
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鈴田峠のエイドでは山本さんが一緒になった。諫早市街への分岐がよくわからないとのこと、一緒に出発した。お互いのペースがあるので少し距離を置いて走ったが、それでも後に聞こえる足音は気になる。鈴田峠は標高100mにも満たない峠で、それほど苦にはならなかった。
諫早市内で207号と合流し長崎方面へ向かう。道を間違えることはなかったが、右と左のどちらを走ったらいいのかわからなくなり、交差点でまごつく。諫早市街を抜けてから向かい風をまともに受けるようになり、ちょっとペースが落ちた。それでも21:10には、多良見町の50kmエイドに到着した。ここまで10kmを1時間ちょっとと目標を上回るかなりいいペースだった。尾形さんにTelしたら、日見峠の手前だった。10km以上差を詰めているようだ。こうなったら何としてでも追いつこうと、勇んで出発した。 |
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全身反射材が光る山本さん(鈴田峠エイド) |
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50→61km 多良見〜水族館 22:40 |
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多良見ICを過ぎると下りになる。相変わらずの向かい風で、そのせいかこの区間はかなり長く感じられた。ヘッドランプで路面を照らすために下を向いて黙々と走っていたら50円を拾った。しばらくして恵村さんに追いつき、そのまま前に出る。22:40長崎水族館・60kmのエイドに到着。ここまで走って、ようやく残り100km、気が遠くなる。このエイドを出発するといよいよ前半の山場、日見トンネルである。峠越えに備え、パンや羊羹などしっかり糖分補給をしたが、少しずつ休憩時間が長くなっている気がする。
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この後、恵村さん(中央)と日見トンネルへ向かう(61kmエイド) |
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恵村さんと一緒に記念撮影し、同時にスタートした。だらだらと登り坂が続く。かなり小刻みなピッチ走法で坂を上る。ようやくトンネルに入ったが、まだ上っているのだろうか、なかなか足が前に進まない。トンネルを出たところで強烈な向かい風を受けた。ようやく下りというのに体が前に進まない。へとへとになって長崎市内へ。蛍茶屋電停から先の道がわからなくなり、恵村さんを待った。ちょっときつくなってきたところで地下道手前にトイレを見つけ、これ幸いと駆け込む。考えてみたら60km以上走って最初のトイレだった。
桜町公園へと下り、68kmのエイド到着。温かいココアで一息つく。風はだいぶ弱まった感じ。なかなかいいペースだねと声をかけられたが、70km走ってきて余裕のあるわけがない。それでも次の中間点・時津までは頑張って走り続けようと、しっかり水分・カロリー補給をして軽くストレッチ。山本さんと入れ違い、日付変わって2月15日のちょうど0時に出発した。 |
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68→82km 桜町公園〜JR長崎駅前〜時津町日並 1:40 |
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長崎市内はほぼ平坦、風も気にならなくなった。市内では工事中の箇所が多かったが、何人もランナーが通過しているからだろう、警備員もスムーズに誘導してくれた。駅前を過ぎ、宝町で井上病院を見つけた。医局で世話になりランナーでもあるM先生が勤務している。この近くには後輩のY君も開業しているはずだが見つけられなかった。こんな時間にこんな格好でばったり出会ったらどんな顔をするだろうか。
平和公園、長崎大学下を走り、赤迫で路面電車は終点。しばらく行くと、早い時間にスタートしたランナーの姿が見え始めた。時津町まで3km、2kmという標識が目に入り、もうすぐエイドと思ったら甘かった。町役場までの距離であり、そこから日並の火籠集会場はさらに3kmぐらい先なのだった。中間点の日並エイド手前にやや長い上りがある。その上りにさしかかったところで、一人のランナーから80kmのエイドはこの先ですかと聞かれた。顔を見たら久保田実生君だった。ついに12時スタートの北九州ウルトラRCメンバーに追いついた。しばらく走ると今度は尾形さんに会った。 そしてAM1:38、ようやく中間点、日並のエイドに着いた。ここまで9時間38分、予想を上回るかなりいいペースだった。 |
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■ 平成16年2月15日 大村湾一周後半:時津町→琴海町→ハウステンボス→嬉野温泉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
中間点:時津町日並のエイド 1:40〜2:54 |
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日並のエイドでは前村さん、西田さんにも会えた。前村さんにはチョコレートの御礼を言う。熊本さんはだいぶ先の方にいるらしい。
しかし4時間差を追いついたものの、無理がたたった感じで、少し吐き気がする。念のため胃薬・鎮痛剤を飲む。後で気が付くのだが、この薬を入れたウエストポーチを忘れてしまうのである。 この日並は集会場を借りたコース上最大のエイドで、休んでいるランナーの数も多く、マッサージのサービスがある。食料も豊富で焼酎も用意されていた。胃が落ち着いたところでお粥と温泉湯豆腐をいただいた。前村さんから飛ばし過ぎじゃないのと言われ、ゆっくり休みマッサージを受けてから出発することにした。足も痛いが、荷物を背負って走ったので足以上に肩が凝っていた。 そろそろ出発しようかという時に、10時出発路草コース組の山崎憲次郎さんが到着した。焼酎を勧められたが、さすがに断った。 |
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マッサージを受ける久保田君 |
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1時間以上休み、田中行広さん、藤原義彦さんらとともに3時前に出発したが、スタートしてしばらくはスピードが出なかった。それもそのはず藤原さんたちより30分以上前に着きながらスタートしたのが一緒、体が冷え切ってしまったようだ。アッという間に田中さん・藤原さんに置いていかれ、またも一人っきりになった。軽いアップダウンの続く道を走り琴海町へ。
ところがどうも調子がおかしい。体は暖まってきたが、ペースが上がらない。低血糖・ガス欠かと思い自動販売機で立ち止まり糖分補給したが、元に戻らない。スピードはどんどん遅くなり、左右に蛇行し始めた。もうろうとして自分でもどうなっているのかわけがわからなくなった。フラフラしながら95kmの琴海パーキングに到着、そこで休んでいたのは尾形・西田・前村さんだった。その横にしゃがみ込み、、、気が付いたら眠っていた。西田さんの先に行くよという声が聞こえた気がしたが、目が覚めると回りに誰もいなかった。缶入りのお汁粉を飲み出発。何分寝たかわからないが、ようやく頭がすっきりして真っ直ぐ走れるようになった。 居眠り運転ならぬ居眠りランニングだった。時刻は明け方の4時前後、前日3時間位しか寝ていなかったので居眠りするのは当たり前、ガードレールがあったので道路にはみ出して車にはねられなかったのは幸いだった。聞くところによると道路の真ん中を蛇行して警察に通報されたランナーがいて、佐藤先生は警察に呼び出されたそうだ。実際道の真ん中を右に左に蛇行するランナーを目撃したが、おそらく当の本人は気が付いていないだろうと思う。怖いが貴重な体験だった。 しばらく走ると98kmのエイドがあった。途中居眠りしたため久保田君に追いつかれた。北九州ウルトラRCメンバーが5人揃ったところで記念撮影、温かいお茶などを飲んで出発した。 |
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北九州URC:左から西田さん、久保田君、前村さん、尾形さん(98kmエイド) |
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風はだいぶ弱まった。思ったほど冷え込みも厳しくなく、眠いことを除けばまずまずのコンディション。下見に来たおかげで地図を見なくても迷わずに走れている。そのためいつ100kmを通過したかわからなかったが、100km過ぎても歩くことなくしっかり走れている。6時過ぎに旧オランダ村前を通過する。白々と夜が明け始め、巨大な風車が見えた。その直後ボケーッと走っていたら段差に足を引っかけ、見事に転んでしまった。幸い手袋をしていたので、かすり傷程度で済んだが、これで目が覚めた。AM7時西彼町・110kmのエイドに到着し、ぜんざいなどをいただく。
ちょうどタイミング良く日の出を迎えようとしていた。せっかくなので日の出の写真を撮ってから出発することにした。昨日とは一転風のない穏やかな快晴で、鏡のような大村湾に黄金色の朝日が輝いた。 |
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大村湾の日の出、穏やかな一日の始まり |
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素晴らしい日の出を見て出発した。しばらく上りが続き8時過ぎ西海橋に到着。写真を撮ってから橋を渡ったところの117kmエイドへ向かう。かなり肩も凝ってきたのでリュックを預けウエストポーチにしようと思って探したが見つからない。日並のエイドに忘れてきたことに気付いた。胃薬もない、痛み止めもない、仕方なくウィンドパンツだけ預け、ほんの少し荷物を軽くして出発した。
残り7時間半でフルマラソン、何となく時間内完走が見えてきた。 |
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朝日を浴びる西海橋 |
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西海橋のエイドでは復活した尾形さんに追いつかれた。この先ゴールまで尾形さんと前後しながら走ることになった。西海橋を出発してしばらく上りが続くが、さすがに足が痛くなってきた。特に左膝の外側と左のアキレス腱が痛む。サロマ湖では右膝が痛み出し60km以降失速する原因となった。痛みが走るとがくっと力が抜けたようになる。取り敢えずロングタイツの上から痛み止めのローションを塗り込み、だましだまし走る。この頃からすぐにガス欠を起こすようにもなってきた。痛みと低血糖でフラフラしながら、9:40、126km針尾橋のエイドに到着した。羊羹などで糖分補給し、膝に鎮痛剤を塗り込んだ。そういえば今回、どこのエイドにも鎮痛剤のスプレーがなかった。次は2本くらい持って走ろう。
エイドで休んでいたのは渕上哲郎さん、博多山笠に同じ恵比須流・綱場町から出ている。その山笠の時に玄海100kmや大村湾160kmのことを教えてくれたのが渕上さんだった。記念撮影してから出発。 |
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左が渕上さん、隣が峯さん 天気はいいが、風がまだ冷たい |
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15分ほど休んで尾形さんと一緒にスタートした。右にハウステンボスが見える。実にいい天気だが、ここから川棚町にかけてやや長いアップダウンが続く難所である。相変わらず膝が痛んだが、それでも何とか走り続けた。初ウルトラ・去年のサロマ湖では痛みで後半殆ど歩いていたから、少しは進歩している感じがする。このままいけば時間内にゴールできるだろうという確信に変わっていく。
途中で74番というゼッケンを付けたランナーに追いついた。エントリーしているのは70人だったはずだが。終盤でこの坂はきついですねと声をかけて追い抜いた。大分から来たと聞いた気がする。後日そのランナーが前田晃作さんだったことが判明した。UMMLへの投稿を見て、大会2日前に申し込んだということだった。 川棚の町中に入り、135kmでコンビニを見つけトイレのついでにパンを買って食べた。ちょっと吐き気がしたが、食べないと低血糖になりそうだったので無理矢理詰め込んだ。この間に渕上さんや前田さん達に抜かれた。 12時前東彼杵町に戻ってきた。目の前に真っ青な大村湾が広がっている。しばらく走ると145kmのエイド、到着はスタートから20時間後の12時だった。先頭のランナーは既にゴールして温泉に浸かっている頃だろうか。 残りあと15km、最後の難所俵坂峠を残すだけ。時間内の完走は間違いないし、ひょっとしたら22時間台か。しかしナパゲルンローションは残りわずか、痛み止めの飲み薬はウエストポーチとともに忘れてきた。入念にストレッチして、十分に糖分を補給、12:15俵坂峠に向けて出発した。 |
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陽光きらめく大村湾 |
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東彼杵ICまではほぼ平坦だが、工事箇所が多く走りにくかった。12:35いよいよ最後の上りにかかる。約6km、標高差200mの上りが続き、150km走ってきた足には相当こたえる。前方に尾形さん、後方に西村悟さんがいたが、3人とも同じようなのろのろのスピード。膝が痛み出したが、痛み止めもついになくなった。ようやく尾形さんに追いつき、それからしばらく話しながら歩いて上った。萩往還では最後にこれよりもっときつい上りが待っているということを聞いた。ここで歩いていたら萩往還はどうなるのだろうか。1kmくらい歩いて少し回復したので残り2kmは走った。1時間弱でついに俵坂峠を越えた。下り坂でサポート車に抜かれた。手を振りながら頑張ってくださいと声をかけていく見覚えのある顔、、、久保田君だった。いつの間にリタイアしたの?
嬉野温泉まで残り4km、最後のエイドには横田哲史さんが休んでいた。脱・宴会ゴールは確実で、さすがに表情にも余裕がある。ちょうどそこに奥様からTelがかかり、あと30分くらいで着くだろうと言われていた。いつものようにゴールシーンのビデオ撮影だろう。 しばらくして尾形さんが到着、早くゴールして温泉に入ろうというので14時前に出発した。嬉野温泉まであと4kmちょっとを下るだけ。少しだけスピードアップした。国道34号から温泉街へと右折、あと500mというところで後から猛烈なスピードで走ってきたランナーに抜かれた。同じ16時組の西村さんだった。160km走ってきてのラストスパートに舌を巻く。追いつこうとスピードを上げたが無理だった。最後は山本哲也さんと一緒にガッツポーズしながらゴールした。長い長い160kmがようやく終わった。15日14時19分、スタートしてから22時間19分だった。完走できただけでも嬉しかったのに、時間内それも22時間台での完走はでき過ぎ、感激のゴールだった。 尾形さん、横田さんのゴールの写真を撮って大広間に上がった。しばらくして西田さんも戻ってこられ、一緒に温泉に行った。のんびりつかっていたかったのだが、さすがに眩暈がして早めに出た。飲み友達に完走の報告をして、それから部屋に戻って一眠りした。 |
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■ 平成16年2月15日 親睦会−−−博多手一本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
親睦会は17時から始まった。北九州ウルトラRCの熊本・西田・尾形・久保田さんに、渕上さん等と一箇所にまとまって席を取ったが、前村さんの姿が見えない。コースアウトしてリタイアしたらしいと言う話が伝わってきたが、収容車では戻ってきていない。気になりつつも完走の喜びでビールが美味い。前村さんはようやく17:30過ぎに戻ってこられた。30時間お疲れさま。この後記念品の抽選会が始まり、仲道さんの色紙をいただいた。色紙には「昨日の大村つらかったなあ、でも楽しかったなあ、いずれにしても酒はうまい」と書かれていた。今の心境にピッタリ。
UMMLerのTシャツを着ている人は誰もいなかったが、宿谷さんから声をかけられた。親睦会は19時過ぎにお開きとなったが、最後は渕上さんと自分の二人が呼び出され、博多手一本で締めた。 |
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しばらくして最終ランナーが戻って来るという情報が伝わりデジカメを持って玄関前に行った。19:30、戻ってきたのは山崎さん、峯さんの奥様、國府さんだった。10時スタートの路草コースで、33時間半走っていたことになる。驚異的。その後大広間での二次会に加わり、遅くまで飲んでいた。
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19:27、最終ランナーのゴール |
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■ 平成16年2月16日 160km走ると−−−血液検査 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 平成16年3月16日 記録表 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
大村湾一周UMの記録表が届いた。出走67人中11位だった。驚いたのが完走率。24時間以内の完走者は約3分の1、オフィシャル・路草コース合わせて合計55人、82%が完走だった
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