第19回 山口100萩往還マラニック・サポート記 初めて覗いた萩往還舞台裏 2007年5月2-4日 |
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平成19年 第19回山口100萩往還マラニック | |
瑠璃光寺五重塔ライトアップ | |
2004年、初めて萩往還マラニックに参加。最初から250kmに挑戦した。足がボロボロになりながら、何とか完踏できた。2005年は、途中、いろいろアクシデントもあって、気持ちが切れてしまい、仙崎(復)でリタイヤ。その情けないリタイヤがあったので、2006年は完踏し、ここまで2勝1敗である。しかし昨年後半、病人に振り回されて、大会直前ドタキャンが続くなど、すっかり走る意欲を失い練習量は激減。今年は最後まで参加するかどうか迷っていた。
萩往還の申込締切直前、恒例の萩往還練習会を予定していた。練習会でちゃんと走れるかどうかを確かめてから、申し込むかどうか決めようと思っていた。そして3月17日、仙崎をスタートしたのだが、、、真っ暗闇の往還道で、橋を踏み外して川に転落、頭や腕などを激しくぶつけた。幸い骨折はなかったが、デジカメも壊れてしまった。自分の不注意からとは言え、中途半端な気持ちで参加しても事故につながる、今年は走るなと言う天の声なのかもしれない。 ということで、今年の萩往還参加を断念した。しかし、ここ数年、この萩往還を中心に1年が回っているような気がする。仲間に会えないのも寂しい。そこで応援を兼ねて、スタッフのお手伝いをすることにした。 2007年3月 第3回萩往還練習会転落記 |
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5月2日 瑠璃光寺・マラニック250kmスタート | |||||||||||||||
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2日、13時まで仕事、家に帰って出発準備をする。走るだけなら、ウェア・靴・ライト・ナンバーカードに自分で飲む薬くらいでいいのだが、エイドとなるとそうはいかない。今回担当するのは、A250kmの川尻岬と、4日のゴール地点。川尻岬では、到着ランナーの確認が主な作業となるが、せっかくだから到着する全ランナーの写真を撮ろうと、カメラ・三脚・フィルム十数本を用意。そして胃薬各種・鎮痛剤に、ケガをした時の消毒薬やガーゼ類、塩・ブドウ糖などをケースに詰めた。さらに、到着が早くて沖田食堂が開いていないランナーもいると聞いたことがあり、お湯を沸かすツーバーナー・ポット類と大型のクーラーボックスなども車に積んだ。キャンプに行くのと変わらない。飲み物などは山口に着いてから調達することにして14時に出発、走るメンバーを乗せて山口へ向かった。瑠璃光寺に着き、本部へと向かう。
大会本部、多くの大会関係者が慌ただしく出入りして、目がつり上がって、、、と思ったらスタッフは少なく、しかも意外にのんびりムード。参加者が1000人を超す大会だが、初日は250kmの300人だけだからだろうか。今日の仕事を聞くと、スタート前の荷物預かり、スタート後のコース誘導を手伝って、その後川尻岬へ移動するまで休憩ということだった。 |
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カメラを持って瑠璃光寺へと向かう。ランナーが続々とやってきた。UMMLerさんら、知り合いのランナーに挨拶したり、記念撮影したり、一部のランナーには鎮痛剤などを渡したり。でもどの顔も楽しそうで、羨ましかった。スタート10分前、コース誘導のため瑠璃光寺を出て、一の坂川にかかる橋まで移動した。
橋の欄干にUMMLer旗を掲げてランナーを待つ。18時過ぎ、第1ウェーブのランナーがやって来た。写真を撮って見送る。そしてなぜか3分後に第2ウェーブ、その後も間隔はバラバラ。今年からタイム計測用のタグが導入され、例年のように決まった時間のウェーブスタートじゃなくても直ぐにタイムがわかるからのようだった。全ランナーを見送って、19時、大会本部に戻る。 |
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本部に戻ると、相変わらずのんびりしていた。交代で弁当を食べる。少し仮眠すれば良かったのだが、五重塔がライトアップされていると聞き、カメラを持って瑠璃光寺へ向かった。ランナーが出ていった後の瑠璃光寺は、すっかり静寂を取り戻していた。夜空に五重塔が浮かび上がる。空を見れば満月。ライトアップされたこんなに美しい五重塔を知っているランナーは、あまりいないだろう。その後、川尻岬へ持っていく食料・飲み物の買い出しに行った。スーパーのカゴ3個分、計8000円ちょっとの出費。買い出しの後、大会本部に戻った。
本部にはコース全体の大きな地図が張り出してあった。そこには先頭と最後尾のランナーの位置がピンで示されていた。22時半、先頭は早くも豊田湖!?、4時間半で57km地点である。早い。因みに最後尾は下郷、早くも30kmもの差が付いていた。 |
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23時、油谷中学行き荷物を運ぶ車などとともに3台で本部を出発した。コースに沿って走ると、秋吉町付近でランナーが見え始めた。知り合いを見つけては声をかけていったが、真っ暗なので誰かわからず、通り過ぎてからそういえば今のはと気が付くことも多かった。西寺からゴルフ場横を通り石柱渓の先、ランナーは左折して豊田湖・山本ボート方面のところ、前を走っていた車は右折した。豊田湖をぐるっと回って再びコースと合流する。大羽山交差点の手前でランナーを発見し、前の車がその横に止まる。するとランナーはなぜかUターンしていった。その先で、再び同じ光景を目撃する。ひょっとして間違った指示を与えたのでは。その二人目のランナーと場所・進行方向に間違いがないことを確認。そして前の車を運転していたNさんにも地図でランナーが間違っていなかったことを説明。それからが大変だった。間違った指示でUターンしたランナーの捜索。数百m戻ったところでそのランナーを発見した。他のランナーに聞いて、再度Uターンしたそうだが、ご迷惑おかけしましたと謝った。自分も以前、間違った誘導でコースアウトしかけたことがあったが、とにかくそのランナーが、ちゃんとゴールまで戻ってきてくれることを願うばかり。
この後、俵山温泉は寄らずに真っ直ぐ砂利ヶ垰へ。こんな坂、よく走って上ったものだ。この頃、車の外気温計は11-12℃、走りやすそうだ。先頭ランナーは相変わらず飛ばしていた。大坊ダムのエイドに寄ると、15分前に通過していったとのこと。急いで海湧食堂へ向かう。途中で先頭ランナーを抜き、1時に海湧食堂着。海湧食堂の親父さんは、先頭が早過ぎて寝る暇もないとぼやいていた。 |
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5月3日 川尻岬・沖田食堂〜千畳敷〜仙崎 | |||||||||||||||
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川尻岬待機は、5時から関門の13時頃までという指示、油谷中への荷物搬入を手伝ったら海湧食堂で仮眠ということになっていた。しかしトップのランナーがあまりに早く、3時過ぎには川尻岬に着きそうな状況だったので、一睡もせず川尻岬へと向かった。
AM2:45、川尻岬着。当然、真っ暗。風はやや強いが、あまり冷え込んではいなかった。ランナーが来たら何か温かいものでも出そうと、バーナーでお湯を沸かしていたが、沸く前にトップのランナー(A319)が到着した。時刻はAM3:38。胃をやられて食べ物を何も受け付けないので、ここまでほぼノンストップで来たらしい。少し休むように勧め、胃薬を譲った。20分ほど休んで、スタートしていった。 5時前、沖田食堂が開く。5時過ぎ、2位のランナー(A131)が到着。5時台には全部で4人が来たが、その中に昨日コースを間違って教えたA100のランナーもいて、少しホッとした。沖田食堂が開いても食事の用意はまだなので、持っていったパンなどを食べてもらった。 6時、日が昇って明るくなってきた。今回、エイドをしながら全ランナーの到着写真を撮ってみようという目標があった。三脚にカメラを固定、望遠レンズでランナーを狙う。そして写真を撮っては到着時刻を確認し、チェックライターを押すように促す。6時半には女性のトップ(A44)が到着、この頃から到着するランナーも増えて賑やかになってきた。7時を過ぎて到着ランナーがどんどん増えてきた。知り合いも続々とやってきた。ビールを勧めたが、気合いが入っているのか飲まずにスタートしていった。 8時を過ぎるとさらにランナーが増えた。ピークは9時から10時台、1分に1人以上のランナーが到着。知り合いとゆっくりお喋りでもしたいが、さすがにその余裕はない。それでもちゃんと写真を撮り、到着時刻を記録していった。この時間になると250km・48時間をフルに楽しもうというのか、ビールを飲むランナーも増えてきた。胃薬や痛み止めもだいぶ譲った。リタイヤ者もぼちぼち出始め、10:20の収容バスに数人乗り込んだ。 この間、いろいろアクシデントもあった。俵島でチェックシートを落としたというランナーがいたが、幸い後続のランナーが拾って本人の手に戻った。俵島のチェックを忘れたランナーもいた。こればかりは戻ってチェックしないと完踏は認められない。俵島から油谷中方面へ戻ればそれ程のロスにはならないからと励まして送り出す。本部からは私有地に車を止めたランナーがいると連絡が入り、そのランナーを探す、、、恥ずかしいことに知り合いだった。 11時半を過ぎるとさすがに到着するランナーも減ってきた。関門の13時が迫ってきた。それでも瑠璃光寺目指し、諦めずに出ていくランナーがいる。川尻岬撤収後、後方ランナーのサポートに回ろうと決めた。13時20分、収容車が出発、川尻岬の写真を撮り、立石観音へと向かった。 |
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13時半に川尻岬を出発、油谷中で荷物の片付けを手伝い、立石観音へ向かう。後方のランナーが数人いて、立石観音でエイド。知り合いも数人にて、次は千畳敷で待っているからと声をかけた。次は千畳敷、マメで辛そうにしているランナーがいてリタイヤしようかと言う。千畳敷の収容車出発時間を教えた。千畳敷に到着、一旦西坂本エイドまで行き、再び千畳敷に戻る。川尻岬から立石観音、千畳敷周辺、アクセルベタ踏みの急坂ばかり、よくもまあこんな所、走ったものだ。来年走れと言われて、本当に走れるだろうか。千畳敷ではさすがに眠くなって、しばらくウトウトした。
千畳敷から黄波戸を経て仙崎へ。知り合いを見つけては車を止めて飲み物などを勧めた。しかしビールの売れ行きは良くなかった。仙崎のエイドに着くと多くのランナーが休んでいた。余った飲み物などをエイドに提供し、リタイヤするランナーを数人車に乗せて宗頭エイドへ向かった。 |
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本部に戻ったのは20時過ぎ、トップが戻ってくるのは0時頃だろう、それまでビールでも飲んで一眠りしよう。近くのスーパーで寿司と缶ビールを買ってきた。ところがトップのランナーが22時頃ゴールするかもしれないという情報が伝わってきた。寝る暇もない。急いで弁当を食べ、ビールを飲み、22時前、瑠璃光寺へ向かった。
瑠璃光寺のゴール、背後にライトアップされた五重塔があり、素晴らしいゴールシーンになりそうだ。ところがそのゴールにいたのは、タイム計測用チップの担当者とトップランナーの家族だけという寂しいものだった。そして22:04、トップのランナーが戻ってきた。27時間50分という素晴らしい大会記録。しかしそれを見届けたのは、家族と我々の5人だけだったのである。 |
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5月4日 瑠璃光寺ゴール | |||||||||||||||
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さかぼんさんには聞いていたが、上位ランナーを迎えるにはあまりに寂しいゴールだった。2位のランナー(A151)が戻ってきたのは日付が変わって0:11、2時間の差が付いていた。その後、3位のランナーが戻ってくるまでさらに2時間空いた。さすがにこの二日間、殆ど寝ていなかったので睡魔に襲われた。記録計測係の人も眠そうで、二人してウトウト。ガサガサ、物音で目が覚めた。目の前に3位のランナーがボーっと立っており、「ゴールはここでいいのでしょうか?」
さらに2時間空いて、4位がゴール。5時過ぎ、ようやく空が明るくなり始めた頃戻ってきた5位のランナー、コースを間違えて教えてしまったA100のランナーだった。無事完踏され、胸をなで下ろした。 |
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5時を過ぎて、C70kmやC35kmのランナーも集まってきて、少し賑やかになってきた。しばらく間が空いたので、山門下のスタート地点へ向かった。6時にD35kmがスタート、A250kmに出ていてリタイヤした知り合いは、Dに出ている奥さんと一緒に萩まで走ると言って、ゼッケンをはずして後を追って行かれた。6時半、C70kmがスタート、しばらくしてAのランナーが戻ってくるという連絡が入り、ゴール地点へ戻った。
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7時頃から少しずつA250kmのランナーがゴールし始めた。完踏証に載せる写真などゴール写真は、学生ボランティアがAとB・Cを手分けして撮るようになっていたが、心許ないので、自分でもAを中心に撮ることにした。午前中、ゴールしてくるランナーは1時間に10人もいなかった。10時頃からB140kmのランナーも戻ってきた。ゴールではチップの回収とチェックシートの確認という大事な仕事もあったが、ゆっくり写真を撮る余裕はあり、またゴールしたランナーの祝杯にお付き合いしてビールを飲んだりしていた。
12時を過ぎると次第にゴールに向かうランナーも増え、13時過ぎにはC70kmのランナーも帰ってきて、慌ただしくなってきた。14時を過ぎると続々とランナーが戻ってきて、ゴールがごった返すようになった。今年初めて導入された記録集計システムは何度かダウンした。電源が安定せずサーバーが動かなくなったためらしいが、そんなこともあってゴール地点は大混乱。それでも撮影は続けた。そして後続ランナー撮影の邪魔にならないように、ゴールしたランナーを誘導してはチップを回収してチェックシート確認と目が回る忙しさ。 しかし不慣れな学生ボランティアは写真撮影のタイミングを逃したり居眠りしたり。ゴールしてくるランナーの喜び・苦しみを知っていれば一瞬たりとも気を抜けない。過去1250kmを走った自分だからわかることで、何も知らない学生達にそれをわかってもらうのは無理なのかもしれないが、だんだん頭に来てイライラしてきた。そんな時に、記録集計用の機械を載せていたベンチが写真屋の物だったらしく、断り無く使ってと文句を言われ、ベンチを返してテーブルを移動したら、写真撮影業者(オー○○○ーツ)のカメラマンから案内パンフを勝手に持っていくなと怒られ。プロのカメラマンの道具に敵わないとわかっていたが、こうなったら全ランナーの写真を撮って配ろうと意地になってシャッターを押し続けた。仲間のゴールシーンは見飽きず感動的で、途中でフィルムが足りなくなり、知人にフィルムを買ってきてもらったりもした。しかしその一方で嫌なシーンも見たし、そういう裏側まで見てしまって、ちょっと後味が悪かった。 18時半、ようやく長かった萩往還スタッフ業務が終了した。川尻岬で10時間半、ゴールで20時間半、この間の睡眠時間はA250kmランナー並み。特にゴール地点での後半は、チップ回収・チェックシート確認などに追いまくられていた。きつかった。それでも36枚撮りフィルム16本+デジカメで、840枚もの写真を撮った。写真を見返しながら、来年こそは撮られる側に回ろう、そんな思いを強くした。 |
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