初めて晴れたが、、、第3回 萩往還練習会 2007年3月17-18日 |
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■ 第3回 萩往還練習会 | |
H19年3月18日、深夜の笠山にて(右写真) 本番では250kmの7人中6人、140km2人が完踏 |
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今回で3回目となるこの練習会、ナイトラン、寒さ対策など萩往還マラニックに向けて、すっかり恒例となった感がある。今回のメンバーは250kmエントリーが7人、140kmが2人、そして自分の10人。しかし自分だけはまだエントリーしていなかった。締切まであと3日。
例年、年が明けると萩往還に向けて走り込むのだが、病人に振り回されて、なかなか走れない。先月の東京マラソンも直前にキャンセルせざるを得なくなり、以後走る気力が全くなくなってしまった。練習不足で250kmを走ろうというのはあまりに無謀。この練習会でちゃんと走れるかどうか見極めてからエントリーしようと思っていた。しかし、その結末は、、、 第1回・雪の萩往還練習会(2005) 第2回・雨の萩往還練習会(2006) |
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萩往還マラニックの全コースガイドは、オフィシャルサイトまたはクニさんのサイトを参照下さい
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H19年3月17日 北九州〜仙崎〜宗頭〜萩 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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先日の佐賀酒蔵巡りマラニックの時に突然壊れたデジカメが、ようやく戻ってきた。予定通り14:48の電車に乗る。門司で下関行きに乗り換え、そこで高津さん・桂木さん・行広さん・なごやんさんと合流。下関からはいつものように山陰線経由で仙崎へ向かう。多少風があって寒いが、天気はまずまずのようだ。行広さんがなぜか急に、後輩のH君の話をし始めた。仕事で知り合ったからだけのことだが、そのH君のお父様は病理の教授で大学時代に講義を受けた。自分と同じ名前で、自分が五家庄で崖から落ちたその日、H教授はAMIで急死された。身代わりだったのかねぇ、なんて話をした。縁起でもない。なんでこんな話になったのか、そして、、、
長門市で美祢線からの列車に乗り換え、赤野・澤田・森田・長瀬の4人と合流した。17:40、仙崎駅に到着。昨年より1週間遅いせいか、日没前でまだ明るかった。駅近くの丸和でパンなどを買い、18時にスタートした。 |
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スタートして直ぐ、仙崎公園で記念撮影。やっぱりデジカメがあると嬉しい。風は思ったより強く、そのため、体感気温もかなり低く感じられる。その風は真横〜向かい風、この風が吹き続けたら、萩市内から笠山あたりはかなり辛そう。それでも序盤、あまり疲れは感じず、調子に乗って先頭を走る。途中、三隅駅近くで自転車に乗った子供達とすれ違いざま、ハギビトと言われた。萩人?、萩往還を走る人?
R191号に合流してコンビニで一休み。一旦、ベストを脱いだ。割合快調に走れ、宗頭には1:44で到着。ここから藤井酒店に向かって緩い上り、さらに鎖峠へと徐々に勾配がきつくなっていく。少し歩きが混じるようになり、段々とペースが落ちてきた。練習不足は隠せない。2:50で鎖峠を越えたる。 |
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鎖峠から長い下り。下りきって三見への分岐点直ぐ手前、自販機のある広い駐車場で一休み。この先も意地になって先頭を走り、3:36で三見駅に着いた。去年より20分くらい早い。のんびり写真を撮っていたら、置いて行かれた。河内第一踏切を渡り、不気味な山道へと向かう。崩れかけた鳥居やドレスを着たかかしが闇夜に浮かび上がる。しかし廃車は片付けられていた。峠を越えて海沿いの道に出る。波が高そうだ。4:45で玉江駅着。昨年、工事で使えなかったトイレがきれいになっていた。
23時半、キヌヤ越ヶ浜店に到着。レジにポットがあるのを見つけ、ここで食事することにした。全員がカップ麺、行広さんはビールを飲んでいたが、澤田さんも自分も自重した。寒かったので店内で食べさせてもらったが、ゴミを店員が片付けてくれるなど、親切にしてもらって恐縮する。23時50分にキヌヤをスタート、しっかり食べたのでしばらくは歩いた。そして間もなく、日付が変わった。 |
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H19年3月18日 萩〜笠山〜虎ヶ崎〜萩往還・・・川へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キヌヤをスタートして雁島橋へのルートは、城下町でお寺の多い一帯、昼間ゆっくり歩くと風情があるのだろうが、真夜中なのでよくわからない。萩グランドホテル角を左折、雁島橋を渡って、徐々にペースを上げる。萩焼会館前を通過、この頃から少しずつ遅れだした。何とか付いていって、越ヶ浜着。トイレで休んで明神池へ。ここで何を勘違いしたか、笠山へ左折するところを直進してしまった。逆ルートで回ればいいことなのだが、元に戻った。笠山への上り坂、雪が舞い始めた。殆ど歩いて、AM1時10分、笠山着。笠山の火口を初めて見た。記念撮影して虎ヶ崎へ。しかし足が痛み、どんどんペースが落ちてきた。虎ヶ崎でベンチにへたり込む。しかし行広さんは先を急ごうとする。仕方なく立ち上がる。しかしついていこうという体力も気力も残っていなかった。越ヶ浜に戻った頃からどんどん遅れだし、次第に先頭グループの姿が見えなくなった。萩焼会館手前のコンビニに着いた時、殆どのメンバーはエネルギー補給を完了、自分が着くと同時にスタートし、仕方なくコンビニには寄らずに付いていった。しかし直ぐにまた姿が見えなくなった。松陰神社横の川を渡った所で、高津会長・桂木さんが待ってくれていた。萩駅からワープしようかなんて話をしながら、3人でゆっくり走った。東光寺には3時20分着。
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我々の到着を待ち、行広さんは直ぐにスタート。しばらく休んで後を追う。松陰大橋は歩いて渡る。御許町交差点を左折してコンビニ休憩。萩駅でワープするならビールとおでんを買って終わろう、そんな話をしていたので、桂木さんはその通りにされた。もちろん誰もワープするつもりはない。橋本橋を渡り、真っ直ぐ行けば萩駅だが、結局左折した。ここまで来たら引き返せない、歩いてでも瑠璃光寺へ行かねばならぬ。
変電所を左折、大屋川へ。しかしこの辺りで疲れも眠気もピークとなった。涙松址の上り、眠くて蛇行し始めた。既に先行するランナーの姿は見えない。フラフラしていたら、道を外れて崖に落ちそうになる。何とか踏みとどまり、萩有料料金所・萩往還公園の休憩所に着く。時間は5時20分。昨年と比べたら、この時点で1時間半も遅れていた。行広さんはしびれを切らしていたに違いない。ここで脱落、別行動にしようと提案した。取り敢えずホテルタナカのユラリで合流できればということで別れた。ベンチで一眠りしようとしたが、、、寝たのかどうかわからない、高津会長にそろそろ行こうと声をかけられ起き上がった。 |
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駐車場裏の道を上り、萩往還へ。足はちゃんと動いた。悴坂を上り切り、下りへ。前方に人の声が聞こえる。幻聴じゃないと良いがと思いつつ、少しペースを上げる。県道に下り、再び萩往還へ入ろうかという所、前方に点滅ライトが見えた。なんだまだあまり離れていないじゃないか、そう思ったら急に元気になった。一気にペースを上げ、追いかける。ようやく追い付いた。
次の瞬間、体が宙に舞った。体中に激痛が走った。気が付いたら川の中だった。水の音が聞こえたのか、みんなが集まってきた。何とか手を伸ばし、川から上がった。全身びしょ濡れ、頭と右手が特に痛んだ。 落ちた場所は山の中の往還道、小さい川に道幅より狭い橋がかかっていた。真っ暗闇でその橋を踏み外したのだった。無事なのがわかり、他のメンバーは明木へと走り始めた。さすがにもう追いかける気力は残っていなかった。とぼとぼ歩いて下り、明木川沿いで手袋を替えた。明木の集落まで歩いた。先に着いたメンバーが1時間くらいでバスがあると教えてくれた。ここでリタイヤした。徐々に明るくなってきたが、さすがに冷え込んだ。靴下を替え、ビニール袋をかぶせてから靴を履いた。Tシャツを着替え、カッパを着た。7:07の防長バス・新山口行きに乗る。幸いがら空きで、最後部の席に座り、靴下を脱いで足を乾かした。1時間ほどで新山口駅着、猛ダッシュして新幹線に飛び乗り、9時過ぎ、黒崎に帰り着いた。 |
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■ 事故後の顛末 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
病院に戻って、X線写真を撮った。幸い頭も手も骨折はなかった。しかし頭が疼いて、1週間、走るのは休んだ。
この半年間、練習に専念できず練習量は例年の半分以下。これから1ヶ月頑張れば少しは走れるかもと言う淡い期待を抱いていたが、練習不足もはっきりしたし、今回の事故で甘く見たらとんでもないことになるということを思い知らされた感じがするし、戦闘意欲もなくなった。ようやくこれで決心が付き、今年の萩往還は断念することにした。 何となく気分的にスッキリした。そして、140kmにも70kmにもエントリーせず、ボランティアで大会を手伝い、みんなを応援することにした。 第19回山口100萩往還マラニックサポート記 |
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