第3回 玄海100kmウルトラマラソン挑戦記 2003年9月21日 |
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玄海100kmウルトラマラソンコース断面図 |
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玄海100kmウルトラマラソンの案内や写真・記録集はみのむしの東西南北駆けある記 | ||||||||||||||||||||||||
■ 平成15年9月20日 台風15号 | ||||||||||||||||||||||||
初のウルトラマラソン、サロマ湖100kmでボロボロになり、二度と走るまいと思っていたウルトラマラソンだが、日が経つにつれもう一度走ってみようかという気になった。9月開催の国東半島100km参加を考えていた時、たまたま山笠仲間から玄海100kmのことを教えてもらった。地元開催、しかも今回は自分の誕生日に開催される。二度目のウルトラマラソンは玄海100kmに決めた。
仕事を終え、JRで福間へ。福間に着いた頃から台風の影響で激しい雨が降りだした。傘を持っていないのに西鉄福間まで歩こうとしたのが間違いだった。道に迷った上にずぶ濡れとなり、結局タクシーを拾って津屋崎に向かったが、民宿「よし田」の手前で道を間違えられた。スタート前からアクシデント続きである。 宿に着いたのは17:20、受付で「明日が誕生日ですね、みんなに紹介しましょう」と言われたが、完走できなかったら恥ずかしいし、とんでもないと断った。宿ではすでにコース説明会が始まっていた。若宮から宮田、波津は仕事や釣・キャンプで何度も来ており、コースはだいたいわかっていたが、勾配のきつさは地図だけではわからない。説明会の後夕食。缶ビールを1本だけ飲んだ。夕食の時隣に座った田中行広さん、玄海100kmに合わせ米子から545kmを一週間かけて走ってきたという。初めての大会ではなぜかいつもこんな話に圧倒され、不安になってしまう。誰か話し相手でもいればと思うが、意外にUMMLerが少なく、唯一話をしたのは富士市から来た金子さんだけだった。 天気予報を聞いて、20時には布団に入った。台風は南海上を北上し、明日は晴れて26℃くらいまで気温が上がるという予報だった。外はかなり荒れているようで、途中強い向かい風を受けることになるかもしれない。咳が出るなど風邪が治りきっておらず、胃の不快感も若干残っていた。不安でなかなか眠れなかった。 |
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■ 平成15年9月21日 玄海100kmウルトラマラソン | ||||||||||||||||||||||||
スタート:宮地嶽神社 |
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AM2時過ぎに起きて3時から朝食。痛み止めのローションなどをウェストポーチに入れ、4時過ぎに宿を出発、スタッフの車でスタート地点の宮地嶽神社まで送ってもらう。
外はまだ真っ暗だった。気温はやや低いが、風はあまり強くなかった。約110名が参加するとのことだったが、何人かは3時にスタートしており、意外に少なく感じられた。ゼッケンに「今日44才」と書き、ストレッチしたりしながらスタートを待つ。 追い山に合わせたAM4:59県外参加者がスタート、そして5分遅れで県内参加者がスタートした。 |
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宮地嶽神社〜見坂峠〜脇田温泉 0→18.7km |
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スタートして間もなく、意外に体が軽く感じられた。4kmくらい走ったところで5分前にスタートした県外参加者の最後尾に追いついた。風も気にならなかった。最初の標高200mの見坂峠も一気に上り、9.1kmの峠頂上でほぼ1時間と、まずまずのペースだった。同室だった奈良の岩元さんとしばらく併走。
玄海100kmは標高170-450mの五箇所の峠を越えるハードなコースだが、日が高くなる前の涼しいうちに距離を稼いでおいたほうがいいかもしれないと思い、それまでのペースを維持したまま脇田温泉へ。脇田温泉にはいると、地元温泉街の私設エイドが出ており、もぎたての巨峰などをいただく。ここまで2時間5分、1km6分30秒くらいのペースだった。 |
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早朝の脇田温泉を山崎憲次郎さんと走る 撮影:清水タミコさん |
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脇田温泉〜間夫峠〜トヨタ九州 18.7→50.8km |
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脇田温泉は一週間前キャンプの後で来たばかり、のんびりと温泉に入りたかった。岡山から来た山崎さんと話しながら走った。温泉街から俳句の道へ。ここを抜けると最大の難所が待ち受けるが、まだ余裕があった。余裕はあっても、俳句は憶えていない。
21.5km修巌寺橋を渡って林道に入る。ここからが玄海100kmの最難関。約3kmで標高450mの間夫峠まで一気に上る。さすがにスピードが落ちた。その横をバイクに乗った年輩の男性が追い越していく。地元の人かと思ったら、カメラを持った主催者の見野さんだった。間夫一号橋を渡って峠の頂上まで残り後約1kmというところで、熊本から来た釘島さんに追いつかれた。一人だったら歩いたかもしれない峠道を、話しながら一気に走りきった。ちょっと無理しすぎたかな?峠まで上がったところで釘島さんからウーロン茶をいただき生き返った。この後力丸ダムまで釘島さん・山崎さんと3人で走った。千石峡に入って少し離されたが、それでもエイドで追いつくという程度の差だった。 しかし間夫峠で無理した影響が徐々に出始めた。千石峡を下りきったところから向かい風も日差しも強くなってきた。フル・42.2kmポイント付近、脇野橋のコンビニで山崎さんに追いつき缶ビールを一口いただいた。飲み物も買ったが、この頃から徐々にペースダウン、時々歩きが入るようになった。まだ半分も行っていないのに。特に45km過ぎのエイドから倉久にかけてがきつかった。ここで田中さん・横田さんと一緒になった。田中さんは米子から津屋崎まで一週間かけて走ってきた方である。ついてきたら時間内に完走できるよと声をかけられたが、ここは何とか踏ん張って先行する。倉久を左折してトヨタ九州横のエイドまでの上りは追い風に助けられた。 50.8kmのエイドに着いたのはスタートして5時間32分後だった。中間点のエイドということでおにぎりや豆腐、そうめんなど食料がたくさんあるのだが、病み上がりで暑い中走り、しかも水分ばかり補給していたので、どうも胃の調子が良くない。吐き気がして食べ物を受け付けない。そこにさくら道の女王・加村雅柄さんが到着。おにぎりなどしっかり食べて元気にスタートしていった。100km走るには丈夫な胃も必要なんだと思った。何とかソーメンと豆腐を流し込み、脚に水をかけて再び走り出した。 |
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トヨタ九州〜赤木峠〜田久桜公園 50.8→59.1km |
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炎天下、走り出してすぐ再び吐き気がして立ち止まる。リタイアという言葉が一瞬脳裏をよぎる。頭から水をかけて再び走り出す。赤木峠まではきつくて歩いている時間の方が長かった。標高170mと一番低いのだが、日差しを遮るものがない上に強い向かい風。峠を越えてようやく普通に走れるようになった。赤間の町に入ってスピードアップ。50kmから60kmの固定エイド間は1km7分30秒くらいで走れた。思ったほど落ち込みは大きくなく、スタートして6時間43分と関門にもかなりの余裕があった。しかし相変わらず胃の調子が悪く、果物食べても吐き気がした。この体調で残りあとフルマラソンと考えたら、気が重くなった。
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田久桜公園〜地蔵峠〜吉木 59.1→69.7km |
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赤間から岡垣へは標高180mの地蔵峠を越えるが、今回最も向かい風が強かったのがこの区間。ダラダラ続く長い上りと谷間を吹き抜けてきた強烈な向かい風で歩く時間が長くなった。ここで田中さんと横田さんに追いつかれた。二人は走ったり歩いたりを繰り返していたが、歩くのもかなりの早歩きで、自分が走るのと大して変わらないくらいのスピードだった。そこでここからしばらく二人について走ることにした。結果的にはこの早歩きとランを交互に繰り返す走り方が良かったようで、無事に地蔵峠を越えた。下りで膝などに痛みを感じだしたが、何とか吉木のエイドに到着した。ラップタイムを取り忘れ良く憶えていないが、8時間20-25分くらいではなかっただろうか。鎮痛剤のローションがなくなりかけていたので、エイドに置いてあったクリームを借りようとしたら、使いかけだから持っていきなさいと一本もらうことができた。この先成田山が控えているので、本当に有り難かった。
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吉木〜成田山〜玄界灘 69.7→82.6km |
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吉木のエイドを出てからしばらく田中さん・横田さんと一緒に走っていたが、汐入川から再び一人になった。汐入川はよくハゼ釣りに来た所で釣り人の姿を見かけたが、今日は海の方からの風が強い。河口から海岸沿いの自転車道へ、ここから向かい風が砂混じりの強烈な横風に変わり、体中砂でザラザラになった。ここで再び山崎さんに追いついた。海岸沿いの道から一般道に入ると追い風となりようやく走りやすくなった。国道を右折して成田山へ、上りにかかってすぐの私設エイドにあった缶ビールを5人で分けた。おかげで成田山の標高200m地点まで一気に登り切った。しかし下りで膝が痛み出し、ゆっくりそろそろと下りた。この辺りでは前後に殆どランナーの姿が見えず、また強風に時折雨も混じるようになって、体も冷えてきた。
成田山を下りきり、玄海の荒波押し寄せる海沿いの道に出た時は15:30頃だっただろうか、残りあと3時間、時間内完走が出来そうな気がしてきた。 |
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玄界灘〜勝浦浜〜ゴール:津屋崎 82.6→100.6km |
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台風のせいで玄界灘は大荒れだったが、追い風となるのが幸いだった。歩いたり走ったりを繰り返していたら国民宿舎ひびきの手前で前村さん・野口さん等女性三人組に抜かれた。何でこんなに元気があるのだろうと不思議に思いつつ、離されまいと意地になって走り、何とか鐘崎・上八のエイドにほぼ同時に到着したが、AM3時のアーリースタートがあったことは後日知った。残り15kmで2時間半はある。半分歩いても間に合うだろう。少し余裕が出て食欲が回復しソーメンをお代わり、果物をほおばった。ゆっくり休んでスタート、さつき松原から釣川まではゆっくりだがずっと走り続けた。釣川を渡って残り10km、時間内完走を確信した。
ウミガメ産卵の地、勝浦浜入口のエイドには16:50に到着。水をもらって最後のクライマックス、勝浦浜の砂浜へ下りる。夕陽には少し早かった。制限時間ギリギリの方がよかったのかな?こんなこと考えられるのも、ここまで走ってきて残り1時間30分という余裕があればこそ。波打ち際の砂が固いところを走る。濡れても砂が入ってもお構いなし。日焼けした足に砂が当たって痛かったが、強烈な追い風に後押しされ、気持ちよく3kmの砂浜を走りきった。 海岸を上がって、最後のエイド。ここからゴールまでの5kmが何もない単調な舗装路で、かなり長く感じられた。民宿街からスタートして、砂浜でゴールなんてできないものだろうか。 津屋崎の町に入ってあと600mの声がかかった。民宿街への道へと右折、前方にGOALの赤い横断幕が見えた。先にゴールしたランナーやスタッフから拍手で迎えられ、12時間47分05秒でゴールした。体調不良・練習不足と不安材料ばかりだったので時間内完走は本当に嬉しかった。 |
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■ 平成15年9月21日 懇親会でヒーローに? | ||||||||||||||||||||||||
ゴール地点で後続のランナーのゴールを見守った。田中さん・横田さんも時間内に完走された。きつかった時にずーっと付いていって助けられた、その御礼を言い、ガッチリと握手。部屋に上がって夕陽の写真を撮った。夕陽館の温泉に入り、汗と砂を流した。
19:30から隣の民宿「若草」で懇親会。福岡ウルトラマラソン倶楽部・見野さんの乾杯の音頭で懇親会が始まり、次いで成績発表。トップのランナーは10時間8分、このコースの厳しさを物語っていた。小さな大会だけに、懇親会は見野さんの南京玉すだれなどで大いに盛り上がった。突然部屋の電気が消され、バースデーケーキが出てきた。自分の誕生日のために主催者が用意してくれたものだった。ハッピーバースデーの大合唱でみんなに祝ってもらうなんて思ってもみなかった。リタイアしなくて良かった。感激のあまり、きつかったことも忘れ、来年以降の参加を宣言してしまった。この後「よし田」で二次会となったようだが、翌日仕事で早起きしなければならず、二次会には出ず部屋に戻った。 懇親会では大庭さん・前村さんから北九州ウルトラランナーズクラブのことを教えてもらい、練習会に参加することにした。今回の玄海100kmがウルトラマラソンにのめり込むきっかけとなったことは間違いない。 |
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津屋崎海水浴場の夕陽。ゴール後民宿よし田にて撮影 |
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■ 平成15年9月22日 100km走ると−−−血液検査 | ||||||||||||||||||||||||
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■ 平成15年10月21日 31位 | ||||||||||||||||||||||||
みのさんのホームページ(みのむしの東西南北駆けある記)にタイム表が掲載された。参加者全体では107人中31位だった。107人中完走は70人で65%、13時間30分の時間内完走者は43人で40%という完走率だった。
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Running Diary 2003 Ultramarathon Photo Gallery by U-san |
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