ウルトラマラソン初挑戦の年となった2003年、最初の大会はいつものように「いぶすき菜の花マラソン」。今年は珍しく好天に恵まれましたが、体重増加と筋肉痛と練習不足のため残り4kmで息切れ。
しかし6月のサロマ湖に向けて少しまじめに走っているせいか、4月の「さが桜マラソン」で自己記録を大幅更新。 サロマ湖に向けて走り込んだ5月、新しい靴に替えて右足を故障。 そして初めて100kmに挑戦することになった「第18回サロマ湖100kmウルトラマラソン」。前半快調に走るも、後半傷めた右足が痛み出し大幅にペースダウン。何とか完走したものの、嬉しさよりも悔しさの方が大きいウルトラマラソンデビュー戦だった。 44才の誕生日には「玄海100kmウルトラマラソン」に参加。感動・感激の懇親会で北九州URCメンバーと知り合い、早速入会した。 二度のウルトラマラソン完走後、張り切ってフルマラソン4大会にエントリー。一時はギックリ腰に苦しめられたが、最後の青島太平洋で自己ベストを記録した。 |
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平成15年1月 菜の花マラソン前の悪あがき | ||
■ 平成15年1月1日 一年の計、いやケガは元旦にあり |
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例年大晦日の年越しランニングで新年を迎えるのだが、H14年の大晦日は昼間のうちに畑貯水池まで22km走っていた。
H15年元旦はまずまずの天気だが、風がかなり強い。恒例の?畑〜河内の峠越え35kmでH15年は始まった。一緒に走ってみたいと言う知人がいたので楽なルート、すなわちいつもとは逆に大蔵から河内に上がり畑に抜けるルートにした。楽なコースにしたが、ちょっと走るとすぐに差が開いてしまい、待っている間に体が冷え切ってしまう。時間は4時間ちょっとで、いつもより1時間以上遅い。元旦早々こんなことではいかんと思い、2日は一人で畑〜河内の峠越えをした。いつも通り畑から河内に抜けるルートで、さすがに二日連続はきつかった。3時間18分もかかってようやくゴールしたが、これを走りきるとウルトラマラソン走れるのではないか、ふとそんな気がした。 12/31〜1/2の三日間で合計92km走ったのはいいが、代償も大きく、結局この後二日の休み、その後も筋肉痛に悩まされることになった |
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■ 平成15年1月10日 冷や汗−−−宿泊日を間違えた! |
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正月の二日連続峠越えはかなりのダメージとして残った。マラソン前の一ヶ月で17日294km走っているが、平均すると17.3km。悪あがきとしか言えず、また体重の増加が疲労と筋肉痛につながっているのは明らか。スピードも1kmで10-15秒落ちている。一度も1km4分台前半で走れることなく、菜の花マラソン本番を迎えることとなった
明日指宿に出発という10日の夜、JRのチケットや宿泊券をチェックしていたときに、とんでもないことに気が付いた。宿泊日を間違えて予約していたのである。慌ててホテルにTelして、何とか変更してもらえた |
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平成15年1月12日 第22回 いぶすき菜の花マラソン | ||
■ 平成15年1月12日 好天に恵まれた菜の花マラソン |
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1/12朝食を済ませ部屋に戻ると、ちょうど太陽が顔を覗かせていた。例年にない好天、気温が上がりそうで、スタート前に薄めたVAAM500mlを飲んだ。 8時に会場で受付。年々参加者が増えているのだろうか、参加賞のTシャツはLLしか残っていなかった いつものように後方からスタートしたが、今年はスタート地点通過が5'40"、その後もなかなか前に出られず、5km通過は29'00"で、昨年より2分ほど遅れていた。この後徐々にペースを上げたが、5km25-26分とやはり昨年より遅くなっていた 天気はいいが、幸い風があるのであまり暑さは感じなかった。それでも給水ポイントでは水・ジュース・スポーツドリンクやミニトマト・イチゴなど水分補給に徹し、固形物は摂らなかった 35kmのJR山川駅前にダッチオーヴン仲間の大平さんが応援に来てくれていた。その35kmからが菜の花マラソン最後の難関。さすがに練習不足がたたって、最後の坂を上りきったときに余力は残っていなかった。残り4kmで足が動かなくなった。こんな時に沿道の声援が心強い。何とか4時間を切る、3h47m11sでゴールした。スタート地点通過から3h41m30sと昨年より6分半も遅くなっていた ゴール後いつもより1時間早い「つばめ」に乗り、水俣で途中下車。ダッチオーヴン仲間の待つ湯の児温泉「三笠屋」に向かった |
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■ 平成15年1月31日 雪・スキー・故障 |
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菜の花マラソン後、雨に雪にと天気が悪く、走れない日が多かった。1月26日は一年ぶりのスキー。ところがスキーでこけて手を傷め、シーネ固定を余儀なくされた。結局マラソン後、走るペースは元に戻ってしまった。月間300kmは難しい。ウルトラマラソンを考えると、最低でも250km走っておきたいが、、、
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平成15年2月 | ||
■ 平成15年2月17日・大吉 サロマ湖100kmエントリー |
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1月後半は走れず、また不摂生もたたって、肝機能が悪くなっていた。2月に入り相変わらず雨や雪の日が多かったものの、その割に結構まじめに走り、2/2の峠越え35kmをはじめ、2/17の時点で10日154kmになった。今月も何とか200kmは超えそうだが、しかしスピードが出ない。
不安を抱えつつ、サロマ湖ウルトラマラソンにエントリーした。もちろん100kmは今回が初めて、 |
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■ 平成15年2月28日 目標毎月200km |
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例年、この時期はスキーに行ったりで、走れない日が多くなる。しかし今年はサロマ湖にエントリーしたので、毎月最低200kmというのを目標にした。本当は月間300km位は走りたいのだが、、、
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平成15年3月 | ||
■ 平成15年3月22日 膝を打撲 |
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少しずつ暖かく走りやすい時期になったが、アウトドアもこれから本番。少しでも時間を見つけて走り込んでおきたいが、今月からダッチオーヴン関連イベントも目白押し。それでも21日までに193km走り、そのうち2回は峠越えの35km、12kmのジョギングではようやく1km4分前半で走れるようになってきた。昨年を上回るペースに気をよくしていたのだが、、、
クックオフに出かける準備をしていた時だった。七輪やDOテーブルなどが入った24-5kgあろうかというRV Boxを持ち上げ損ね、右足をぶつけた。ぶつけた時は気にならなかったが、翌日膝の横が腫れ、走ることができなくなってしまった |
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■ 平成15年3月31日 250km |
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右足の打撲でスピードは抑えているが、距離は順調に伸び、31日に17km走ってちょうど250kmとなった。今年に入って既に700kmを超えているが、ちなみに昨年700kmを超えたのは6月に入ってからだった。
問題はイベント目白押しの4月に目標をこなせるかどうかだが、、、 |
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平成15年4月6日 第14回 さが桜マラソン | ||
■ 平成15年4月6日 レース当日靴を替えて・・・自己記録更新 |
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ちょうどこの日は病院開設十周年。記念すべき日にハーフとフルで合計10回目のレースとなった
6月のサロマ湖に向けて昨年より走り込んでいたが、足のマメが気がかりだった。当日会場に着くと、ランナーズのブースでウェアや靴などの安売りがあった。定価13500円のアシックス・ターサーTJR206が7800円。思わず買ってしまった。ワイドモデルではないので26.0cm。レース当日に新しい靴を買ってそれで走るというのは無謀!吉と出るか凶と出るか。ウォーミングアップを兼ねて1.5kmほど走ってみたが、非常に軽い。体調も良さそうだ。10時に10kmの部がスタート、10kmに参加している特別招待選手の高橋尚子さんを見て、それからスタート地点へ。晴れているが風があるのであまり暑くは感じない 10時15分スタート。確かに体は軽い。調子に乗って最初の2kmが9'38"、最初から1km5分を切った。その後も1km4'10-30"というペースで走った。足のマメは多少痛んだが、それよりオーバーペースが気になった。それでも13kmで招待選手、アトランタパラリンピックで活躍された柳川さんに追いついた。残り5kmで1km4分台後半に落ちたが、1h33m29sでゴールした。自己ベストだった。2000年に初めてハーフを走ってからタイムは遅くなる一方だったが、6月のサロマ湖に向けた走り込みが功を奏したようだ。帰宅して過去の記録を見たら、6分以上の短縮だった |
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■ 平成15年4月8日 突然の結膜炎 |
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ハーフの自己記録を大幅に短縮、気をよくしてそろそろトレーニングを再開という時にまたもアクシデントが発生した。右目に何となく違和感があって目薬を差していたのだが、4/9朝瞼が腫れ上がった。右目だけかと思ったら、左目にも広がり、目は霞んで仕事にならない。慌てて同級生の眼科医に診てもらい、最悪のEKCだけは否定できたが、しばらくトレーニングを休まざるを得なくなった。そしてその後、なぜか調子が戻らず、スピードが極端に落ちてしまった
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■ 平成15年4月30日 イベント疲れ |
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例年この時期ダッチオーヴンのイベントで忙しくなる。今年は参加者が増え準備に忙しかった。去年はこの時期2週間も休んでいるが、6月のサロマ湖を考えると、休んでいるわけにいかない。少しでも時間が取れれば雨でも走るようにした結果、何とか250kmに到達した
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平成15年5月 サロマ湖に向けて走り込み | ||
■ 平成15年5月3日 初めての64kmに打ちのめされる |
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イベントが終わって一段落のGW、天気も良く50kmを越える距離に初めて挑戦した。コースは自宅から畑貯水池〜河内貯水池の峠越えで実家までの往復約64km。標高差は320mくらいだろうか。特に往きは畑貯水池から峠までの5kmで一気に200m登ることになる。今日ばかりはちゃんと水・軽食・小銭・携帯持参でスタートした。普段よりだいぶペースは抑えた。それでも日差しが強く消耗する。途中水分補給したりパンを食べたりで小休止しながら、のろのろ走る。平均したら1km6'30"くらいのペースだが、後半はさすがに1km7分を超えた。7時間3分でようやくゴール、100km走るのが怖くなってきた
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■ 平成15年5月16日 200km |
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GWに64km走った翌日も休まずに走った。筋肉はかなりダメージを受けたようで、検査してみると異常値だらけ、少し貧血も出てきている。そのためか疲れが取れずスピードも出ない。ほぼ一日おきに12-21km走っていた
11日は休みが取れたので畑〜河内の35km。後半ばててよれよれになっているところで一人のランナーと出会った。名前は香野さんといい、私より20才くらい年輩の方だった。今年のサロマ湖に出る予定と聞いて急に元気を取り戻し、その後3kmほど一緒に走った。サロマ湖での楽しみが出来た。翌日以降もまじめに走り、5/16には月間200kmに到達 5/17・18は関西でダッチオーヴンクックオフ。このイベントにもランナーが参加している。愛知から来た浅井さんとはいびがわマラソンといぶすき菜の花マラソンに一緒に出る約束をした。そしてもう一人は、山内武さん、大阪学院大学陸上部で高橋尚子さんを指導された方で著書も多い。いろいろな出会いがあり、走るぞという意欲が湧いてくる しかしさすがに疲れがたまって、この後一週間はかなりのスローペースとなってしまった |
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■ 平成15年5月24日 二つの靴 |
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走る距離が増えるにつれ、靴の消耗が早くなる。それとややきつくてマメができやすいのが気になっていた。知り合いが靴をプレゼントしてくれるというので、アシックス・サロマLSD-IGS・TJR603を注文した。スーパーワイドの25.5cm。十日ほどで品物は届いたが、何となくもったいなくて練習用にもう一足買った。これまたアシックス・GEL-1080MILLE-SW・TJG799。早速走ってみたが、疲れがたまってペースが上がらず、、、違いがわからなかった
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■ 平成15年5月31日 台風接近 |
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新しい靴が届いて1週間、TJR603で95km、TJG799で31km走った。同じサイズでありながら、サロマLSD-IGSは左外顆に当たって痛い。我慢して無理して35km走ったら、右足まで傷めた。サロマ湖まで1ヶ月の5/29で月間350kmに到達したが、この時期には珍しく台風が接近し、傷めた足にはちょうどいい休息となった
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平成15年6月 | ||
■ 平成15年6月4日 手術 |
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このところトレーニング時にはアシックスGEL-1080ばかり履いている。今のところ一番足に合っているような気がする
それに対してサロマLSD-IGSはどうしても左外顆に当たる。短い距離でも痛くなる。そこで思い切って同期の整形外科医のところで手術を受けることにした。もちろん足ではなく靴の方である。外顆に当たる部分をカットしてもらうのだが、果たして手術の結果は・・・ |
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■ 平成15年6月19日 再手術の結果は? |
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外顆に当たる部分をカットしてもらったサロマLSD-IGSが6/13に届いた。しかしやはり痛い。中の芯(?)が固いようである。そこでギリギリまでカットしてもらうことにした。再手術を受けたサロマLSD-IGSは台風6号の直撃を受けた6/19に届いた。本番まであと10日、足に馴染んでくれるだろうか
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■ 平成15年6月23日 壮行会と貧血 |
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壮行会という名目の飲み会が続いた。元々貧血気味だったが、Hb12.7g/dlとやや悪化している。梅雨でトレーニングも出来ず体重も2kgくらい増えている。こんなことで完走できるのだろうか?
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■ 平成15年6月26日 あと三日 |
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本番まであと三日、12km軽く走ってトレーニングを終えた。今月も何とか250kmに到達したが、今月走った一番長い距離は35km、先月に比べたらだいぶ少ない。幸い手術を受けた靴の方は、だいぶ足に合ってきた感じがする
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平成15年6月29日 第18回 サロマ湖100kmウルトラマラソン | ||
■ 平成15年6月28日 サロマ湖に向けて出発 |
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AM5:30起床、前日仕事で遅くなり3時間くらいしか寝られなかった。8:20福岡空港を発ち、関西空港で乗り換え、12:20女満別空港に着いた。雨の九州から、快晴の北海道へ。暑くなるのだろうか。
空港からバスで湧別の受付・前夜祭会場へ。バスで2時間近くかかった。途中サロマ湖が見えてきた時にはあまりの大きさに息をのみ、急に不安になってきた。 受付を済ませてから会場内を一回り。アシックスのブースがあったので靴のことをいろいろ聞いてみた。名物のホタテを焼きながらビールを飲む。前夜祭にも行ってみたが、人が多くて食べるものは殆どなくなっていた。UMMLメンバーも見つけられなかった。 18:00民宿笠井に到着、早速夕食。ここでもビールを飲んだ。サロマンブルーメンバーが二人いたので話を聞いてみたら、フルマラソン4回走るつもりでいなさいと言われた。寒さ対策が必要とも言われ、中間点での着替えに長袖のウェアを用意することにした。20:00就寝 |
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■ 平成15年6月29日 初めての100kmで足はボロボロ |
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AM5:00初めての100kmウルトラマラソンがスタートした。初めてなのでペース配分は全くわからない。前半の目標は1km6分、10km1時間、無理せず抑えて走ることにした。しかし困ったことに時計のバッテリーが切れ、ラップタイムが全くわからなくなった。それでも10km58-60分のイーブンペース、足の痛みも感じることなく、まずまず順調に走れた。こまめに給水や給食も摂ったが、それにしてもトイレが近い。 UMMLのTシャツを見つけては挨拶して会話するなど余裕もあった。10-20kmにかけては岡野さんやjkさん、40km過ぎでドンガメオーさん、50km手前でマユサさんらに会った。42.195km通過は4h12m、50kmもほぼ5時間で通過して、緑館に到着。雨で濡れたウェアと靴下を替えたが、靴も替えるかどうかで悩んだ。結果的には替えなかったのは失敗だったかもしれない。濡れた靴で足が冷え切って動かなくなった。練習で傷めた右足も痛み出した。かなりペースダウンしたが、バッテリー切れでラップタイムがわからず、よけいに不安になる。60km以降の関門で1時間以上の余裕はあったのだが、だんだんそれも小さくなっているような気がしてきた。一旦休むと足が痛くてなかなか走り出せなくなる。歩いているのと変わらないくらいのペースになってきた。何とか鶴雅リゾートまで辿り着いて、お汁粉やスープで体を温め、ストレッチ。しかし右足の状態はだんだん悪くなってきた。しばらくマユサさんの後をついて走っていたが、78kmで急に右膝に激痛が走った。力が入らない。ここから先はボロボロだった。歩いて走って止まってを繰り返す。 80kmを過ぎていよいよクライマックスのワッカ原生花園へ。エゾスカシユリやハマナスが咲き乱れるが、細かなアップダウンがあって、傷めた右足にはかなりこたえる。下り坂はどうしても歩いてしまう。ゆっくり足を休めて花を眺めていたいが、タイムがわからず全く余裕がなくなっていた。90kmの関門を通過、ここまで来れば早歩きでも間に合うはず。残り2kmを切った。足は痛かったが、ゴールまで休まず走った。ゴールの時計は17:31、スタートして12h30mが経過していた。最後はひとりずつゴールテープを切って、初めての100kmウルトラマラソンが終わった。 民宿に荷物を取りに行く。階段がきつい。ゆっくり風呂にでも入ってビールでも飲みたかったが時間がない、バスで網走駅に向かい夜行に乗ってスタッフの待つ札幌へ。 完走した喜びはあまり沸いてこなかった。体が疲れ切っているわけでもない。右足の故障で後半大幅にペースダウンしたことが悔しかった。それと、、、網走駅周辺で缶ビールを売っている店を見つけられず祝杯を上げられなかったのが悲しかった |
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平成15年7月 サロマ湖が終わって | ||
■ 平成15年7月9日 右足故障 |
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サロマ湖ウルトラマラソンに参加後、札幌〜富良野〜釧路〜知床などを回って帰ってきた。サロマ湖が終わって10日、左足はどうもないが、右足が痛む。足関節を中心に、右下腿前面が少し腫れている。なかなか痛みが引かないので、同期の整形外科医を訪ねた。幸い疲労骨折は無く、右前頸骨筋と伸筋支帯の部分の炎症だろうということになった。ゆっくり休めばいいのだろうが、今日から博多の山笠が始まる。
今日はお汐井取りなので、ゆっくり5kmくらい走るだけだが、それでも痛みがある。本番追い山では無理しない方がいいのだろうが、骨折したまま5km走ってしまったこともあるし。 山笠は恵比須流綱場町から出させていただいている。この綱場町に数人ウルトラランナーがいることを今日初めて知った。中には阿蘇カルデラスーパーマラソンに8回出たという強者もいる。こういう仲間と知り合うと、俄然やる気が出てくるのだが、、、当面足を休めることに専念した方が良さそうだ |
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■ 平成15年7月15日 地下足袋にもエアー!? |
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7月12日博多祇園山笠追山馴らし。始まると足が痛いのを忘れて山についてしまう。地下足袋に中敷きを入れてはいるが衝撃がダイレクトに伝わってくる。そんな時に秘密兵器を教えてもらった。ヒールにクッションの入ったその名も「エアージョグ」、山笠専用の地下足袋である。13日の集団山見せで早速履いてみた。確かに衝撃は和らぐ。
そして15日追山。当然山足は速い。エアージョグ履いてはいたが、右足は腫れ上がってしまった |
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■ 平成15年7月25日 サロマ湖100km完走証 |
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長梅雨である。しかし痛めた足にはちょうどいい休息となっている。
あまり見たくはなかったが、サロマ湖100kmウルトラマラソン完走証が届いた。前半は10kmほぼ60分のイーブンペースだったが、足が痛くなった55km以降徐々にペースが落ち、10km90分前後。90kmからの最後の10kmは107分もかかっていた。悔しい。絶対にリベンジしてやる |
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■ 平成15年7月29日 トレーニング再開 |
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サロマからちょうど一ヶ月たった7/29、珍しく朝早くに目が覚めたので走りに出た。ゆっくりと8.5km、サロマ後本格的なトレーニングは今日が最初。随分長いこと休んだが、おかげで足の痛みはなかった。それにしても故障が原因とは言え、月間50kmを切ったのは実に3年ぶり
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平成15年8月 猛暑と長雨 | ||
■ 平成15年8月10日 さぼり癖 |
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サロマ湖が終わって燃え尽きたわけではないだろうが、10月のシティマラソン福岡まで予定はない。暑さも加わって走りに出ようという気が起こらない
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■ 平成15年8月28日 玄海100kmエントリー |
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地元福岡にウルトラマラソンがあることは、博多の山笠仲間から教えてもらった。玄海100kmウルトラマラソン、コース図を見ると全部で五つの峠越えというタフなコースである。九州では9月に国東100kmマラソンもある。しかしエントリーするかどうか迷っていた。というのもサロマ湖以降足の故障もあって長い距離を走っておらず、自信がなかったのである。エントリーするかどうか長い距離を走って決めようと思い、8/24久しぶりに22km走った。しかし炎天下ということでいつもより40分以上遅くなってしまった。8/27には峠までの往復32km、しかしこれまた3h20m。
散々迷って、44歳の誕生日に開催される玄海100kmウルトラマラソンにエントリーした。スタートが追山と同じAM4:59というのも決めた理由。しかし練習不足と暑さと体重増加で、大ピンチ |
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■ 平成15年8月31日 減量苦 |
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この夏は記録的な冷夏・日照不足だった。月の初めは猛暑、その後台風が来て、それからは前線が居座って雨の日が多かった。レース前だと雨でも走るのだが、それがないと怠けてしまう。玄海100kmエントリーを決めたのは月末、その前後から少し走り込んだが、この間体重はサロマ湖前に比べて4kgも増えていた。こんな状態で無理して走れば、当然足を痛める。誕生日のウルトラマラソンで初リタイアか、、、
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平成15年9月21日 第3回玄海100kmウルトラマラソン | ||
■ 平成15年9月13日 2000km |
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今年ウルトラマラソン挑戦を機に、月間100kmから200kmに目標を変えた。サロマ湖参加後、故障でトレーニングは激減、8月以降も満足に走れなかった。本当は月間300kmくらい走っておきたかったのだが、天気には勝てなかった。予定よりかなり遅れて、9/13年間2000kmを超えた
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■ 平成15年9月20日 直前にカゼをひく |
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連休は山笠打ち上げキャンプで千石峡に行った。今度の玄海100kmウルトラマラソンの40km手前になる。この頃から朝晩だいぶ涼しくなってきた。疲れが出たのか、カゼを引いた。咳がひどくなり、早く治そうとあれこれ風邪薬を飲んで下痢をしたりと体調は最悪。レース前1ヶ月で233km、その前は足の故障で殆ど走れなかった。無理して倒れて新聞に載ったらどうしようなどとスタッフと冗談を飛ばしたが、そうならないとも言い切れない。不安を抱えたまま、津屋崎へ向かった
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AM2時過ぎに起床、3時に朝食を摂って、4時過ぎにスタート地点の宮地嶽神社へ。気温はやや低いが、風はあまり強くなかった。AM4:59県外参加者がスタート、次いでAM5:04に県内参加者がスタート。意外に体が軽かった。この玄海100kmのコースは標高170-450mの五箇所の峠を越えることになるのであまり無理はしたくなかったが、暑くなる前に距離を稼いでおこうと1km6分30秒くらいのペースで走った。最初の見坂峠を越え、脇田温泉まではほぼ予定通り。ここから最大の難所間夫峠への上りにかかる。きつくて歩いてしまおうかという時に後続のランナーに追いつかれ、話をしているうちに間夫峠450mを登り切った。ここから力丸ダム・千石峡へと下っていくが、40kmを過ぎようかという頃から間夫峠で無理した影響が出始めた。向かい風も日差しも強くなり、50kmのエイドに何とか辿り着いたものの、吐き気がして食べ物を受け付けなくなった。
頭と足に水をかけ、赤木峠に向かう。歩いたり走ったりを繰り返し、60km。赤間を出て地蔵峠を通り吉木へ。この辺りが今日一番向かい風が強かった。田中さん・横田さんと早歩きとランを交互に繰り返しながら峠を越えた。70kmのエイドで鎮痛剤のクリームをもらい、海岸沿いの自転車道へ。この先最後の難所成田山だが、強烈な向かい風から追い風に変わり、少し足も動くようになってきた。成田山の上りでビールを一杯飲み、一気に登り切る。膝が痛くなって下りでスピードをセーブ。大荒れの玄界灘を横に見ながら鐘崎へ。時間内完走が見えて安心したからだろう、食欲も回復してきた。ゆっくり休んで最後の15kmへ。スタートして11時間45分、最後のクライマックス勝浦浜の砂浜へ。足に当たる砂が痛かったが、強烈な向かい風に後押しされ、3kmの砂浜を走りきった。最後の単調な舗装路も走りきって、12時間47分でゴールした。 誕生日のウルトラマラソン完走は本当に嬉しかったが、レース後の懇親会ではもっと感激することが待ち受けていた。バースデーケーキが用意されていたのである。みんなに祝ってもらい、最高の誕生日となった。そして来年以降の参加も誓ったのだった。 |
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玄海100kmウルトラマラソンの翌日採血してみたら、CPK5568U/L、正常上限の24倍だった。それでも三日後からトレーニングを再開した。筋肉痛は残っているがサロマ湖後1ヶ月走れなかったことを考えれば、今回の方がハードなコースだった割にダメージが少ない。しかし今月は13日で268.6km、玄海100km以外ではトレーニングで168kmしか走っていない。そのせいかスピードが落ちている
タイミング良く北九州ウルトラランナーズクラブの会報が届いた。届けてくれたのはすぐ隣のマンションに住む二宮さん、同じ玄海100kmに参加された方である。鱒渕マラソンに備えた練習会は10月12日。場所は畑貯水池で、貯水池周回コースを8周となっている。一周が5.3kmなので、フルの練習でフルを走る?楽しみというより怖くなってきた |
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平成15年10月5日 シティマラソン福岡2003−−−秋のフルマラソンに向けて | ||
■ 平成15年10月5日 シティマラソン福岡−−−自己ベストならず |
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さが桜マラソンからちょうど6ヶ月ぶりにハーフマラソンを走る。この半年間ウルトラマラソンに二回参加した。100kmマラソンはハーフ・フルマラソンのレベルアップにつながるだろうか?一緒に走った人にいろいろ聞いたが、答えはまちまちだった
シティマラソン福岡は5000-6000人のランナーが参加する。スタート後の渋滞に巻き込まれたら、前に出られない。しかし今日もまた後方スタートとなってしまった。スタート後5kmまでは1km5分がやっと。それから徐々にスピードアップし、後半は1km4分30秒前後で走った。しかし前半のスローペースがたたって、1時間44分台でのゴール、ネットタイムは1h39m50sだった。100kmのトレーニングがスピードアップにつながらないということがよくわかった |
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北九州URC練習会に初めて参加した。9:30会場に着いて挨拶、正式に入会することにした
この日の練習会は鱒渕マラソンに備えて、畑貯水池を8周する。10時にスタート。畑貯水池周囲の歩道は廃タイヤのチップが敷き詰められ走りやすいが、中にはいると曲がりくねって一部は砂利道。いつものトレーニングコースだし、と甘く見て軽い靴を選んだのが間違いだった。前半1km5分のイーブンペースをキープしたが、8周ともなると徐々にダメージが加わって右足が痛み出した。後半は徐々にペースダウン、最後はついに1km8分台まで落ち、4hr20minでゴールした。参加した男性の中で最下位、しかもこの後4ヶ月、右足痛に悩まされることになった。散々な北九州URCデビューとなった。 |
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北九州URC練習会で痛めた右足がよくなり、17日から鱒渕マラソンに向けてトレーニング再開。ようやく1km4'30"前後のペースで12-32km走れるようになった。体重も落とせ、万全の体調で臨めると思っていたのだが、、、
10月25-26日は恒例のダッチオーヴン関西クックオフ。会場は大阪の能勢町で、北九州から570km。重たい鉄鍋を運んで、無理して長距離運転したせいか、クックオフ当日の朝、起き上がろうとした時激しい腰痛に襲われた。何とか我慢して料理は作ったものの、帰りのフェリーでは寝返りも打てなくなった。歩けない、立ったり座ったりが辛い、じっと座って仕事するのが辛い。鎮痛剤も湿布も効果なく、10/29同期の整形外科へ。腰椎には異常なく、ギックリ腰ということになった。ホットパック・電気治療で少し痛みは和らいだが、体を曲げたりすると痛みが走る。11/2の鱒渕マラソンを棄権することにした。何とか11/9のいびがわマラソンに間に合わせたいが、、、 |
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■ 平成15年10月31日 棄権撤回 |
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毎日電気治療・ホットパック・牽引を受けていたおかげでだいぶ痛みは和らいだが、6日間練習を休みこの間体重が2-3kg増加。コルセットをしているせいで脚が浮腫んでいたのだった。10/31夜12km走りに出た。腰をかばいながらゆっくり走った。浮腫んだ脚が重かったが、幸い腰痛は気にならなかった。腰痛と練習不足で途中リタイアの可能性もあるとわかってはいたが走れるところまで走ってみようと、予定通り鱒渕マラソンに参加することにした
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Top 1-2月 3-4月 5-6月 7-8月 9-10月 11-12月 | ||
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平成15年11月2日 鱒渕マラソン | ||
■ 平成15年11月2日 鱒渕マラソン−−−腰痛と浮腫と下痢 |
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前日PCのトラブルで帰宅したのは0時前。体調も決してよくないが、それでもちゃんとAM6時に目が覚め鎮痛剤を飲んで出発した。8:30会場に到着、受付を済ませて北九州URCのテントへ向かった。「ぎっくり腰で途中リタイアするかもしれない」と言い訳をしておいて、腰をストレッチ。9:30過ぎスタート地点へ移動。晴れて蒸し暑く、移動だけで汗をかいた。
10:00フルマラソンがスタート。最初熊本さん、大庭さんと一緒に走っていたが、しばらくしてバラバラになった。腰の痛みは殆どなく、それより練習不足と暑くなるのが心配だった。こまめに給水を取りながら、最初は5km25分35-45秒くらいのペースで走っていた。練習不足の影響で、15km過ぎ5km25分56-58秒と若干ペースダウン、時々腹痛も感じ始めた。玄海100kmのTシャツを着ていたからだろう、20km過ぎで年輩のランナーに声をかけられた。フル男子70代でエントリーされている大神さん(博多湾RC)。玄海100kmの話をしながら大神さんに引っ張られるようにしてペースを上げた。2-3km一緒に走っただろうか、それから徐々に引き離された。異変を感じたのはこの後だった。急に腹が痛くなり、28km付近のトイレに駆け込んだ。暑くなり水分ばかり補給していたからだろうか。しばらくトイレでしゃがみ込み大きくタイムロス、再び走り出すも筋肉はカチカチ、脚をつりそうになった。この25-30kmは32分26秒、1km平均6分30秒を要した。このままでは4時間切れるかどうか。幸い最後の周回に入って脚の痛みは軽くなり、少しペースを上げた。最後は1km5分50秒前後で走り、3時間55分30秒でゴールした。腰痛に浮腫に下痢にと散々な体調だったので、サブフォーをクリアできたことに一安心 |
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平成15年11月9日 いびがわマラソン | ||
■ 平成15年11月8日 名古屋へ |
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鱒渕マラソン後腰痛は悪化しなかったが、少し違和感があり3回ほど外科でホットパック・牽引などを受けた。11/6・7と12kmずつ走ったが、疲れが残っているのか60分前後を要した。不安を抱えたまま、名古屋へ向かう。仕事を終え、のぞみに乗り、尾張一宮までちょうど4時間だった。尾張一宮でダッチオーヴン仲間の浅井さんと会い、近くの店で前夜祭。二人で生ビールピッチャー2杯+αを空けたが、飲み過ぎか?
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■ 平成15年11月9日 いびがわマラソン−−−初の二週連続フル |
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朝、雨音で目が覚めた。一宮を出発した頃はまだ小降りだったが、揖斐川に着く頃から大粒の雨になった。二週連続でフルマラソンを走るのは今回が初めて、しかも腰痛があり、土砂降りの中を走りたくはない。幸い気温16℃と高く、スタート直前には雨も上がった。10:30フルマラソンがスタート。
雨が上がると逆に蒸し暑くなってきた。脚の調子もいいとは言えず、スタート直後の渋滞もあって、最初の5kmは27分30秒もかかった。 町中を抜けると揖斐川沿いを走るようになる。揖斐川町から久瀬村を通って藤橋村で折り返す大変景色の良いコースで、紅葉の季節は絶景だろう。美しい川を眺めながら走った。景色はいいのだが、今朝方の雨で路面は滑りやすく、足許にも注意しないといけない。 久瀬村に入り西平ダムを過ぎ揖斐峡大橋を渡ったところで、浅井さんの奥さんから声援を受けた。しかしこの前後から登りがきつくなる。中間点までに約100mくらい上るが、この一週間の疲労が蓄積してなかなかスピードが上がらない。それでも後半は下りで楽になるだろうと思い、1km5分前後までペースを上げ、中間点を1:48で通過した。25km手前で浅井さんとすれ違い、声をかけた。膝を痛めている浅井さんはゆっくりしたペースで取り敢えず20kmまでは行くと言われていた。 後半の下りに入り少しペースが上がるかと思ったが、練習不足で25km以降は1km5分30秒とペースが落ち、後続のランナーにどんどん追い抜かれた。鱒渕の時と同じように右肩も痛くなり、痛み止めのスプレーを肩にかけた。ラストスパートする気力・体力は残っておらず、3時間44分12秒でゴールした。 |
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■ 平成15年11月30日 ワインと風邪と徹夜 |
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ギックリ腰後の2週連続フルも何とか完走、連続サブフォーの記録は続いている。しかしいびがわマラソンが終わった後はゆっくり休んでしまい、10日間で2日しか走らなかった。下旬になってようやくまじめに走ろうと思ったが。
11/20はボジョレー・ヌーボー解禁日、久しぶりに週4日も飲みに出た。その影響がもろに出たのが11/23の河内トンネル越え35km。スタートして10km、畑貯水池からトンネルへの上りにかかってガタッとスピードが落ちた。ハンガーノック。トンネルを抜けて河内貯水池への下りにかかってもスピードは上がらない。こんな日に限って小銭を持ってきておらず、エネルギー補給もできない。最後は歩いたり立ち止まったりするようになり、いつもより40分くらい遅れた。この後二日の休み それから少しずつ調子も上向きになってきたが、仕事で徹夜したとき風邪をひいてしまった。これでまた二日の休み |
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平成15年12月 副鼻腔炎 | ||
■ 平成15年12月11日 こじれて副鼻腔炎に |
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風邪の治りがけに無理して走ったからか、仕事で徹夜が続いたからか、こじらせてしまった。ゆっくり休みたいが、大会が近づくと焦ってしまう。大会前のトレーニングは河内トンネル越え35kmを1回、あとは12-16km5日で何とか100kmに届いたが、風邪のためもあってだらだら走っただけだった
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平成15年12月14日 国際青島太平洋マラソン | ||
■ 平成15年12月14日 青島太平洋マラソン−−−前半抑えて自己ベスト |
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前日、仕事を終えて空路宮崎入り。JRで宮崎駅に向かい、大淀川河畔をぶらぶらする。何人かランナーを見かけた。予約したホテルは3人相部屋だったが、あとの二人はキャンセルされたそうで一人占め。ビール・焼酎と飲み過ぎて眠くなり、温泉には入らずすぐに寝た。
大会当日は5:30頃に目が覚めた。朝3時の気温が2.7℃と随分冷え込んでいる。そのせいか何度か目を覚まし、あまり熟睡できなかった。支度をして朝食を摂り、副鼻腔炎の薬も飲んで、7:00発の会場行きバスに乗った。会場で北九州URCのメンバーと合流。風はなく、寒さは感じない。トラックを軽く3周して体を温める。参加者が約5000人と多いので、早めにスタート地点へ移動。 9:00フルマラソンがスタート、約1分後にスタートゲートを通過した。青島太平洋マラソンに出るのは初めてだが、道幅が広くアップダウンも少なくて走りやすい。しかし走り出してすぐ左足がだるくなってきた。スピードに乗れず、だましだまし走って最初の5kmを25分30秒、ようやく熊本さんに追いついた。それから徐々にスピードを上げ、5-10kmを24分15秒。その後も5km24分20-40秒前後で走った。19km過ぎに高津さんとすれ違う。15分以上差を付けられていた。 中間点21.0975kmは1:43:50で通過、このスピードがキープできればサブ3.5も可能。しかし後半5分以上遅くなるのがいつものパターン、半ば諦めつつも30kmまでは5km24分台をキープした。 遅れ出すのはいつも30kmを過ぎてから。ところが今日は30-35kmも25:03とスピードの落ち込みが小さい。フラットなコースによるものだろうか。ちょっと暑くなってきて首の周りは塩でざらざら、にもかかわらず喉の渇きは感じない。給水は4回くらい取ったが、ちょっと口に含んであとは足などにかけた。スポーツドリンク・果物も全く摂らなかった。ミカンがかなり甘くて美味しかったと後から聞いて後悔したが。わずかな給水だけで電解質・エネルギー補給はゼロ、これでゴールまで持つのだろうか。 さすがに35kmを過ぎてきつくなった。右足にマメもできた。サブ3.5のためには1km5分ペースを維持しないといけない。1kmのラップが5分15秒に落ちたら次は4分30秒と気力を振り絞って40kmまでの5kmを25分35秒、3:18:40で通過した。ギリギリ3時間30分が切れるかどうか。 ラストスパートする余力はなかった。それでもここまで来たら狙うしかない。何とか踏ん張り3:30:58でゴール。自分の時計は3:29:45、2年ぶりに自己記録を更新してのサブ3.5達成(ネットタイム)だった。 いい形で今年一年を締めくくることができた。レース後高津さん夫妻、山元さん等と宮崎市内の自然派洋食屋「もくもく」へ行き、早速祝杯を上げた |
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年間3,000kmは、、、 | ||
■ 平成15年12月19日 初雪 |
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強力な寒波に襲われた。これまで暖冬だったので、寒さに体が慣れていない。青島太平洋マラソンが終わった時点で2,816.5km、年間3,000kmまでもう一歩の所まで来た。雪の降る中三日連続で20km前後走った。3,000kmに届くだろうか
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■ 平成15年12月21日 石峰山マラニック |
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12/21、北九州URC今年最後の練習会は陣原からグリーンパーク・若松・石峰山・二島を回る約27kmのコース。自宅から集合場所のフレンドリーの湯・陣原まで約3km走っていった。昨日まで吹き荒れていた冷たい季節風が止み、穏やかな一日となった。12名が参加し、10時にスタート。脇田海浜公園・脇の浦・向洋中学までは快調だったが、ここから石峰山への5kmがかなりきついアップダウンが続く。何とか先頭に食らいつき、峠を登り切った。先頭グループは計4人。後続はしばらく来そうもないので、そのまま二島に向かって下り始めたが、これがそもそもの間違いだった。時間があったので本城まで走り、二島に戻った。しかし後続は誰も来ない。途中の待ち合わせ場所で止まらなかったミスである。本城まで戻ってようやく本隊と合流したが、怒られたのは言うまでもない。4時間12分で陣原に戻り、フレンドリーの湯に入った。風呂には柚子が浮かんでおり、冬至だったことを思い出した。
12/24はこのコースを逆に回ってみた。東二島から林道を走って峠まで登り坂が続くが、勾配はさほどきつくない。眺めもいいが、だいぶ日が西に傾き、ゆっくり走ってもいられない。一気に登り切り、小石へと下る。脇田海浜公園に着いた頃はかなり暗くなっていた。暗くなって怖いのが犬である。何度も犬に吠えられたが、海浜公園近くでは放し飼いの犬に追いかけられた。 グリーンパークを過ぎると、緩いアップダウンがあるくらいで殆どフラットと言ってもいい。徐々にペースを上げて、3時間21分で帰り着いた。 年間3,000kmまであと56km |
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■ 平成15年12月30日 3000km |
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釣が中止になって時間ができた。12/28には家からぶどうの樹まで25km。しかし疲れがたまっているのか、それとも向かい風のせいか、2:26を要した。3000kmまで18.5km
12/30仕事が終わってから走りに出た。調子はよくない。それでも20kmを走りきって、ついに3000kmに到達した |
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■ 平成15年12月31日 4足目の靴 |
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ウルトラからハーフまで8レースに参加、年間3000kmを走ったこの一年、靴もいろいろ買った。それもアシックスばかり。軽いターサーTJR206はハーフからフルのレース用、やや重たいGEL-1080MILLE・TJG799はウルトラと普段のトレーニングに使ってきた。サロマLSD-IGS・TJR603はどうしても足に合わず、普段の通勤用になっている。
大晦日ふらっとスポーツショップに入ってしまい、GEL-KAYANO X・TJG851を買った。 早速履いて年越しランにでかけた。クッションも安定感もいい。しかし重たい。帰ってTJR206と並べてみた。同じ26.0cmなのにかなりでかい。ソールも厚く、重さを量ったら100g以上重かった |
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左からTJR603、TJG799、TJG851、TJR206 重さは280g(SW25.5)、280g(SW25.5)、370g(26.0)、260g(26.0) GEL-KAYANOの大きさが目立つ |
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