第2回 屋久島エコ・マラソン完走記 2005年3月20日 |
||
INDEX | 3月19日 移動日、前夜祭 | 屋久島灯台と口永良部島(H17.3/20) |
3月20日 第2回 屋久島エコ・マラソン | ||
3月21日 島内観光、移動日 | ||
U-san's Photo Gallery---屋久島写真集2005 | ||
屋久島エコ・マラソンは世界自然遺産の島、屋久島を宮之浦から反時計回りに安房まで約80km走るウルトラマラソンである。一周すればほぼ100kmになるが、警察から夜間走の許可が下りず、夜明けから日没まで、制限時間約12時間で80kmになったらしい。
屋久島に行くのは今回が初めてで、大会以上に屋久島を回れるのが楽しみだった。大会前日と翌日は天気にも恵まれ、多くの写真を撮った。 そして大会当日。一周するのは無理だろうか。そんなことを考えながら前半は積極的に飛ばしたが、西部林道のアップダウンは想像以上に厳しく、屋久島灯台寄り道のダメージもじわじわ出てきて、後半は大きくペースダウンしてしまった。甘くはなかった。 |
||
屋久島エコマラソンの情報はエコ・ジャーニークラブ
|
||
|
■ 3月19日 屋久島へ | |||||||
■ 移動日のアクシデント---北九州から屋久島へ |
|||||||
いつものように診察を早めに切り上げ、黒崎駅までダッシュ。ギリギリのスケジュールなので、何かあると大変なのだが、移動日に限って交通機関のトラブルが多い。この日もまた日豊線の架線切断事故でソニックが運休。次の快速も高速バスも間に合わない可能性が高く、タクシーで福岡空港まで行くのは高すぎる。同行のメンバーに間に合わなかったら飛行機を待たせておいてとTelをして、一か八か、博多とは反対方向、小倉行きの電車に飛び乗り、小倉から新幹線で博多に向かうことにした。10分待ちで新幹線に乗車、博多駅でまたダッシュ、地下鉄に飛び乗って11:45空港着。西田・澤田・前村さんと合流し、無事チェックイン。
鹿児島空港では20分の乗り継ぎで屋久島行きのYS-11に搭乗。天気も良く穏やかなフライトで、また桜島がきれいに見渡せた。随分古くなった唯一の国産プロペラ機の機内では時々チリンとベルの音が聞こえてきた。乗務員間の連絡用なのだろうか。定刻の13:40、快晴の屋久島空港に着いた。空港前でレンタカーを借り、真っ直ぐ民宿やくすぎ荘へ向かった。泊まったのは宮之浦川に面した大変広い部屋で、一部屋4人でも十分過ぎる広さだった。 トラブルは自分だけでなかった。澤田さんは靴を忘れてきたとのこと。雨が降った時のことを考え、靴を2足(ASICS GEL KAYANO11とGEL-MILLE1080)持っていたので、すり減ってはいたがGEL-MILLE1080を貸すことにした。 |
|||||||
|
|||||||
説明会・前夜祭まで時間があったので、車で白谷雲水峡へ行くことにした。
狭く曲がりくねった山道を登り、約30分で白谷雲水峡に着いた。ここ白谷雲水峡は標高600-700mの所にあり、所々雪も残っていた。受付時間には遅れるがせっかく来たので、樹齢3千年の弥生杉や飛龍落としなど、1時間ほど原生林の中を散策した。 |
|||||||
|
|||||||
受付時間に30分ほど遅れて宮之浦公民館へ。ビールを飲みながら、コースの説明を聞く。第2回目となるこの大会、参加しているランナーは30数人、北海道など全国各地から集まっている。大村湾や萩往還で一緒になった金井さんや辻本さん、村尾さん等、顔見知りも多い。前夜祭にはビールやワインの他、地元で獲れた魚などがふんだんに用意されていた。自己紹介、記念撮影を済ませ、2時間ほどでお開きになった。
前夜祭後、近くのスーパーで缶ビールや走る時の食料を買って帰る。民宿の夕食も比較的充実していた。夕食後部屋に戻って飲んだが、明日の準備もしないまま、いつの間にか寝てしまっていた。 |
|||||||
|
|||||||
|
INDEX |
■ 3月20日 屋久島エコ・マラソン---世界自然遺産の島はアップダウン激しい難コース | ||||||||||||||||||||
■ スタート前 |
||||||||||||||||||||
AM5時前に目が覚めた。飲み過ぎて、体が重い。おにぎりを食べながら、準備に取りかかる。ウェアは半袖・ショートスパッツ。一時雨という予報だったので、ウェストポーチにデジカメ・非常食・空のペットボトルの他に雨具も詰め込んだらパンパンになってしまった。これは大失敗。5:45に宿を出て、宮之浦小学校へ。記念撮影をして、AM6時にスタートした。
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
INDEX | |||||||||||||||||||
■ 前半---屋久島灯台寄り道&厳しいアップダウンの西部林道 | ||||||||||||||||||||
■ 宮之浦〜志戸子〜一湊 |
||||||||||||||||||||
スタート直後はいきなり先頭に立ってしまった。しばらくして抜かれた。風が冷やりとして走りやすい。しかし2kmくらいから腹の調子が悪く便意を催してきた。3kmで道路脇に駆け込んでトイレを済ませてスッキリしたが、どうも重すぎるウェストポーチが良くないようだ。
序盤は緩いアップダウン、1km6分ペースで気持ちよく走れた。5km・10kmのエイドは通過。この間、徐々に明るくなり、志戸子・一湊などの景色をカメラに収めた。曇っているので走るには好都合だが、晴れていたらもっときれいだっただろう。一湊の集落を抜けた12km過ぎ、きつい上りが始まった。長い上り坂の前方に先頭ランナーが見えた。500m差くらいだろうか。スピードを緩めず、先頭ランナーを追った。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
坂を上りきってトンネルを抜けると、目の前に東シナ海が広がった。口永良部島が霞んで見えるが、雨が降っているようだ。この頃から時々雨がぽつぽつ落ちてきたが、走るのには全く支障ない。15km・吉田のエイドに1:31で到着、ここで最初の休憩を取った。鈴木さんに、時間があるので屋久島灯台に寄りますと言ってエイドを出発。坂を上り切ると、ウミガメが産卵に来るという永田いなか浜が眼下に見渡せた。エメラルドグリーンの海が実に美しい。20km・いなか浜のエイドには2:02着、富田君等後続のランナー3人がほぼ同時に到着。いなか浜の写真を撮ってスタート。
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
永田川を渡ると再びきつい上りが始まった。坂の途中に25kmエイド、美味しい屋久島の水がふんだんに用意されている。この先、コースから外れるが屋久島灯台へ寄ることにした。片道700mほどだが、かなりの急坂を駆け下りることになる。もちろん帰りは急な上り。止めておけば良かったかなと思った時、目の前に堂々とした灯台が見えてきた。
この屋久島灯台の錆び付いたプレートには「明治三十年一月十日初點」と書かれていた。煉瓦と花崗岩で作られた重厚な灯台で、100年以上に渡って東シナ海の船を見守ってきたのであろう。セルフタイマーで記念撮影しようとしたが風のために上手く撮れない。そこに菅原さんが来られたので、シャッターを押してもらった。コースに戻るまで車に乗るかと聞かれたがさすがに遠慮した。しばらく休んで灯台の写真などを撮ったが、遠くにはこれから向かう、西部林道の長い上りが見えてうんざりした。灯台からの帰り、小谷さん夫婦とすれ違ったが、他に灯台まで寄り道したランナーはいなかったようだ。確かにあのきつい坂を考えると、素通りするのも賢明かもしれないが、勿体ない。20分ちょっとのロスになったが、無理して見に行って良かった。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
ようやくコースに戻り、しばらく走って辻本さんや澤田さん、前村さんに追いついた。コース中盤、この西部林道は最もアップダウンのきついところで、これでもかこれでもかと上りが続く。30kmのエイドには3時間半くらいで到着したが、灯台の寄り道もたたって、この区間は約1時間を要した。休みながら、周りにいたランナーに屋久島灯台の写真を見せて回った。給水は5km毎、軽食類は10km毎と思っていたより十分な量が用意され、非常食まで詰め込んでパンパンになったウェストポーチが邪魔になってきた。
30km以降も延々とアップダウンが続く。標高は最も高いところで300mくらいになる。眺めは素晴らしいが、さすがにきつい。それでも5km30分ペースはキープした。何箇所かでヤクザルを見た。カメラを構えると枝を揺すって勢力を誇示しようとする。暗いので上手く写真が撮れず、誤ってストロボを焚いてしまった。ヤクシカも何箇所かで見かけた。ただヤクザルは前回に比べると数が少ないと言っていた。雨のせいかな、なんて話をしていたが、関係あるのかどうかわからないが、実はこの頃福岡は大変なことになっていた。 35km過ぎから少し雨足が強まり、合羽を着た。長かった上りもようやく終わり、快適な下りが続く。5:07で40kmのエイドに到着。順位は10番目。前村さん、辻本さん、鈴木佳江さんも相次いで到着した。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
INDEX | |||||||||||||||||||
■ 後半---単調なのもきつい | ||||||||||||||||||||
■ 大川の滝 |
||||||||||||||||||||
西部林道が終わると、後半は緩やかなアップダウンの連続となる。重かったウェストポーチが苦痛で雨も上がったので、大川の滝入口のエイドで菅原さんに合羽を預かってもらったが、これがまた失敗だった。辻本さんは菅原さんに頼んでいたのだろうか、缶ビールを飲み始めたので少しだけ分けてもらった。
大川の滝は、屋久島一という落差88mの滝。小さい島なのに九州一高い山があるからだろう、島の到るところで見事な滝が見られた。近くにいたランナーを呼び寄せ、滝の前で記念撮影。滝の近くで湧き水をペットボトルに汲んだ。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
辻本さんから後半は楽になるよと言われていたが、確かにきついアップダウンはなくなった。しかしどんより曇り空で山も見えず、写真を撮りたいと思うような風景もない。単調なのも辛い。重すぎるウェストポーチのせいで腰は痛み、胃の調子も悪くなってきた。前半無理したのがたたったようだ。
湯泊のエイドではあまり食べられなかった。約6時間で50kmを通過。だいぶペースが落ちてきた。5km33-4分くらいだろうか。先ほどまで一緒だった辻本さんや鈴木佳江さんに置いていかれた。 55kmを過ぎて突然大粒の雨が降り出した。取り敢えず木の下に避難したが、合羽を預けたことを後悔した。60km・尾之間のエイドに7:26で到着、そこに菅原さんの車がやってきて合羽を出してもらおうかと思ったが、しばらくして雨は止んだ。この先もダラダラの上りが続き、5kmを35分で走って5分休みというペースだった。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
75kmを過ぎ、松峰大橋への上りにかかる。最初は少し歩いたが、途中から走った。トロッコ軌道の横を走り、残り2km。松峰大橋は安房川にかかるかなりの高さがある橋で眺めは素晴らしく、久しぶりにゆっくり休んで写真を撮った。親子連れが、橋の上からシダの葉を落として、くるくる回りながら落ちるのを見て歓声を上げていた。橋を渡り終えると、後は安房の町まで下るだけ。ゴールの屋久町総合センターが見えたと思ったら、その手前、体育館横の歩道にテープが貼ってあり、そこがゴールだった。
ゴールタイムは10:09、予想以上にアップダウンがきついハードなコースだった。屋久町総合センターに入り先にゴールした辻本さんと乾杯して豚汁を食べようと思ったが、吐き気がしてなかなか入っていかなかった。澤田さん、前村さんのゴールを待ち、スタッフの車で送ってもらい、17時過ぎに宿に到着した。風呂に入って汗を流し、それからしばらく寝た。 TVを点けると、震度6弱の大地震を伝えるニュースが流れていた。今度はどこかなと思って見ていたら福岡?、いつ?、今日の10:53?。いっぺんで目が覚めた。M7.0、福岡県西方沖地震だった。びっくりして女性陣の部屋に行った。電話はつながらず、メールを送ってもなかなか返事が返ってこない。幸い北九州方面に大した被害はなく、二升瓶も無事が確認できてしばらくして携帯の電源が切れてしまった。 夕食後、部屋に戻って二次会。途中から金井さんも加わり、超長距離のステージレースの話などを聞きながら遅くまで飲んでいた。 |
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
INDEX |
■ 3月21日 屋久島観光 | ||||||||
■ レンタカーで屋久島を一周 |
||||||||
AM6時前に目が覚めた。デジカメを持って軽く走りに出た。風が冷たくて気持ちがいい。宮之浦川の河口でちょうど日の出となり、何枚か写真を撮って走り宿に戻った。8時に観光センターへ行って携帯を充電し、ようやく福岡と連絡が付くようになった。澤田さんだけが慌ただしく福岡に戻ったが、残った3人は予定通り車で島内観光に向かった。
エコ・マラソンのコースをそのまま車で回った。昨日とは違って快晴、東シナ海が見渡せる高台、永田いなか浜、屋久島灯台、大川の滝など素晴らしい景色が広がる。天気がいいので海や川の色も美しい。西部林道のヤクザルは昨日より随分多かった。栗生でごく普通の民家と言った感じのそば屋に入り、水中展望船にも乗った。昨日の雨で少し水が濁っているのが残念だった。前村さんが走っている途中で見つけたというビワの無人販売所で、最後の1袋を買い、千尋滝へ。ここも花崗岩の一枚岩から流れ落ちている、落差80mの大きな滝だった。 汗もかいたので、尾之間温泉に行った。お湯はかなり熱く、直ぐに上がって外でお茶を飲みながら涼む。最後は松峰大橋へ行き、安房で二升瓶へのお土産用に屋久島の焼酎・三岳を買い、空港へと向かった。 |
||||||||
|
||||||||
17:40の飛行機で屋久島を後にした。機種はQ400で、プロペラ機にしてはかなり早い。途中逆光に浮かぶ開聞岳も見えたが、エンジン真横の席だったので、上手く写せなかった。鹿児島で乗り継いだJAC機は、屋久島から乗ってきた機体で、座席も全く一緒だった。一々降りなくてもよかったのに。19:40、無事福岡空港に着陸したが、同じ乗務員のはずなのに、着陸時の衝撃がかなり大きかった。
|
||||||||
|
||||||||
博多駅前のホテルにチェックインして、タクシーで二升瓶に向かった。暗かったので、町の様子は普段と変わりないように見えた。
二升瓶の店内もいつもと変わらず、とても震度6弱の地震に襲われたとは思えなかった。だいぶ瓶が割れたそうだ。チーム100メンバーやとり正の大将達など10人ほどが集まった。屋久島土産のトコブシとカメノテを料理してもらい、遅くまで飲んだ。しっかり飲んで、酔って、熟睡して、、、余震があったかどうかはわからない。 |
||||||||
|
||||||||
|
INDEX | |||||||
Running & Photo Report by U-san 屋久島写真集などはU-san's Photo Gallery |
||||||||
Copyright 2004 Uemura Naika Clinic(U-san),All rights reserved. |