昭和の鉄道写真
撮り鉄を始めた頃 |
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日豊線・宮崎〜南宮崎 大淀川
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ネガが残っていないので、いつ撮ったのかはわからない、中学の夏休み、中津の親戚宅から鹿児島の親戚宅へ、従兄と二人で旅行した時のものである。
宮崎に朝着いて、大淀川で撮った。 上は上り列車を牽くC57四次形。 下は鉄橋の直ぐ側で撮ったもので、C57単機回送だったような気がする。 |
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筑豊線・中間駅?
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こちらは場所もわからない。
同じ夏休み、鹿児島から中津に戻り、さらに北九州の親戚宅へ向かう途中、筑豊線を回った記憶があり、中間駅で撮ったものかもしれない。 貨物列車の先頭で出発を待つD51382 |
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これも中間駅か。
構内で入換中のD51918 |
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S53.4/27 鹿児島本線・八幡〜黒崎
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S53年、大学に入って北九州に来た。入学当初、親戚の家に下宿していたが、その家は工場の3階で、朝から音や震動が結構激しかった。
その工場は、鹿児島線沿いにあって、退屈しなかった。 ※写真は、ネガが見当たらず、当時のL版プリントをスキャンしたもの。 |
ED72牽引上り「あさかぜ2号」 |
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かもめ5号 長崎・肥前山口行き |
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大学1年の秋、赤間に引っ越した。当時はまだ、夜行急行も数多く走っていて、一日で何本もの列車を撮影することが出来た。
※写真は、ネガが見当たらず、当時のL版プリントをスキャンしたもの。 |
ED72牽引 「さくら」 |
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急行「雲仙・西海」 長崎・佐世保行き |
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1979年8月1日、山口線・小郡〜津和野間に、SLやまぐち号が復活した。
初めてZenza Bronica S2を借りて撮りに行ったのがS56年10月の重連運転の時。 この頃、C57-1の他にC58-1がいて、この時の重連はC58-1が先頭に立った。 撮影は10月10日、場所は? |
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同じく10月10日のC58-1+C57-1重連。
地福〜鍋倉? |
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10月11日、津和野〜船平山
C58-1+C57-1重連 |
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C58-1牽引のSL豊の国号が、S56年12月、豊肥線別府〜三重町間で運転された。
帰りは確かバック運転でこれはという写真が撮れず、Bronica S2を借りて撮り直しに行った。 場所は? |
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Zenza Bronica S2による二度目のSLやまぐち号撮影行。
この時もC58-1+C57-1の重連だった。 まずは長門峡で1枚、そして直ぐ追っかけ |
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2枚目は徳佐〜船平山
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上りのSLやまぐち号を待つ間に、キハ181系「おき」
篠目〜仁保間 |
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同じく篠目〜仁保間にてDD51牽引貨物
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この頃撮影した重連は、いつもC58-1が先頭に立っていた
篠目〜仁保間 |
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高価なブローニー版のフィルム。
残ったコマで西鉄の電車を撮った。 場所は日明〜大門間、日明電停横の板櫃川を渡る所で、上が626号、下が627号。 実は自宅が北九州線(戸畑線)日明電停の直ぐ近くにあった。大門から来る電車は下り坂を猛スピードで下って来るので、振動で家が揺れた。 近かったこともあって、北九州線の他、北方線でもかなりの枚数、撮影している。サヨナラ電車も撮影したが、S60.10/20の戸畑線最終電車では、日明電停で妹が運転士に花束を渡した。 |
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