博多祇園山笠の起源は、1241年(仁治2年)、鎌倉時代に博多で疫病が流行した際に、承天寺の開祖・聖一国師が施餓鬼棚に乗って町民に担がせ、甘露水を撒きながら疫病退散を祈祷したこととされる。
戦国末期、博多復興のため、豊臣秀吉によって行われた太閤町割りと呼ばれる区画整理でできた町の集合体「流」が、山笠の運営単位となっている。旧七流は東町流(東流)・呉服町流・西町流(西流)・土居町流(土居流)・石堂流(恵比須流)・魚町流(福神流)・洲崎町流(大黒流)だが、現在は、恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流である。
恵比須流を構成するのは、横筋の綱場町・中間町・中石堂町と石堂川左側の蓮池町・官内町・上竪町・中竪町・下竪町・下金屋町・横町・上金屋町の11ヶ町で、6ブロックに別れて運営に当たっている。
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