山笠のぼせ来訪数 since 2003.7 Uc Total access & Site map |
博多祇園山笠
|
||||||
|
||||||
博多祇園山笠の起源は、1241年(仁治2年)、鎌倉時代に博多で疫病が流行した際に、承天寺の開祖・聖一国師が施餓鬼棚に乗って町民に担がせ、甘露水を撒きながら疫病退散を祈祷したこととされる。
戦国末期、博多復興のため、豊臣秀吉によって行われた太閤町割りと呼ばれる区画整理でできた町の集合体「流」が、山笠の運営単位となっている。 |
||||||
博多ライトアップウォーク2013・・・恵比須流・上竪町の正定寺と蓮池町の妙典寺でもライトアップが行われた 平成二十五年・博多祇園山笠・・・追山本番前、山笠ランに参加。集団山見せ後の櫛田入りで、初めて動画を撮った |
博多祇園山笠
|
|
山笠との出会いは昭和60年頃だっただろうか、千代流の長法被を借りて山笠につき、走りながら写真を撮ったことがあった。その熱気に圧倒され、見るだけでは物足りなくなったのはいうまでもない。
平成2年、学会帰りに隣り合わせたある先生に誘われて、恵比須流に参加した。以後毎年綱場町から出させてもらっている。 山笠の魅力は何だろう。奉納神事でありながら、クライマックスの追い山笠はタイムレース、それも土居町と竪町の喧嘩がもとで追いつ追われつの事態となり評判になったからだそうだが、実際にその場にいないとその迫力は伝わらない。しかしそれだけではない。鳴り物なしで町中に響く「オイッサ、オイッサ」のかけ声や手一本は、日本の音風景百選にも選ばれた。そして何と言っても規律正しく見事に統率され運営されていること。博多んもんは山笠で育つと書いてあったが、こんな環境の中で子供達も正しく育っていく。どっぷりのめり込みたいが、しかし残念ながら期間中全ての行事に休まず参加できた年はない。 山笠に行く時は必ずカメラを持っていく。写真は好きで動いている山笠を撮りたいといつも思っているが、しかしカメラを持って山を舁くことはできない。そのためここに掲載した写真は動いていない山笠の写真が殆どです。 山笠に出るようになって始めたことにマラソンがある。いぶすき菜の花マラソンで会ったNさんが綱場町のウルトラランナーを紹介してくれた。そのうちの一人Fさんから地元の玄海100kmUMに誘われて完走し、いつの間にか自分もウルトラマラソンにのめり込んでいた。 |
|
■ 山笠打上キャンプ写真集 | |||||||||||||||||||
山笠の後の恒例行事、打ち上げキャンプ
|
|||||||||||||||||||
|
当サイトは恵比須流綱場町から出させていただいている筆者が、個人的に撮影した写真を元に構成したもので、非公式サイトです。 | ||
Copyright(C) 2004 Uemura Naika Clinic(U-san),All rights reserved. uemura-clinic.com内に掲載されている記事・写真・画像などの無断転載を禁止します。 |