第22回 山口100萩往還マラニック 250km・前編 2010年5月2日〜3日:瑠璃光寺〜宗頭---抑えすぎて最後方 |
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■ 萩往還マラニックに向けての準備 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
練習不足なのでなんとかしたいのが体重だった。走る時のベストは55kgくらいだが、昨年は練習量の減少でほぼ1年を通して60kgを維持してしまった。少しでも減量して負担を減らしたかったが、今年も3月まで60kg。それから慌てて禁酒・一日一食を守り、無理矢理4月には56kgmまで落としたが、無理して筋肉まで落ちたかもしれない。 大会前日の5/1、初めてウルトラセミナーに参加、越田さんの2ステージのレースという話が印象に残った。そして久しぶりに会う仲間との再会でモチベーションが高まった。22時に帰宅、夕食を作り、荷物も用意せず早めに寝た。 大会当日の5/2。天気はいい。朝昼兼用の食事を摂りながらヱビスビールを飲み、支度をする。0泊3日の長丁場だが、以前ほど装備に気を遣わなくなった。長袖Tシャツにロングタイツを2セット、一つは宗頭行きで油谷中には預けない。靴はASICS GT2120NY、宗頭行き荷物にはLA SPORTIVA Rajasを入れたが、雨が降らなければ履き替えなくてもいいだろう。雨具は無し、コース図も持たない。夜間走用にウィンドブレーカーを1枚、あとはデジカメ・ヘッドランプ用の電池、薬にカット絆、2Lのリザーバー、これらをGregory Reactorに入れた。こんなんでいいのかな?と心配になるくらい、荷物はいつもより少な目だった。 今回のゼッケンはA3。昨年、大会を手伝いながら来年参加する時は50歳なのでA50だといいなと言っていたのだが。ちなみにA1は今年のポスターになった女性Uさん、A2が越田さん。プレッシャーを感じたが、A3なので3回目の完踏を狙えばいいか。12時過ぎ、北九州ウルトラRC・Oさんの車で山口へと向かった。 |
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平成22年5月2日 A250km 瑠璃光寺〜西寺:スローペースの序盤戦 | ||||||||
■ 瑠璃光寺スタート前 | ||||||||
14時前、山口・瑠璃光寺に到着。松籟亭で受付を済ませ、いつものように250円のお賽銭で完踏を祈願して、説明会へ。最高齢74才のランナーや遠来賞、10回完踏表彰などが行われ、説明会後はいつものようにUMMLerメンバー等と記念撮影。
この後、本部へ挨拶に行く。なんとそこで、「スタッフ 植村昭男」の名札を見つけた。早々にリタイヤしてスタッフになるというのが大方の予想のようだが、この後本当に川尻岬のエイドにこの名札を持って行ったらしい。こうなったら意地でも往還道まで辿り着いてやる。 本部には越田さんもいたので、前日のウルトラセミナーで話されていた2ステージ・レースのことを詳しく聞いてみた。宗頭までの175kmをできるだけ飛ばし、そこで4日のAM4時までゆっくり休み、残り75kmを14時間かけて走るとのことだった。宗頭でゆっくり休めるだけのスピードがあればこその作戦だが、それでも2ステージという考えは参考になった。宗頭で休憩時間が確保できればいいのだが。 木町集会場で荷物を整理、瑠璃光寺に戻って、スタート前の記念撮影。そして18:06、第3ウェーブでスタートした。 |
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■ 瑠璃光寺〜上郷駅前〜西寺 | ||||||||
今回の参加賞のマイコップが使いづらそうだったので、昨年のをもらってきたが、ここのエイドでマイコップを使っているランナーは少ない感じだった。最初のエイドでもあり、飲み物だけで直ぐにスタートする。 真っ暗になった自転車道を、周囲のランナーと言葉を交わすことなく黙々と走る。二本木峠を越え、上郷駅から1時間ほどで湯ノ口交差点のエイドに到着。たくさんのオニギリなどが用意されている最初の給食ポイントで、小さめのオニギリを3個食べた。序盤、かなり抑えて走ったつもりだったが、以前の記録と比べても大差なく、体重が落ちた分、少し楽に走れていたのかもしれない。 国道から左折、田圃の中の道を蛙の合唱を聴きながらのんびり走り、3:18で下郷駐輪場着。秋吉・美祢高前エイドは到着時刻不明。秋吉から門村、そして西寺へは退屈でたまらない所だが、幸い眠気はあまり感じなかった。 5:28で西寺着。例年より20分くらい遅れていたがほぼ想定内、北九州ウルトラRCのメンバーも近くにいたので焦りはなかった。フルの距離を超えて疲れが出てくる頃だが、胃の調子は良く、今回初めて隣のコンビニで柏餅を買って食べた。30分くらい休んでいたらさすがにちょっと冷え込んで来た感じがしたのでウィンドブレーカーに手袋を着用、そして日付が変わる頃、スタートした。例年なら50km・上田代三叉路付近で日付が変わっていたが。まあ焦らずぼちぼち行こう。 |
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平成22年5月3日 A250km 豊田湖畔公園〜川尻岬〜千畳敷〜鯨墓〜宗頭:炎天下の中盤戦 | |||||||||||||
■ CP1・豊田湖畔公園〜俵山温泉〜砂利ヶ峠〜新大坊エイド:砂利ヶ峠で夜が明けた | |||||||||||||
豊田湖への上りは少し走ってCP1・豊田湖畔公園には8時間くらいで到着。スタート前から時間を決めて胃薬を飲んできたのが良かったのかそれともゆっくり走ったのが良かったのか、たいした吐き気もなく、うどんとオニギリを完食した。少し寝ようかと思ったが、遅れていることもあり、直ぐにスタート。しかしちょっとでも寝るべきだったかもしれない。 毎回、二晩目より初日の方が眠気が強い。豊田湖から先、フラフラ蛇行して下手すれば木屋川に転落しかねない。危ないしペースも落ちるので大羽山交差点のバス停で寝ようと思ったが、先客がいたので諦める。ようやくのことで俵山温泉エイドに着いたのが、AM4時過ぎ。大坊ダムでリタイヤした一昨年と20分くらいしか違わず、北九州ウルトラRC10人の中ではビリ。さすがに焦った。仮眠せずにスタート、そして砂利ヶ峠を越え、下っている途中で夜が明けてきた。いつもは夜が明けると目が覚めるのだが、今回の睡魔は強烈。他のランナーに声を掛けられ一瞬目が覚めてもまたフラフラ蛇行する。何とか大坊ダムから新大坊エイドまで走り、エイドに着いてまず一眠り。寝たのは5分か10分くらいだろう、普段はこれで十分なのだが。 目が覚めると、てれっとのベテラン・Iさんや山口のH田さんがいた。決して早くはないが確実に完踏する二人がいるのは心強い。彼らを追うようにスタートした。 |
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■ 新大坊エイド〜海湧食堂〜CP2・俵島:激痛にうずくまる | |||||||||||||
食堂の前にスタッフ・I村氏がいた。スタッフ車を待機させておくからいつでも止めていい、早く手伝ってと言った方である。期待を裏切って申し訳ないがもう少し走るので残念ながらお手伝いはできませんと挨拶して食堂に入った。新メニューの中華丼を食べて直ぐにスタート。しかしまた睡魔。天気が良かったので、道路脇の駐車スペースで大の字になった。ようやく頭がスッキリした。しかし今度は暑くなってきて、なかなかペースが上がらない。 漁港を過ぎて油谷島へ。今回はCP2・俵島が移動して、時計回り・反時計回り、どちらもほぼ同じ距離になったのでおとなしく時計回りにするつもりが、真ん中の急坂の道に入ってしまった。結局、殆ど歩き通して、15:27でCP2・俵島着。天気が良くて海の色がきれいだったが、暑い。いつも軽トラで水を持って来てくれるおばちゃんにお礼を言ってペットボトルに水をもらった。 |
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■ CP3・川尻岬〜CP4・立石観音:最後尾 | |||||||||||||
水岬三叉路を左折して川尻岬へ。 CP4・立石観音着は19:15、時刻は13時を過ぎた。川尻岬の関門が閉鎖され、リタイヤしたランナーが収容車に乗り込んでいる頃である。その差はわずか10km。 |
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■ CP5・千畳敷〜黄波戸〜仙崎公園:暗くなって青海島入り | |||||||||||||
ようやくのことでほぼ中間点、CP5・千畳敷に着いたのが、スタートして20:44、15時前だった。例年より1時間以上遅れていた。千畳敷ではなんと言ってもソフトクリーム、行列も出来ていたが、並んで買い、寝転んで食べる。観光客にいろいろ話しかけられたが、時間に余裕がないのであまり話しかけられるのも困りもの。食べ終わって直ぐにスタートした。 千畳敷からの急坂を快調に下っていたが、それなのにまた眠くなってきた。しかたなくバス停のベンチでしばらく横になった。通り過ぎるランナーの声で目が覚め、起き上がる。以前は坂を下ってきた所の西坂本にエイドがあったが、今回は1.7kmほど先の黄波戸口。炎天下、よろよろと進み黄波戸口エイド着が16時40分頃。関門まで1時間半を切り、元気な中学生の姿はなく閑散としていた。おそらく最後尾に近い所を走っているのだろう。それでも一眠りしてから、カップラーメンを食べた。しばらくして会長やO庭さん達も到着し、入れ違いでスタートした。 何とか明るい内に青海島に入りたい。ここから少しまじめに走った。黄波戸ではショートカットできるルートがあるらしいが、今回もちゃんとコース通り進んだ。遠くに青海大橋が見えて来たが、だいぶ日も傾いてきた。周りに殆どランナーがいない。24時間経過した時点でまだ140km付近、間に合うのか急に不安になってきたが、とにかく前へ進むしかない。仙崎公園(往路)着は24:37、時刻は18時45分だった。 |
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■ CP6・鯨墓〜仙崎公園〜日付変わって宗頭着:自分より後で完踏したのは3人だけ | |||||||||||||
青海大橋を上る。オールスポーツのカメラマンがいた。こんなに暗くなってちゃんと写るのかなぁ。さすがに自分を撮ってからそのカメラマンは撤収したようだ。青海大橋を上り、下ったところで大日比峠の長い上り。上りはだいぶ歩いたが、下りや平坦なところは止まらずに走った。それにしてもすれ違うランナーが少ない。この時間になれば当たり前、事実、後で送られてきた記録を見たら、青海島では自分の後に完踏者は3人しかいなかった。日中の暑さでやられて、仙崎で止めたランナーもかなりいたらしい。 途中、タマゴンさんが応援に来てくれた。気合いを入れて走っている時の応援でさらに気合いが入る。帰りもキャンプ場のトイレに寄っただけで食堂はパス。ノンストップで走り、22時半過ぎ、仙崎公園に戻ってきた。予定よりちょっと早い。 残り86km、ここから先は毎年3月の練習会で走っている。練習会と同じように走れば十分間に合うはず。しかし練習会は仙崎とか長門市スタート、同じように走れるはずがない。それでもコースが頭に入っているせいか、何となく安心出来る。 23時前に仙崎公園をスタートして宗頭へ。二日目の夜となり再び睡魔が襲ってきた。眠くなってスピードが落ち、幻覚も見えてきた。宗頭まで4kmくらいの所だっただろうか。道路の反対側をランナーが走っていた。街路灯の下をそのランナーが通過する時だった。ランナーの影が人間ではなくて2匹の子犬の形。ランナーにくっついてちょろちょろ走り回るのが面白くてかわいくて。カメラで撮りたかった。 そして日付が変わって4日の午前0時45分、ようやくのことで宗頭に着いた。 宗頭には応援に来ていたはっぴさんの他にも意外なメンバーがいた。ベテランのゆきひろさんはCP1でチェックを忘れ、Y元くんは暑さにやられて止めたとのことだった。他にも仙崎で止めた北九州ウルトラRCメンバーも先に着いて、酒盛りしていたらしい。Y元くんにビール飲む?と聞かれたが、ここでふと越田さんの2ステージ・レースということを思い出した。ギリギリの時間だったが、少しでも寝よう。飲んでる暇はない、オニギリは1個だけ食べ、もう1個はいざというときのために持って行くことにして直ぐに2階の仮眠所へ上がった。がら空き、そりゃそうだ、こんな時間に寝ているランナーなんていない、殆どのランナーはスタートして萩へと向かっている、いや一部は既に瑠璃光寺に着いているはずなのだった。宗頭発を2時と決め、それまで30分、しっかり寝ることにした。携帯のアラームをセット、直ぐに眠りに墜ちた。 |
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萩往還2010・後編へ | ウルトラマラソン写真館 by U-san | ||||||||||||
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