萩往還が一大事---第6回 萩往還練習会 2010年3月13-14日 |
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■ 第6回 萩往還練習会 | |||||||||
昨年は発起人でありながら撮り鉄や暴風雨を理由に初めて練習会を休んでサポートに回った。本番の大会もスタッフをしたので、萩往還を走るのは2年ぶりである。恒例の練習会ではあるが、しかしその割りに成績につながらず、過去の練習会では完踏1回、リタイヤ2回、DNS1回である。
天気に恵まれないことが多いこの練習会だが、なぜか雨男を脱却し、昨年末から出る大会・練習会、全く降られていない。逆に不参加だと土砂降りになったり。今回も、直前にかなり冷え込んで雪が降り、当日も明け方、かなり激しい雨が降ったが、北九州を出発する頃には晴れて走りやすそうな天気になった。萩往還に雪は残っているかな、とちょっとうきうきした気分だった。しかし、一歩、萩往還に足を踏み入れると、とんでもないことになっていた。 |
H22年3月14日 板堂峠 |
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H22年3月13日 北九州〜長門市〜宗頭〜萩・・・前半快調 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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これまでこの練習会は、JR仙崎駅からスタートしていた。しかしダイヤ改正で、山陰線回りと美祢線回りの接続が悪くなった。美祢線回りの方が時間的に余裕があるのだが、ローカル線はロングシートよりボックスシート!
ということで今回は山陰線回り・長門市駅をスタートとした。下関14:52発の列車に乗ったのは、北九州ウルトラRCの西田・大庭・金重・植村の4人。美祢線回りで誰か来るかもしれないからと、仙崎駅まで歩いて列車を待ったが誰も降りてこず、そのまま4人でスタートした。 |
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黄砂のためかやや霞んでいたが、雨の心配は無さそうで、走るにはちょうどいい気温。長袖Tシャツ+ウィンドブレーカーにロングタイツでスタート、寒くなったら重ね着するつもりだった。仙崎から50分で三隅のローソン着、おにぎりを食べる。ここから先、西田さんが短めの休憩で先にスタートし、残りのメンバーが後を追った。仙崎から1時間半ほどで宗頭着、しかし休まず先に進み、藤井酒店で休憩。まだ序盤で元気があったので、R191号まではまじめに走った。鎖峠を越えて、長い下り、道路反対側になにか小動物。まさか佐渡から逃げてきたテンじゃあるまい。途中の自販機は素通り、仙崎から3時間半で三見駅着。まずまずのペース、眠くなったので横になろうとしたが、玉江まではばらばらで走りたくないというので、起き上がりスタートする。
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三見駅〜玉江駅は、緩い上り坂の途中に朽ち果てた鳥居、下ってくると畑でもないのに怪しげなかかし、相変わらず不気味な所だ。いくつかの踏切を渡り海岸沿いに出る。海はかなり荒れており、冷え込んでもきた。仙崎から4時間半弱で玉江駅着、駅のベンチでしばらく眠る。その玉江駅、車でも突っ込んだか、入口の扉などが壊れており、駅の中もかなり寒かった。菊ヶ浜からいつものように寺町方面へ右折、23時過ぎ、スーパーキヌヤに着いた。速く走っているわけじゃないが、途中の休憩が短かったので、予定より早く着いた。カップラーメンを食べたが、ビールは自重した。ここでも休憩は30分以内。
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H22年3月14日 萩〜笠山〜虎ヶ崎〜萩往還〜瑠璃光寺・・・雪害・萩往還が一大事 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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食べたばかりなので、キヌヤをスタート後はしばらく歩いた。しかし他の二人が直ぐに走り出したため、慌てて後を追う。二人には直ぐ追い付いたが、先に出た西田さんがいない。かなり先の方にいるのかと焦る。そして休まず走って越ヶ浜、明神池、、、いない。そこにTelがあり、いつの間にか抜いたことがわかった。3人、笠山へ向かい、西田さんは虎ヶ崎直行。仙崎から6時間30分ちょっとで笠山に着き、火口を見物。7時間、AM1時ちょうどに虎ヶ崎着。気温はかなり低かったが風のないのが幸い、しばらくベンチで寝た。しかしなかなか眠気が取れない。越ヶ浜で完全に一人置いてかれ、萩焼会館手前のセブンで休憩しているところに追い付いた。ここでもまたしばらく寝る。そしてここでも西田さん先発、3人で後を追うも、自分一人が遅れてしまった。それでも何とか歩かずに走り続け、東光寺手前で追い付き、AM3時、東光寺着。
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東光寺をスタートする頃から風が出てきた。冷たい向かい風、体が縮こまる。松陰大橋を上り始めたところだった。急に左眼が霞み、カチャンという音。メガネのネジが緩み、レンズが外れて落ちて割れてしまった。メガネ無しのナイトランは辛い。道の凹凸などがよく見えず、走りにくいため、みんなとの差が開き始めた。このちょっとしたアクシデントが後で大変なことになろうとは、この時点で思っても見なかった。松陰大橋を渡り終え、萩警察署手前、R262号とR191号を直結する道路が完成していたので、迷わず左折、新しい道に入った。本来のコースより600mくらいのショートカットになるだろうか、歩道が広く、またコンビニも2軒あった。しかし真っ正面から冷たい風、これは応えた。コンビニ2軒とも入り、アルコールを補給。JRの跨線橋を渡って左折、大屋川を渡って涙松址。ゆっくり走って4時半前に萩往還公園到着。仙崎から10:28で、ほぼ例年通りのペース。有料道路は通行止めになっていたが、近々無料化されるようで、それに伴う工事通行止めだった。眠くなったので4人で電話ボックスに入った。風が入ってこないので寒さはしのげる。しかし喋ってばかりで誰も寝ようとせず、結局、少し休んだだけでスタートした。
公園から上がって萩往還の入り口で写真を撮り、そしていよいよ萩往還に入る。上り始めてしばらくすると、倒木が目に付くようになった。雪で倒されたのだろうか、折れた杉や竹が散乱していた。足を引っかけないように慎重に進む。悴坂の下り、道幅より狭い石橋には、仮設の板が架けられていた。石橋はそのままだった。何の工事かわからなかったが、幅を広げるのだろうか。だとしたら、3年前の練習会で橋を踏み外して川に転落した者としては、嬉しいような寂しいような、ちょっと複雑な心境。 林を抜け、明木川沿いを進む。仙崎から11時間16分で明木・旭総合事務所着。さすがに眠くなり、しばらく役場の車庫でごろりと横になった。ほんのちょっと寝て、10分ほどで起き上がり、一升谷へと向かった。 |
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明木をスタート、一升谷へと左折。地元の人がいたので挨拶を交わしたが、一升谷が大変な状況になっているなんて話は聞かなかった。しばらく行くと、大きな倒木が道を塞いでいた。乗り越えたその先に、また倒木。あちらこちらで太さ20cmくらいの杉が真っ二つに折れたり根こそぎ倒されたりしており、また小枝も散乱していた。行く手を阻む多数の倒木、跨いだり下をくぐったり遠回りしたり、障害物競走のようになってきた。メガネ無しで周りがよく見えないので、ヘッドランプに加え手持ちのライトも点けて足下を照らしたが、しばしば立ち往生、走れる状況ではない。ようやくのことで峠の下の休憩所に到着、他のメンバーと合流した。明木からここまで1時間、普段の1.5倍の時間を要した。疲れて腹が減ったので外郎を食べ、5分くらい休んでみんなを追った。
峠までのわずかな距離、ここもまた倒木が凄まじかった。峠を下って釿切の集落、50cmくらいの松が横たわっていた。その松を乗り越えると、その先にはブルーシート。 橋が無い!、どんな橋が架かっていたかよく覚えていないが、橋が無くて道が寸断されている。左の方に回り込んで小川を跳び越えた。右に行けば仮設の橋があったらしいが、メガネが無いので全く気がつかなかった。後日、聞いた話では、これも雪の重みで崩れ落ちたらしい。人間が乗ってもびくともしなかった橋が雪の重みで、、、 ようやくのことでR262号に上がり、メンバーと合流、釿ノ切峠は歩いて越えた。 |
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峠を下ってきて新茶屋、石段を下りて往還道の入り口に今度はバリケード?。下りていくと、扉を開けたら必ず閉めることという札があったので、立ち入り禁止ではないことはわかった。しかしなぜこのような扉が設置されているのかがわからない、困ったことに壊れて扉も動かない。バリケード化した扉を回り込んで往還道へ。倒木はなかったが、疲れた脚に石畳が応えるようになってきた。雪があるところの方がクッションになって走りやすかった。道は荒れているし腹も減ったので、R262号から道の駅へ迂回しようかという意見も出たが、落合から再び往還道へ。
落合の石橋を渡り、千持峠へと向かう。しかしそこは雪の吹きだまり、倒れた竹に行く手を阻まれた。竹は折れておらず、雪の重みで倒れただけのようで、下手すると竹が跳ね上がって叩きつけられる。慎重に下をくぐり抜け、峠下の休憩所に入る。「燗番娘」を回し飲み。体は温まったが、さすがにトレランシューズにも水がしみてきて、足がしびれる。20分ほど休んでスタート、倒木を乗り越え、千持峠を越え、AM8:20、佐々並着。仙崎から14時間20分、さすがにだいぶ時間がかかった。佐々並では休憩せず、先へと進む。 |
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■ 佐々並〜板堂峠 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
R262号に上がり、だらだらの上り坂、黙々と走った。中の作、首切れ地蔵への分岐点までノンストップ、日南瀬川にかかる橋で後続を待った。川沿いのネコヤナギ、これまた雪で倒されたのだろうか。AM9時、首切れ地蔵着。県道に出て、キャンプ場への長い上り坂、金重君が飛ばす。後を追ったが、どんどん差が開いた。頂上手前で追いつき、県道の最高点までは歩いた。
板堂峠への登り口、除雪された雪が積み上げられ壁のようになっている。今度こそ迂回しないと無理か。しかしここまで来たら、萩往還の被害状況を確認しなければと言う使命に燃え?、金重君と二人で板堂峠へと向かい、後の二人は県道を下ることになった。 |
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■ 板堂峠〜瑠璃光寺 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
板堂峠周辺の倒木もひどいものだった。雪もかなり残っており、その雪で倒された竹に行く手を阻まれたが、何とか強行突破。そしてAM9:50、板堂峠に着いた。仙崎から15時間50分、例年なら瑠璃光寺にゴールしている時間だ。峠からの下りも、多くの木々が倒れ、小枝も散乱していた。人間と比較すれば、折れた杉の木の太さがわかってもらえると思う。しかしこんな状況でも足跡が残っている。数人の登山客ともすれ違った。情報交換したが、お互い物好きと思ったに違いない。下ってくると雪が少なくなり、石畳ではかえって滑りやすく、慎重に下った。キンチヂミの清水付近は、昨年の豪雨で崩れたらしいが、復旧されていた。この復旧工事で、大量の寛永通宝が見つかったというニュースを見たが、雪が残っていたのでもちろん寛永通宝は発見できず。
板堂峠から45分、ようやく天花畑に出た。ここでもやはり例年の1.5倍の時間を要した。農作業していた地元の方に話を聞いたが、やはり数日前の雪が原因だった。ミカンの木も被害を受けたと言われていたが、湿ったどか雪のパワーは想像を絶するものだった。 さすがに疲れ果て、最後はダラダラ歩き、AM11:20、瑠璃光寺にゴールした。仙崎からの所要時間17:20、例年より、1時間以上遅れた。あれだけの倒木では仕方ない。 |
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■ 瑠璃光寺〜湯田温泉、そして萩往還の惨状について | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
瑠璃光寺境内は、梅がちょうど見頃、メジロがたくさん戯れていた。いつものように完踏祈願、お賽銭は250円。境内で甘酒を飲み、山門前の土産物屋で生ビールを飲み、お店で教えてもらった湯田温泉・梅乃屋へと向かった。ここの露天風呂は源泉掛け流し。ただ入浴は13時半からとのことで、その間、近くでビール&ラーメン。温泉の後、湯田温泉駅でまた一杯、北九州に戻って小倉食堂で締めの打ち上げ。
昨年夏の豪雨、そして今回の季節外れのどか雪で、往還道はかなり荒れていた。大量の倒木をなんとか乗り越え、強行突破したが、大会を開催できるような状況ではない。このままでは萩往還抜きマラニックとなってしまう。早速、大会事務局に連絡したところ旭総合事務所・佐々並支所に確認してくれ、GWまでには復旧するとの返事をもらった。これで一安心、萩往還道も通れる。と思ったら、某スタッフに、「植村さんは萩往還道は関係ないのでは?、川尻岬にスタッフ車待機させておきます」と言われてしまった。 |
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