第22回 山口100萩往還マラニック 250km・後編
2010年5月4日:宗頭〜瑠璃光寺---一か八かの宗頭仮眠
 練習不足でペースの上がらなかった序盤、砂利ヶ峠で夜が明けて大坊ダムエイドで止めた2008年と同じような時間になってしまった。睡魔も相変わらず強烈だった。ただ序盤で無理しなかったので、その後の大幅なペースダウンは避けられた。川尻岬までは北九州ウルトラRC10人の中で最後尾だったが、千畳敷では真ん中くらいに上がった。それでも薄暗くなってから仙崎に着いた時はさすがに焦り、気合いを入れて鯨墓を往復したが、宗頭到着時には既に日付が変わっていた。
 完踏出来るかどうか、ギリギリの時間。のんびり休む暇はなく、そのままスタートすることも考えたが、思い切って寝ることにした。わずか30分だったが、頭はスッキリ、そして後半ステージへとスタートした。
前編:抑えすぎて最後方
後編:一か八かの宗頭仮眠

第6回萩往還練習会−萩往還が一大事
山口100萩往還マラニック Official Web Site

H22.5/4 板堂峠

平成22年5月4日 A250km 宗頭〜瑠璃光寺:仮眠で復活、しかし睡魔の次は暑さとの戦い
■ AM2時過ぎ、深夜の宗頭出発〜CP7・藤井商店:真っ暗闇に人影が、、、
 眠くてフラフラしながら宗頭に着いたのが4日の0:45、既に宗頭をスタートしていないと厳しい時間であった。食事しながら考えた。このまま直ぐスタートするか、仮眠を取るか。なぜかリタイヤは考えなかった。
 越田さんの2ステージのレースということを思い出した。ゆっくり休めば脚も回復して快調に走れる。しかしさすがに4時スタートする勇気はない。ただ仙崎から鯨墓往復、そして宗頭と、まずまずのペースで走って1時前に着いた。わずかではあったが予定より早く着けたことで余裕が出来た。2時にスタートすれば、残り75kmに16時間。いつもの練習会、仙崎〜瑠璃光寺の所要時間が15-16時間、練習会と同じペースで走れるはず無いが、仙崎から12km走ってきているし何とかなるかなぁと思った。よし仮眠を取ろう。
 キッチリ30分で携帯のアラームが鳴った。わずか30分の仮眠だったが、熟睡して頭もスッキリ。そして布団を出たのがちょうど2時、さすがに寒くなったのでウィンドブレーカーと手袋を着用。ゆきひろさん、Y元さん、はっぴさん等に頑張って走らないと間に合わないよと言われ、2時10分に宗頭から送り出された。
 藤井商店までは冷たい向かい風、さすがにこの時間ともなると周囲にランナーも点滅ライトも見えない。20分ほどでCP7・藤井商店着。ところが店の前まで来ると、人影が。M川さんではないですか。仙崎では4時間の差を付けられていたが、宗頭でゆっくり休まれていたようだ。国道に上がるまでの真っ暗闇が怖くて、誰か来るのを待っていたとのこと。この時間に後続を待とうという余裕が凄いが、M川さんが一緒なら心強い。何となく完踏が見えてきた。
 藤井商店から国道まで一緒に歩いて上り、鎖峠までも早歩き。鎖峠からの長い下り、M川さんは終盤のダメージを考え殆ど歩くと言われていたが、いつもの練習会のように一気に走って下った。右足に肉刺が出来たようだが、脚はちゃんと動き、鎖峠から三見駅までの間で数人のランナーを抜いた。CP8・三見駅にはちょうどAM4時着。駅の待合室でしばらくウトウトした。

■ CP8・三見駅〜玉江駅〜CP9・虎ヶ崎・椿の館:遅れを取り戻す
 三見から玉江に向かう途中で夜が明けた。三見〜玉江間は怪しい案山子や崩れかかった鳥居などがあって薄気味悪いが、明るい時に例のかかしを見ても、怖くも何ともない。再び日本海に出る頃にはすっかり明るくなった。
 玉江駅にはAM5:40着、ちょうど目の前をB140kmのランナーが数人、その中に初140kmの“コバヤシ”くんがいた。声を掛けたが、快調に走り去っていった。
 M川さんとは玉江駅で別れ、先に虎ヶ崎へと向かった。常盤大橋の上でB140のランナーから、宗頭を2時に出て間に合うの?と聞かれたが、自分でもこんな遅いスタートは初めてだし完踏出来るかどうかわからないと答えた。何となく間に合いそうな気はしたけど。
 練習会でいつも寄る24時間スーパー・キヌヤに行かず、正規の菊ヶ浜沿いのコースを走った。萩焼会館から越ヶ浜へ、ゆっくりだが走った。残り50kmを切って、東光寺へと向かうタコ嬢さんやへんないきものさんとすれ違った。元気な二人のパワーを分けてもらう。
 明神池から笠山への上り、そして虎ヶ崎へ、だいぶ脚が痛くなり下りでもつい歩いてしまった。それでもCP9・虎ヶ崎にはAM7:40着。A250のこっちゃんやK木さんの姿は既になかったが、だいぶ遅れを取り戻した感じ。以前の記録を見ると、2006年の完踏時との差は約40分となっていた。
三見〜玉江〜虎ヶ崎

日本海に出る頃にはすっかり明るくなった

駅舎の上に月が

常盤橋で日の出

快走!コバヤシ君

正規のルート、菊ヶ浜

へんないきものさん、10kmコースアウトしても余裕

■ 虎ヶ崎〜CP10・東光寺〜道の駅・萩往還公園:萩往還にたどり着く
 虎ヶ崎では気分的にだいぶ余裕ができて、缶ビールを飲んだ。川尻岬より量の多いカレーも完食。時間を決めて飲んでいる胃薬がしっかり効いていて、食欲がある。食べている途中でB140のS澤さんが到着、A250のショートカット失格事件を知った。以前は10箇所のCPを回ればいいということで、トップグループが夜間、萩往還道を通らず県道を走ったりするのは黙認されていたが、豊田湖付近や黄波戸など結構ショートカットできる場所はあるらしい。それが今回たまたまトップの順位に影響してしまい、失格となった。不公平だという意見が寄せられたり警察に届け出る関係もあって、だんだん厳格になってきているようだ。それに違和感を覚えるランナーがいるのは事実。でも決められたコースがあるならその通りに走らないと、250kmという達成感が得られない気もする。気が付いたらどこかで寝ているのかS澤さんの姿が見えなくなった。20分ちょっと休んで虎ヶ崎をスタートした。
 明神池・越ヶ浜でB140に出ている知り合い数人と会った。距離が伸びてきっちり140kmとなり時間的に厳しいと一様に話していた。越ヶ浜で越田さんともすれ違う。いつも通り4時に出発されたのなら、2時間弱の差はほとんど詰まっていないことになる。完踏を確信するようになった。
 しかしだんだん暑くなってきた。肉刺も痛み、練習会通りには走れない。最後のチェックポイント、CP10・東光寺には39:26で到着(AM9:32)。最後のパンチを押して、チェックシートをしまう。残り35kmに8時間半。大丈夫、間に合う。
 東光寺からは元来た道を戻り、松陰神社前のコンビニでアイスを買う。40時間が経過。松陰大橋を渡り、警察署手前の交差点、新しくできた道・R262号へと左折。橋本川を渡りその先、山陰線の跨線橋、歩道に右方向への矢印があった。もちろんこれはB140やC70の往路とD35のもの。A250と帰りのB140は直進しその先、萩有料道路入り口を左折しないといけない。ところがA250とB140数人のランナーが矢印に従って道路を渡ってしまった。その中に太宰府走ろう会のS藤さんがいたので大声で呼び止めた。ここからしばらく、そのS藤さんと一緒に走った。大屋川から涙松跡へのきつい上り、無理せず歩いた。地元の方から夏ミカンをいただいた。暑くて喉が渇いていたのでありがたかった。40:41(AM10:45頃)で道の駅・萩往還公園着。駐車場から往還道へ上がる所で、とり正のマスターと会った。そしてAM10:50、萩往還に入る。
虎ヶ崎〜東光寺〜萩往還公園

虎ヶ崎の朝食はカレー&生ビール

宗頭4時発の越田さん

涙松遺跡

きれいに片付けられた往還道(悴坂)

2007年の練習会、ここで川に転落

■ 明木〜一升谷〜佐々並:最高気温29℃!
 道の駅・萩往還公園駐車場から萩往還へと入った。3月の練習会の時に道をふさいでいた倒木などはきれいに片付けられ、以前に比べて広く明るく感じられた。以前、踏み外して川に落ちた悴坂の石橋はそのままだった。川尻岬でリタイヤしたY崎さんと久しぶりに会った。近くにこっちゃん等がいると教えてもらった。しかし追いかけようにも暑さという難敵が。三日目も朝から快晴、林を抜けて明木川沿い、日差しが強く、暑くてペースが上がらない。明木市のエイドには41:24(AM11:30)で到着、残り25kmに6時間半、時間的に余裕はあるが、暑さでフラフラ。明木饅頭を食べながらしばらく休む。
 明木川で一緒になったB140のT川君と一緒に一升谷へ。新緑が美しい。今年の練習会では雪と倒木に行く手を阻まれたが、ここもきれいに片付けられていた。しかし暑さと疲れで走れず、練習会の時より長く感じた。殆ど歩き通して、12時20分、一升谷十合目・五文蔵峠の頂上着。釿切の集落に下ると、流された橋もちゃんと架け替えられていた。R262号に上がり、釿ノ切峠までまた歩き。峠を越えてからそろりそろりと走り出す。肉刺も痛いが、それ以上に暑さがこたえた。首の周りは塩でざらざら。ハイドレーションパックを背負ってたのにリザーバーに水を入れず、ペットボトルのお茶しか持たなかったのが失敗だった。やがてそれも底をついた。ちなみにこの日の山口は最高気温29℃と初夏並みの暑さ。その暑さに苦しんでいるのは自分だけではなかった。脱水で動けなくなったA250のランナーがいて千持峠手前の休憩所で休ませたが、幸い元気なC70のランナーが近くの民家から水をもらってきてくれた。
 やっとのことで佐々並市のエイドに着いたのは43:33(PM1:39)。まずは佐々並豆腐を食べ、自販機でコーラとお茶を買って、コーラを一気飲み。水を頭からかぶり、疲れた脚にも水を掛けてスタートした。
明木〜一升谷〜佐々並

明木川を渡る

▲新緑

一升谷にて

十合目付近の石畳▼

明木饅頭

佐々並豆腐

■ 首切れ地蔵〜草餅エイド〜板堂峠〜天花畑:再びスタッフ・I氏と会う
 佐々並からは再びS藤さんと一緒に走った。S藤さんはさかんに時間を気にして、何度も間に合いますかねと聞いてきた。残り15kmに4時間、歩き通しても絶対に間に合う、大丈夫と返事した。最初はゆっくり走り、後半歩いてR262号を上り、右に下りて首切れ地蔵への分岐点に、A川さんの私設エイドがあった。A川さんは、こんなに暑くなるとは思わず参加しなくて良かったと言ってたが、そんな時に臨時のエイドはホントにありがたい。冷たいお茶を飲みながら休んでいたらスタッフ車がやって来た。下りてきたのはあのI村氏。まだ走ってたのと言われた。手伝えなくてスミマセンねぇといいながら、ちゃんとランナーを続けている証拠の写真を撮ってもらった。この頃は暑さによる辛さより、完踏出来そうだという喜びの方が大きかった。
 首切れ地蔵前を通り、県道に出てダラダラ長い上り。草餅エイドが見えて来た。H1年の第1回大会からランナーのために毎年草餅を作ってくれている。草餅を2個いただき、最後の上りへと向かう。キャンプ場の手前、今年も八重桜が満開だった。夏木原キャンプ場からは殆ど歩いたが何とか上りきって、15時40分、コース最高点の板堂峠着。さあ、あとは下るだけ。
 脚がどうなってもいいと思うのか、疲れてブレーキが利かないのか、石畳を気持ちよく駆け下りる。B140・C70のランナーを抜くのがちょっとした快感になってしまう。六軒茶屋でオカリナを聴く。毎年、オカリナの話は聞くのだが、実際に聴いたのは初めてのような気がする。そして16:20に天花畑、県道へと出た。
首切れ地蔵〜草餅エイド〜板堂峠〜天花畑

首切れ地蔵分岐点の私設エイドでI氏と

草餅エイド

草餅を食べて最後の上りへ

満開の八重桜

コース最高点・板堂峠

オカリナを聞きながら走る(六軒茶屋にて)

天花畑、石畳の道もここまで

たつみや商店

■ 瑠璃光寺ゴール
 残り4kmをノンストップ、木町まで下ってきたところで、Y本君から電話がかかってきた。フライング気味の祝福を受ける。木町の角を右折、声援を受けながら瑠璃光寺前の坂を上る。角の土産物屋・たつみやで生ビールを飲もうかと思ったが、そのままゴールへと駆け込んだ。
 4年ぶり3度目の完踏。タイムは46時間43分17秒で、ワースト記録。5回参加した中で、今年の練習量が一番少なかったので、当然の結果だろう。まあ最終日の最高気温29℃、完踏率44.9%、ゴール直後は3kgも体重が落ちているような状況だったので、良しとしよう。
 序盤抑えて後半に余力を残す。記録を見ると前半が1km10分台、後半が1km12分台で、三度の完踏の中で宗頭以降は今回が一番早く、前回・前々回より約1時間の短縮。確かにこの作戦が当たったようだが、正直言って宗頭2時過ぎのスタートで間に合うかどうか不安だった。長門市・仙崎から瑠璃光寺までの練習会を続けてきたことがようやく実を結び、仙崎以降を落ち着いて走れたのが良かったようだ。またわずか30分だったが思い切って宗頭で寝たのも良かった。
 序盤抑えて無理しなかったことで胃に負担がかからなかったのも大きい。今回胃薬はガスター20を一日2回、ガナトンを一日3回、時間を決めて飲むようにしたが、最後まで吐き気は大したことなく食欲はあった。
 それにしても2004年の雨が降り続いた萩往還など、なぜか完踏率の低い時ばかり完踏して、走りやすくて好記録の出た時にはリタイヤしてしまう、不思議だ。
 ゴール後、たつみやで生ビール、美味かった。

後半戦所要時間 通算距離 所要時間 関門と通過時刻
完踏証
萩往還2010完踏証
 宗頭文化センター発 175.7km 32:04 2:10/4:00発
 CP7・藤井商店 179.0km 32:27
 CP8・三見駅 188.1km 33:54
 玉江駅 195.0km 35:35
 CP9・虎ヶ崎 椿の館 206.9km 37:34 7:40/14:00
 CP10・東光寺 215.2km 39:26
 道の駅・萩往還公園 222.2km 40:41 10:47/15:00
 明木市 225.9km 41:24
 佐々並市 235.7km 43:33 13:39/16:00
 夏木が原キャンプ場 242.8km ?/17:00
 板堂峠 243.6km 45:35
 瑠璃光寺 250.0km 46:43 16:49/18:00

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平成22年5月5日 早くも仕事復帰、そして打ち上げ?
 5日に仕事が入っており、残念だったがクラブの打ち上げには参加できず、Y崎さんの車で北九州に帰った。5日はいつものように血液センター勤務。萩往還参加メンバーが4人、やってきたが、当然のことながら全員比重落ち。そのメンバーが、道の駅あさひでウドなどを買ってきてくれ、仕事が終わってから我が家で打ち上げすることになった。打ち上げに集まったのはB140完踏が一人、あとはA250・B140のリタイヤ組3人。そのメンバーのために食事を作り、天ぷらを揚げ。完踏した人間がリタイヤした人間に振る舞う、なんか逆のような気がするが。
萩往還打ち上げ

リタイヤ組

ウドの天ぷら

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