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■ 準備 | |||||||||||||||||||||||||||
昨年初めて参加し、22時間台で完走できた。この自信が萩往還250km完踏につながった。またエイドのおかげで気持ちよく走れ、終わってからの懇親会も楽しかった。そういう思い入れのある大会であり、今回金・土の開催でランナーとして参加できないとわかった時、直ぐにボランティアを志願した。
大会前の一週間は準備に忙殺された。コース誘導のミニ看板を100枚、それも全て反射材を貼って目立つようにして、さらにラミネート加工した。 エイドで何をどれだけ準備するかも頭を痛めた。三瀬ざっといかんばい林道マラソンでもエイドをしたが、この時は主催者側が用意してくれた。しかし今度は徹夜のウルトラマラソン、基本的に食料はランナー自身がコンビニなどで調達するようにとなってはいるが、昨年参加した時は各エイドがそれぞれ工夫を凝らした食べ物でもてなしてくれた。寒いので体が温まってしかも胃に優しいもの、特に有り難かったのがお粥だった。 そこで得意のダッチオーヴンを使ってお粥を出すことにした。1週間、毎日試作のお粥ばかり食べていたが、最終的にさっぱりした梅粥を作ることに決めた。また大豆とキャベツのポタージュ、カステラを作って持っていくことにした。スープなどを保温するため、車載用の温冷蔵庫も買った。前日2時間睡眠で何とか準備を終え、嬉野へと向かった。 |
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■ 2月11日 嬉野温泉スタート | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
東京から朝一番の便で九州入りする弟の兄さん等を迎えに行くため福岡空港へ。8時ちょうどに到着し、辻本さん、西田さんと、東京組を待った。西田さんと自分の車に分乗し嬉野へと向かう。10時ちょっと前に嬉野IC着、旅館松園を出発して国道34号線と合流する所に先回りして10時スタート組を応援することにした。雲一つない快晴の下、ランナーの集団が近付いてきた。30人くらいはいただろうか、道草コース組もいて実に楽しそうだった。福岡〜嬉野前夜ラン100&70kmのゆきひろ父さん、横ちゃんも元気そうだった。何枚か写真を撮った後、スタート地点の旅館松園へと向かった。
受付は10時組を送り出した後で、おにぎりを食べたりとのんびりしていた。コース誘導のミニ看板に紐を通したりしているうちに、12時スタートの時間が迫ってきた。 12時スタート組の集合写真やスタートの写真を撮る。12時組は約40人と最も多かった。34号線からの分岐点などでコース誘導した。天気がいいので、みんな気持ちよさそうだった。コース誘導後、同じエイドスタッフの村田さんと佐藤賢一さんが飲み物や紙コップなどの買い出しに向かい、自分は先に西海橋へ向かってエイドの準備をすることにした。俵坂峠でカメラを構えていたら、先頭のランナーが道を間違え、多くのランナーがそれに付いていってちょっとばかり遠回り。この先150kmの長旅、気を付けてくださいね。 西海橋に向かう途中10時組のランナーとすれ違い、所々で臨時エイドをしながら、14時に西海橋到着。 |
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■ 2月11日 西海橋エイド | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
カセットコンロやシングルバーナー計3台使い、お湯を沸かしたりお粥を作ったりしてランナーを待つ。15時台はぽつぽつとしかやってこなかったが、16時を過ぎてからランナーが増えてきた。小集団でやってくることも多く、ゼッケンの確認や写真撮影が忙しくなった。前夜ラン100&70kmのゆきひろ父さん、横ちゃんも元気にやってきた。 17時台になると12時出発組もやってきて、飲み物・食べ物の用意や到着時間のチェックが追いつかなくなってきた。温かいスープやコーヒーを希望されるランナーが多かったが、ポットを倒して割ったためにお湯が間に合わないこともあった。18時前に前村さん、ちょっと遅れて野口さん等が到着。日が沈んで冷え込んできたが、この頃にはスープ・カステラはほぼ完売。困ったのはお粥。気温が低くて火力が落ち、家で試作した時よりかなり時間がかかってしまい、待ちきれずにスタートしていったランナーもいた。 20時、大橋さんとダブルさんが到着、さすがにスピードランナーだけあって、1-2分の休憩で直ぐに出発。しばらくしてふじもっちゃんも快調なペースで到着したが、約束のお粥がちょうどなくなったところだった。 33kmエイドを撤収した峯さん等が来られたので、残った米で梅粥作りを実演し、試食してもらった。今回自分たちも含め、各エイドで様々なお粥が出されたようだ。最終ランナーは久保田君。21:44到着だったので、エイドの撤収は予定より1時間早くなった。時津に向かう途中、55km見野さんのエイドに寄ってお粥とぜんざいをいただく。65km江口さん、智ちゃんのエイドでは豚汁をもらった。70km川浪さんのエイドに寄った時、前村・野口・吉田さんが到着した。ランナーに声をかけたりしながら、23時過ぎ、時津・ひごもり集会所に着いた。 |
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■ 2月11〜12日 時津エイド | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
80km時津の公民館に着いた時は、気温2℃。厳しい寒さにもかかわらず佐藤先生は車の中でランナーを待っていた。中に入ると、山下さん・西田さん・村上さんの奥様の他、タラさんも働いていた。湯豆腐をもらい、続々到着するランナーと話しながら、焼酎を飲んでいた。
1時頃外に出た。かなり冷え込んでいる。ランナーは走っているせいか、寒さは思ったほど感じていないようだ。しかしこれから明け方にかけて、まだまだ気温は下がりそうだ。中に戻って、また焼酎を飲む。いつ頃寝たかは憶えていない。朝6時前、タラさんにたたき起こされ、フラフラしながら車に乗り、一旦北九州へと戻った。 |
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■ 2月12日 懇親会 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
仕事を終えて再び嬉野へ向かう。眠くてたまらず、古賀SAで一眠り。松園到着は17:30で、何とか乾杯に間に合ったが成績発表は終わっていた。トップのダブルさんが16h28mのぶっちぎりの新記録で優勝、ふじもっちゃんが後半猛烈に追い上げ同じく16時間台、3位に大橋さんが17時間台など、4人が大会記録というハイレベルの争いになった。
大村湾一周UM一番の楽しみである懇親会では参加者持ち込みの記念品抽選会や川口さんの三線、野口さんの南京玉すだれ、さらにエイドスタッフの紹介もあり、ランナーとボランティアが一緒になって盛り上がる。最後は二升瓶の大将、渕上さん、峯さんと博多手一本で締めた。 懇親会終了後、最終ランナーの湯口さんは19時過ぎに戻ってきたが、寒さでガタガタ震え、立つこともできないくらいで、田中さん等と抱えるようにして控え室へ連れて行った。 温泉に入り、タラさん、ふじもっちゃん、ダブルさん等を見送り、それから自分たちの部屋で二次会。23時半頃寝た。 |
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■ 2月13日 長崎観光 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
7時過ぎに起きて、小雨の降る中露天風呂に入った。長崎観光する山下さんとともに、弟の兄さんやあんころ姫さん達東京組を長崎まで送り、ついでに長崎観光することになった。土産に温泉豆腐を買い、9:30過ぎに出発、途中忘れられた案内看板を外し、道の駅彼杵の庄へ。いちご大福を買って早速食べる。東彼杵ICから長崎自動車道で長崎へ向かう。天気も良くなり、大村湾がきれいに見渡せた。絶好の観光日和。
平和公園の駐車場に車を止め、路面電車に乗って大浦へ。天主堂の前で記念撮影してグラバー園、オランダ坂、孔子廟などを歩き回って中華街へ。さすがにランタン祭開催中とあって人出が多く、お目当ての喜楽苑は諦めざるを得なかった。どの店も20-30分待ち、つまみ食いしながら空くのを待ち、ようやくちゃんぽん・皿うどんにありつけた。 |
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■ 終わりに−−−大村湾一周ウルトラマラソンの今後 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||
今回初体験となったウルトラマラソンのエイド、事前に佐藤先生から届いたサポート要領書には、「給水と健康管理が目的です。給食の必要な方は各自コンビニで調達するように伝えてください」、「全てのランナーに公平に、リタイヤ者には突き放し」などの心得が書かれてあった。給食不要?
去年の大村湾一周UMでは一度もコンビニに入らなかった。入る必要がないくらい、エイドが充実していた。そんなことを思い返しながら、寒い中走ってきたランナーに温かい食べものを出したい、それならダッチオーヴンでお粥を作ろうと思い付いたのだった。明け方は氷点下になるなどかなり冷え込んだ今年の大会、寒くなったためか、「お粥サービス」のラッシュとなった。自分たちのエイドでも完売した。 しかし手際が悪かった。ダッチオーヴンを使おうというのに無理があったのか。スープを作って米を炒って出来上がるのに約30分かかる。ファーストフードのようには出せない。先を急ぐランナーに間に合わなかったこともありました。大豆スープとカステラは家で作って持っていったが、これも量が足りませんでした。食べられなかった方、ごめんなさい。 今回エイドの開設時間は一箇所あたり6時間と決められ、西海橋エイドは17:30〜23:30となっていた。しかしこれでは10時スタート組のトップランナーには間に合わない。食料調達係とエイド設営係に分けたのは正解だった。14時過ぎに着いて、エイド設営場所を探しているうちにトップランナーが到着し、用意していたスープを出すことができた。 いろいろ反省点はあるが、いい経験ができました。 さて、この大村湾一周ウルトラマラソンは来年が10回目、最後の大会になると聞いていた。景色も大会の雰囲気も素晴らしいこんな大会が無くなるのは実に惜しい。ところが大会幹事・佐藤先生の挨拶を見ると、「運営母体を見直すなど、できれば長崎県在住の方に引き受けて戴くなどして、存続できればと考えています。もちろん、『佐賀県酒蔵巡りマラニック』も選択肢の1つと考えています」と書かれている。無くなると思っていたが、存続する可能性がある? それなら自分が後を引き継ごう、そう思うようになった。このことは佐藤先生にも話した。 大会終了後の打ち上げで、長くこの大会に関わってきたメンバー等と話し合った。引き継ぐなら手伝おうと言ってくれる人もいるが、その一方で予定通り来年で終わりにしようと言う意見もある。 自分が引き継ぐにしても、北九州から長崎は遠い。 存続か10回で終了か、存続するならどのような形で残すか、時間をかけて考えていきたい。この件に関して、ご意見をお寄せ下さい。また協力しましょうという方(特に長崎方面)も連絡お待ちしています。 Mail to 三代目走るウルトラ飲兵衛うーさんこと植村昭男 |
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