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久々のウルトラである。昨年は萩往還250km、玄海100kmと二度もリタイヤしてしまった。今年はと張り切っていた割りに、先月の居酒屋マラニック2−二升瓶toさくらであっさりリタイヤ。大村湾一周は今回が最後になるかもしれず、また萩往還前哨戦でもあり、何とか完走して、萩につなげたいと思っていた。
前夜は飲兵衛が二升瓶に集まった割りにみんな自重したのか早めにお開きとなった。AM7時過ぎに起床、土屋さん・辻本さん等を迎えに行き空港へ。西田さん、奥野さん等と合流し、嬉野へと向かった。 |
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2006大村湾一周UMの写真・記録集、参加者の完走記はみのむしの東西南北駆けある記
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■ 2月11日 嬉野温泉スタート---悪夢の再現〜ゼッケン77 | Page top | ||||||||||
■ 大人気の10時組
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嬉野着は9:45、何とか10時組のスタートに間に合った。松園に着くと、50人を超えるランナーで大賑わい。今回約120人がエントリーしているが、そのうちの約半分、56人が10時スタートだった。山崎さん、弟の兄さん、楽松さん、堀さんや、青馬会RCのこがみちゃんら、多くのランナーに挨拶しては写真を撮って回る。そして10時、いよいよ大村湾一周UMが始まった。いつものことだが、みんな楽しそうにスタートしていった。
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10時組のランナーを見送った後受付。ゼッケンを見た瞬間、悪夢が蘇ってきた。77番。初リタイヤとなった、去年の萩がA77。嫌な予感がする。2階の大広間に荷物を置きに行く。土屋さん等は温泉湯豆腐を食べに行くというので、椿さんを誘って一緒に食べに言った。店は松園近くの宗庵よこ長、もちろんビールも飲んだ。12時組を見送るため、11:50、松園に戻った。12時組も42人以上と、こちらも賑わっていた。
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12時組がスタートした後は、閑散とした。残りは20数人しかいない。その14時組は、中村集さん、椿さん、渕上さん、坂本明子さん、松原さん、村上さん、山下さん、山本哲也さん等、しかも実力者が多い。集合写真を縞猫さんに撮ってもらい、スタートした。
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■ 2月11日 嬉野温泉〜鈴田峠〜長崎〜時津---オーバーペースで、、、 | Page top | ||||||||||
■ 嬉野〜東彼杵〜鈴田峠---快調に、、、飛ばし過ぎた
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曇で時々小雨が降るあいにくの天気だが、気温はそれほど低くはなく、走りやすかった。スタートしてしばらくは集団走、お互い牽制しあっているのか序盤で抑えているのか、誰も飛び出さない。地図を持たない坂本さんや初参加の集さんは、コースアウトしないように、誰かに付いて行こうという作戦だろうか。結局先頭グループと一緒に走り、俵坂関所手前くらいから、先導するような形になってしまった。おそらくペースとしては1km5分30秒くらいではなかっただろうか。俵坂峠からの下りは抑えるつもりだったが、ここも先頭で下ってしまう。東そのぎIC付近で、一人のランナーが段差に躓いた。白杖を持った坂井さんだった。歩道などの段差は殆ど分からないと言っていたが、実はかなりの実力者だったと後で知る。
飛ばし過ぎてきつくなり、18km・松原エイドで休むことばかり考えていたが、そのエイドがない。スタートしてちょうど2時間、ようやく藤瀬さんのエイドに着いた。ここには北海道から参加の縞猫さんの奥さんもボランティアで働いていた。18kmで2時間、まずまずかなと思って確認したら、23km地点とのこと。早くも1時間前にスタートした藤原さんに追いついてしまった。雑炊でも食べてゆっくり休もうと思ったが、集さんに急かされて直ぐにスタートすることになった。早いランナーはエイドでの休憩も短いのだった。
休憩時間が短くなったのは辛かったが、幸い次の28km・昊天宮には予定通り江口さんのエイドがあった。先頭で現れたので、さすがに江口さんから飛ばし過ぎと言われてしまった。ここには楽しみがあった。特製大豆スープを江口さんに預けていたのである。しかし評判が良かったらしく、既に売り切れ。がっくり来て、変わりに缶ビールをもらった。そしてまた直ぐにスタート。
先頭グループは7人、だんだん付いていくのがきつくなり、どこで先頭グループから離れるか、そんなことばかり考えていた。鈴田峠の上りにかかって、ガクッとスピードが落ちた。何とか40km・鈴田峠、峯さんのエイドにたどり着いたが、吐き気がし始めた。だいたい160kmのレースで、序盤40kmを3時間48分、フルで言えばサブフォー・ペース、とんでもない。ついにここで先頭グループから脱落し、ゆっくり休むことにした。
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鈴田峠では20分くらい休み、坂井さんと一緒にスタートした。その坂井さんは結構いいペースで走り、付いていけない。諫早市内への分岐点まで誘導し、そこで別れた。市内を抜け、歩道橋を渡ったりしてR34の左側に出る。暗くなっての単独走、足が動かなくなってきた。50km・諫早、衛藤さん、井上さん達のエイドには、真っ暗になった19時半過ぎに着いた。アーリースタートのランナーに追い付き始めたが、ここまでの10kmに1時間半かかっていた。速度は半分近くまで落ちたことになる。飛ばしすぎのつけで、胃の調子も悪い。まだ100km以上もある、立て直せるだろうか。何とかスタートしたものの、このままでは宴会ゴールどころか時津でリタイヤなんてことになりかねない。
しかし多良見ICを過ぎたところのコンビニでマッちゃんに会う。ニュージーランド縦断の予行演習と言っていたが、大きな荷物を背負い、杖まで持っていた。コンビニの先で自販機を見つけ、お茶を買い、胃薬を飲む。何とか62km・水族館横のエイドに着いた時は21時を過ぎていた。12時組の奥野さんと一緒になった。ここのエイド担当は山口さん、見野さんや綱場町の柳沢さん・牛島さんだが、そこにだいぶ差を付けたと思っていた渕上さんが現れた。綱場町が勢揃い。しかし調子は最悪、時津でリタイヤするかもと弱音を吐く。何とか意地で一足先にスタートしたが、足は動かなかった。
困ったことに、この頃から早くも睡魔が襲ってきた。のろのろと新日見トンネルへの上り坂を走る。その横を一人のランナーが素晴らしいスピードで走り抜けていった。16時組?、後でわかったが、大会新記録15時間半で優勝した菖蒲さんだった。あまりの眠気に、トンネル入口で仮眠しようかと思い、座り込んだところでついに渕上さんに抜かれた。結局眠らず、少し休んで立ち上がる。トンネルを抜けると長崎市内と下っていく。しかしペースは上がらない。諏訪神社手前の地下道入口でトイレに入る。地下道を出た所で同じ14時の松原さんにも抜かれた。70km・桜町公園は22時半に通過、一昨年はちょうど8時間でスタートしたので、ここで30分遅れとなる。ちょうど長崎ではランタンフェスティバルが開催中だったが、さすがに寄り道する余裕はない。長崎駅前で、台風クラブの小田さんや、10時道草コースの平賀さん・國府さん等に追い付いた。しかし一気に抜き去る力が残っていないのが情けない。
23時過ぎ、75km・長崎大エイドに到着。座り込んで温かいものを飲む。後から到着した國府さんや平賀さんらは、補給を済ませるとさっさとスタートしていった。その先、自販機でココアを買って休んでいたら、目の前を縞猫さんが走り抜けていった。そろそろふじもっちゃんにも抜かれそうだ。時津のエイドまではあと6kmほど、とにかく時津まで行ってそこで寝ようと、よろよろと立ち上がった。
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■ 2月12日 時津エイドで爆睡 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■ 84km・時津エイド
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ゆっくり、それでも確実に歩を進め、0:55、時津・火ごもり公民館に到着した。いつものように公民館の外では佐藤先生が全ランナーを出迎えていた。吐き気が強く何も食べられそうにないので、先に衛藤さんのマッサージを受け、それから一眠りすることにした。仮眠場所では山崎さんや瀬島さん、奥野さん、川浪さん等に会った。瀬島さんはここで止めるという。マッサージの後、40分ほど寝て目が覚めた。しかし吐き気は、逆にひどくなった。何も食べられない。キッチンには西田さん、村上さん、佐藤先生の奥様等がいたので、写真を撮った。お粥を用意してくれたので、ちょっといただいてからスタートした。公民館での休憩時間は実に1時間50分!
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■ 2月12日 時津〜西海橋〜東彼杵〜嬉野温泉---24時間 | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■ 時津〜琴海町〜西海橋---仮眠場所を求めて、、、
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時津をスタートした後も相変わらず胃の調子が悪く、眠気も取れない。だんだんと蛇行しながらスピードも落ちてきた。近くにはマッちゃんや横ちゃんがいた。ほぼ同時に100km手前、藤瀬さんのエイドに着いた。のんびり走っていたので少し食べられそうだったが、食べ物は既に無くなっていた。サポートを受けられるランナーの殆ど最後尾なので、仕方ない。幸い5kmくらい走ったら江口さんのエイドがあったので、ゆっくり休みながらちょっと食べた。眠いので、江口さんの車で仮眠を取ろうとしたが断られ、諦めてスタートする。去年の萩では、仙崎で車の中で寝ていた江口さんを見つけてその場でリタイヤしたから、これで良かったのかもしれない。
しかしどうにも眠気には勝てない。普段、幻覚なんて見ることもないのだが、この日だけは木を人と間違えたりした。明け方近く、バス停の小屋を見つけたのでその中に入ると、先客の小田さんがいた。小田さんが出ていき、交代で横になった。目が覚めると地元のおばちゃんが入ってきて、目が合ってしまった。ホームレスにでも間違えられたかな。
107km・旧オランダ村まで来たところでついに日の出を迎えた。一昨年は大串で日の出を見た。2時間早くスタートしたのに、5kmも遅れている。その先に峯さんのエイドがあり、最後の煮麺とカップラーメンをもらった。ここからしばらく走って大串、一昨年と比べ実質4時間の遅れ。眠気も相変わらず。雑貨屋の店先に座って缶コーヒーを飲みながら海を眺めた。穏やかな天気だが、まだまだこの先50km残っている。一時は時津で止めることを考え、サポート受けられるかどうかギリギリの後方をたった一人で走り、スタッフ仲間には弱気な振りをしていた。しかし不思議と止める気はなくなっていた。どれだけ時間がかかり、宴会ゴールになろうとも、絶対にゴールするという気力は持ち続けていた。昨年、萩での初リタイヤに始まり、玄海の鼻血リタイヤ、先月の居酒屋マラニックリタイヤ、中でも萩のリタイヤをずーっと引きずっていたのだと思う。そしてその萩往還と同じナンバーカードをもらった時に、絶対に断ち切ろうと決めたのだった。スローペースではあったが、二日目の好天、暖かい日差しは実に有り難い、天の恵みとなった。
海岸沿いをのんびり走っていたら地元の人から声をかけられた。いくつものランナーの集団が駆け抜け、何事かと思ったらしい。西海橋手前、きつい上りが始まる頃、右に第二西海橋への道が見えてきた。ゆっくりだが走って上りきると、小迎交差点、ここはたった一人だがフルのスタート地点でもあり、衛藤さん等のエイドがあった。119km・西海橋には9:50に到着した。
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西海橋からは結構アップダウンがあり、上りは無理せずラン&ウォークとした。しばらく小田さんと喋りながら走る。峠を越えると、江上町の交差点まで一気に下る。ここでコースアウトするランナーが多く、今回はエイドが設けられていた。胃の調子は良くないが、少しお粥をもらった。牛島さんに聞いたら、渕上さんは相当早く通過したらしい。休んでいたらエイドを撤収してきた衛藤さん等が来たので、記念撮影した。我々が最後尾なのである。時間がかかって申し訳ないです。それでもここまで来たからには諦めずにゴールに向かうと宣言してスタートした。
しかし相変わらず眠くてボーっとしていた。指方町を右折した後、時計を止めいることに気が付いた。針尾橋を渡って、ハウステンボスの写真を撮る。ここから川棚町、東彼杵町にかけてがまたアップダウンの連続。そして再び睡魔。南風崎のスーパーや、小串郷手前のコンビニで何度か居眠りした。白石郷に入ると再び大村湾が見えてくる。ここから東彼杵にかけて、逆光にきらめく大村湾の眺望が一番好きだ。
140km・川棚町に最後のエイドが設けられていた。ここでマッちゃん、中村麻美さんと一緒になり、東彼杵まで一緒に走った。二人ともいいペースで休むことなく走る。付いていこうと思うのだが、スピードを上げると吐き気がひどくなってペースを落とさざるを得ない。14:20、東彼杵町に入り、3人で記念撮影。しばらくして前方にランナーが見えた。峯啓子さんだった。マッちゃん等には先に行ってもらい、ペースを落としてしばらく峯さんと一緒に走った。
15:16、江頭交差点を左折、いよいよ最後の難所、俵坂峠への上りにかかる。無理せず早歩きに徹したが、ウォークでも天気が良くて寒さを感じないので助かった。それにしても俵坂峠は遠かった。実は距離を勘違いしていた。5km、歩いて上って1時間と読んだが、実は7kmだった。左カーブの度にその先に峠が、、、何度も裏切られた。結局、俵坂峠まで1時間27分かかった。少しは走れば良かったかな。
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■ 160km・嬉野温泉---宴会ゴール | Page top | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
俵坂峠を越えれば、嬉野まで5km下るだけ。自然とペースが上がる。R34から別れ、温泉街への道に入る。遠の昔にゴールして帰ろうとする山本君と会った。楓ノ木を右折、ついに戻ってきた。17:31、松園にゴール。一昨年より5時間以上も遅れて27時間31分、長くて辛い大失敗のレースだった。原因は序盤の飛ばし過ぎ、スタートして40kmまでが3時間48分だったのに対し、残り120kmにほぼ24時間かけてしまったのである。それでも途中でつぶれても宴会ゴールになっても何が何でも完走するという目標は達成でき、満足はしていた。もちろん萩で同じ失敗は繰り返せないが。
既に懇親会が始まり、ゴール地点にはスタッフの檜垣君等しかおらず、ゴールの横断幕もなかった。西田さんにTelしたらゴール横断幕を張ってくれ、ようやくちゃんとしたゴール写真が撮れた。早速温泉へ。のんびりつかり、体をストレッチ。温泉から上がって宴会場へ行くと、まさに宴たけなわ。そりゃそうだ、1時間半も経っているのだ。取り敢えずビールを飲み、縞猫さんや江口さん等と乾杯し、みんなの写真を撮って回る。最後はいつものように二升瓶の大将・渕上さんとともに呼び出され、博多手一本で締めくくった。こうして最後の大村湾一周UMが終わった。
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■ 終わりに−−−大村湾一周ウルトラマラソンの今後 | Page top |
今回の第10回大会を以て、大村湾一周ウルトラマラソンは終わった。宴会ゴールだったので、大会幹事・佐藤先生がどのような挨拶をされたか聞けなかった。大村湾一周UMが終わって3週間後、来年から開催される予定の佐賀酒蔵巡りマラニック試走会に参加した。そこでこの酒蔵巡りマラニックがどのような大会になるかを佐藤先生に伺った。ある程度予想していたのだが、地域興しの酒蔵巡り、夜間走はなく、距離160kmを2日間に分けて開催するということで計画されているようだ。
佐賀酒蔵巡りマラニック試走会へ 2ステージ、しかも酒蔵見学したりしながらのマラニックとなると、大村湾一周ウルトラマラソンとはかなり異なった性格の大会となる。萩往還の前哨戦として一昼夜通して走るなら、やはり大村湾である。そこで、この大会の常連メンバー等と、完全にプライベート、エイド無しで大村湾を走ろうという計画が持ち上がった。大村湾一周12月バージョンは12月2-3日か12月16-17日の土日を予定しています。なるべく多くの方に参加いただけるように、現在開催日についてのアンケートを行っています。 参加予定の方は、下記サイトのアンケートにご協力下さい。 大村湾一周12月バージョン開催日アンケート(終了しました) |
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