さがん がばいウルトラ 葉隠走友会主催
第4回 佐賀城本丸ウルトラマラソン130km
大隈重信生誕170年・早稲田大学創立126周年MEMORIAL
 正月恒例となったこの大会(?)も今回も4回目。多少のメンバーの入れ替わりはあるが、基本的に葉隠走友会+北九州ウルトラRCメンバーというのは変わりない。正月早々、それも二日間の遠征なんて、普通なら許されないのかもしれないが、我々にとっては新年走り初めとしてすっかり定着した。なかなかメンバーは増えないが、世話人にとって、また参加する我々にとって、ちょうどいい規模なのかもしれない。例年通り、大晦日にいろいろ行事があり、今年も1日に佐賀移動、2日の復路(名護屋城→佐賀城)のみの参加である。

 今回の大会案内状には、「現代社会に脈々と息づく佐賀の心、今回は大隈重信生誕170年、早稲田大学創立126周年MEMORIALとなっております。早稲田大学が箱根駅伝で栄冠を勝ち取る事が出来ますように祈りのRUNとしたいと思っております・・・」と書かれていた。そして主催の川浪さんは大まじめで、勝手に佐嘉神社で箱根駅伝での早大優勝を祈願してきたらしい。果たしてその結果は。

ゴールの佐賀城鯱の門にて
前回の大会 2006年 第2回
2007年 第3回

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■ 平成20年1月1日 雪---初日打ち上げ

初日の打ち上げ:日の丸に寄せ書き
 元旦、目を覚ますと外は風が吹き荒れ、激しく雪が舞っていた。といってもこの日は北九州ウルトラRCのメンバーと博多駅交通センターで待ち合わせてバスで唐津へ向かうだけ、缶ビールを飲みながらの移動である。
 もちろんこの悪天候、強烈な向かい風の中、佐賀城から名護屋城へ走っているメンバーもいたのである。あとで話を聞いたが、初日はサポートもなく、二人だけで黙々と走っていたそうだ。さすがに雪で危険と判断し、七山村・観音峠越えを止め、小城・厳木経由にして、16時過ぎにはゴールされていた。
 18時、民宿に到着し、早速初日打ち上げの宴会。年々、弁当やつまみが充実してくる。情報に拠れば、観音峠は雪と凍結で走るのは無理らしく、二日目も厳木経由で走ることになった(上コース図)。正直言って、標高450mの観音峠を越えて75km走り切る自信が無かった。厳木経由だと、難所は標高150mの笹原峠くらいで距離も65km。これなら何とか完走できるかな。21時頃まで飲んでお開き、直ぐ眠りに就いた。

■ 平成20年1月2日 佐賀城本丸ウルトラマラソン(復路)
■ 前半:名護屋・民宿富士〜唐津〜相知〜厳木

5:05、名護屋スタート前に
 いつものように4時過ぎに起床、着替えてパンを食べる。外はまだ真っ暗、幸い昨日に比べ風は弱く、雪も止んでいた。5時前に民宿を出て近くのコンビニで飲み物を調達し、記念撮影してスタートする。名護屋大橋を渡って半島内部の道へと右折。ややアップダウンのある道を快調に飛ばした。しかし調子が良かったのではない。単に追い風だっただけ。練習不足のツケは直ぐに現れた。岩野から唐房への長い下り坂、早くも足が動かなくなった。まだ10kmくらいしか走っていないのに先頭から最後尾へ、情けない。

 7時半、舞鶴橋を渡りながら唐津城の写真を撮る。だいぶ雲が切れてきた。唐津ロイヤルホテル手前のコンビニで休憩。永尾さんは別のメンバーを迎えに行くため、ここで一旦我々と離れる。リタイヤしたくても厳木までは頑張らないといけないのである。松浦川沿いを東唐津方面へ。鏡山方面から朝日が昇ってきた。薄雲がかかっていたが、元旦は雪だったので、今年の初日の出である。朝日を浴びるランナーの写真をと思ったが、今日は常に最後尾、後方から撮った写真しかない。

 唐津大橋東、国道202号線との立体交差で、行き先がわからなくなる。国道経由なら右の佐賀・伊万里方面。ところが昨日走っている川浪さんは左と言い出す。いつもの浜玉〜七山村経由なら左折だが、今日は厳木経由。地図もなく、昨日走った主催者がわからないとは。幸い、尾形さんが地図を持っておりコースを確認、直進してからつ競艇前を通り、唐津IC出口を右折、相知町へ向かうことにした。平坦でのどかな田園地帯、天気もよくなり、気持ちがいい。しかし足は動かない。8:45、久里双水古墳着。だいぶ汗をかいたので、ベストを脱いだ。西田さんは遅れるからと、いつものように休まず先へ行ってしまう。追いつけない。みんなとの差も徐々に広がっていった。そのメンバーは小さな神社の前で休んでいた。鳥居横の石には丸熊神社と彫ってあるのだが、鳥居には熊野神社と彫ってある。不思議だったので境内を見て回っているうちに、またもみんなに置いて行かれた。相知町の山崎橋で県道40号から国道203号に合流、ここでようやく追い付いた。スタートして30km、それに4時間半もかかっていた。

 曲げ伸ばしするたびに膝に激痛が走るようになった。膝が曲げられないので、足を振り回すような感じの変な走り方になってきた。いつもは疲れると、ラン&ウォークで進むが、変な走り方でも一定のペースで走る方が楽だとわかり、休まず3kmくらい走った。途中で、佐賀34kmの標識を見つけ、少し気が楽になった。厳木手前のコンビニでお茶を買う。休んでいたらまた足が動かなくなった。歩きが多くなる。厳木駅を過ぎ、道の駅きゅうらぎまでもうちょっとと言うところで、左手に雪化粧した天山が見えてきた。そして約6時間かけて、38km・道の駅きゅうらぎに到着、残りあと27km。
唐津〜相知〜厳木

7:28、舞鶴橋を渡る。唐津城
7:48、唐津〜東唐津の松浦川沿い、朝日を浴びて走る

8:46、久里双水古墳
9:07、丸熊神社

9:43、相知町、国道203号線に合流

11:00、天山(道の駅きゅうらぎ手前)

■ 後半:厳木〜多久〜小城
 道の駅で永尾さん・吉田さんが合流、車に積んだ荷物からナパゲルンローションを出してきて、膝などに塗り込んだ。道の駅では温かいものを期待していたが、正月で店は休みだった。仕方なく自販機でコーンスープを買う。休んでいたら足も動かなくなるし、遅れていたので先にスタート、、、しようとしたらみんなも一斉にスタート、そしてアッという間に姿が見えなくなった。道の駅を出ると笹原峠まで上り。しかし標高150m程度なので、だいぶ歩いたがあっけなく峠を越えた。下りで膝が痛み出し、バス停に座ってナパゲルンローションを塗る、その横を西田さんが走り抜け、またも最後尾に。

 多久の市内で逆走してきた佐藤先生と合流した。意外に坂の多い多久市内、その坂を上りきったところにうどん屋があった。先行するメンバーはみんな温かいうどんを食べているらしい。しかし余裕のない西田さんと自分は寄らずに走ることにした。多久バイパスとの分岐点からしばらく走るとコンビニがあった。パン・プリンとお茶を買う。休めば膝が動かなくなるし、休む時間も勿体ないので、左手にレジ袋を持ったまま走ることにした。レジ袋ランナーは尾形さんの専売特許となっていたが、真似をしてみると、直ぐにものを食べることが出来たりと、なかなか具合がいい。東多久駅を過ぎて東部中・小前、また膝の痛みが強くなり、休んでナパゲルンローションを塗り込む。うどんを食べてきたメンバーに抜かれた。でも残り18km、時間はまだ昼をちょっと過ぎたくらい、何とか完走、いや完歩できそうな気がしてきた。

 多久から小城へ。相変わらず最後尾は西田さん・佐藤先生と自分の3人だった。小城の町中に入る。羊羹屋が目立つ。佐藤先生が、ここの羊羹が美味しいと教えてくれたのが、元祖むら雲堂本舗。七山村・観音峠が凍結していなければ小城を通ることはなかった。せっかくなので羊羹を2本買い、店主としばらく雑談。この間に、佐藤先生・西田さんの姿は見えなくなった。
多久〜小城

11:41、笹原峠を下って多久へ
雪化粧の天山と唐津線の列車

13:45、元祖むら雲堂本舗
小城羊羹を購入
■ 小城〜佐賀城本丸ゴール
全コース所要時間
通算距離 到着時間
 名護屋〜唐津〜厳木 38km 5:51
 厳木〜小城〜佐賀城 65km 10:46
 小城からは完全に一人ぼっちとなった。でも残り12-3km、歩いても18時までにはゴールできるだろう、そう思うと気が楽だった。天気が良く、温かくなったのも幸いだった。久保田駅を過ぎ、207号線に合流、嘉瀬川を渡って森林公園前で休んでいた男性陣と合流。最後は西田さんとゴール・佐賀城へ向かった。さすがに膝が痛くて走る気力は残っていなかった。佐賀県庁を過ぎてちょっとだけ走り、16時ちょっと前、何とか佐賀城鯱の門にゴールした。
 膝はもはや限界、それでもゴールできたのは厳木経由に変更されたことで、観音峠を越えずにすみ、距離も10kmほど短くなったから。観音峠越えだったら、おそらく車の世話になっていただろう。そんな気持ちを日の丸に寄せ書き、それを持って記念撮影して、ホテルへと向かった。
佐賀城本丸ゴール

15:57、佐賀城鯱の門にゴール

打ち上げはいつものかちがらすで

Saga Light Fantasy
■ 佐賀城本丸UMゴールの打ち上げ、そして翌日は、、、
 佐賀駅前の東横インにチェックイン、それから極楽湯へ。19時からホテル近くの焼鳥屋・かちがらすで打ち上げ。膝の状態を考えると、翌日の北九州ウルトラRC新春ラン・企救半島一周35km参加は無理だろう。明日のことは考えずにしっかり飲んだ。21時にお開き、Saga Light Fantasyのイルミネーションを見ながらホテルに戻る。見事早大が今日の箱根駅伝往路優勝を遂げたことをスポーツニュースで知った。

 3日、朝6時に目が覚めた。膝の状態は最悪、痛くてホテルのユニットバスの段差でも激痛が走った。とても走れる状態ではない。しかし一晩寝て、気が変わった。行けるところまででいい。着替えて7:31の特急に乗り、小倉へと向かった。
Running Diary:北九州ウルトラRC新春ラン
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