平成20年1月 尻に火は点いたか?---正月三が日100km走 |
■ 1月2日 佐賀城本丸ウルトラマラソン(復路65km)
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佐賀城本丸ウルトラマラソン・レポート |
2008年の元旦、風が強く、時折激しく雪が降る。博多からバスで唐津・名護屋へと向かう。恒例の走り初め、今年も三が日で100km超を目指す。まずは2日、佐賀城本丸ウルトラマラソンの復路75km。ウルトラを始めて4年目の昨年、諸事情で練習量は激減、参加大会数も激減し、最低のシーズンとなってしまった。恒例の正月三が日100km超で弾みを付けたいところだ。
今回の佐賀城本丸UMは、雪で七山村・観音峠が凍結し危険だと言うことで、佐賀〜小城〜厳木〜唐津〜名護屋に変更された。標高450mの観音峠がなくなり、しかも10km短い65kmとなった。しかし練習不足は隠せない。10kmも行かないうちに足は動かなくなり、20km過ぎでは膝が痛んで、足を引きずるようになった。65kmを10:46かけて何とか完走したものの、あまりの走力の落ち込みに愕然とした。膝はかなり痛み、翌日の新春ランは欠席することに決め、打ち上げでしっかり飲んで爆睡した。
詳しくは、、、 佐賀城本丸ウルトラマラソン・レポート
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■ 1月3日 北九州ウルトラRC新春ラン・企救半島一周35km
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何とか佐賀城本丸UMを走りきったものの、膝はかなり痛む。新春ランは休むと決めたはずだが、何かもやもやする。一晩寝たら走ろうという気になっていた。ただこの膝の状態ではみんなと一緒に全コース走りきるのは無理だろう、その場合は門司港まで走ってJRで戻ればいいか、ということで痛む足を引きずりながら北九州に戻り、10時ちょっと前、小倉駅北口に着いた。しかし集まったメンバーを見て、ビビった。参加者も多いが、サブスリーのメンバーも数人いる。かなり速いペースになりそうた。
新春ランは10時過ぎにスタートしたが、早くもその予感が的中。1kmも行かないうちに先頭グループの姿が見えなくなった。自分は予想通り最後尾のグループ、それでもやや遅れがち、特にモノレール駅などの階段が辛く、信号待ちで立ち止まると足が動かなくなった。最初の休憩は高坊のコンビニだったが、会長に休まないで行きますと言い、そのまま走り続けることにした。だいぶ体が温まってきたが、足は動かない。おそらく1km7分ペース。寺迫口で追い付かれたが、その先のコンビニも通過して先頭を黙々と走った。葛原から沼、門司区に入って吉志と緩いがアップダウンが続く。かなりのスローペースだが決して歩かず、新門司付近のトンネル上の急坂も走りきった。
休憩地点をほぼ中間点になる猿喰のコンビニに決めた。フェリーターミナル入口付近で後続の先頭グループ数人に抜かれた。17.2km・猿喰のコンビニには2:03で到着した。トイレを借り、パンとプリンを買って、今日もレジ袋ランナースタイルで走ることにした。スタートしようとしたら、後続が続々と到着したので、写真を撮ってからスタートした。休憩時間約15分。
膝が痛いのでウォークでスタートし、徐々にスピードを上げた。石塚トンネル・椿トンネルへの長い上りも、ゆっくりだが走った。トンネルを抜け門司港へ。桜トンネル手前のきつい上り坂も走り切り、門司港の町へ。昨年までは上野さんの店の前にエイドがあったが、今年からはそれもない。門司港駅手前で、他のメンバーが6分後に電車が出ると教えてくれた。しかしまだ13時をちょっと過ぎたばかり。ここまで来たら歩いてでも小倉まで行こうと決めた。
門司港駅前を13:15に通過、残り11km、しかしここから向かい風となった。しばらくパンを食べながら歩いた。門司駅前を14時に通過。この前後でだいぶ後続ランナーに抜かれたが、残り5.5kmとなって少しペースを上げた。小倉北区に入ってから1km6分30秒くらいで走れるようになった。そして14:36、小倉駅北口にゴール。所要時間4時間33分。何とか100km、走り切った。
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■ 1月6日 練習再開するも、、、口内炎
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正月三が日、100km走ったものの、無理して膝を傷めた。膝の関節ではなく、膝回りの痛み。走り始めた当初、張り切って負荷をかけすぎて腸脛靱帯炎になったが、今度もそのようである。半年以上、まともに練習せず、いきなり100km走ったのだから無理もない。二日休んで軽めのランニングを再開したが、4-5km走ると痛み出す。結局、8km走って切り上げた。
いぶすきまでは軽めの練習でと思っていたが、今度は口内炎ができた。ビリビリしみるような痛みがあり、喋ることも食べることもできない。いぶすき直前の1週間で、体重は2.5kgも落ちてしまった。
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第27回 いぶすき菜の花マラソン |
■ 1月13日 練習不足と膝痛で自己ワースト更新
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12日、仕事を終え、14時過ぎの特急に乗る。JRでの移動は久し振りだが、九州新幹線ができたおかげで、所要時間は4時間ちょっと、随分便利になった。九州新幹線に乗るのも初めてで、ワクワクしても良さそうなのに、気が重い。
膝がまだ痛む。駅の階段の上り下りでも痛みが走る。直前の口内炎も痛かったが、食べられなかったのも痛かった。結局、十分な練習も出来ず、正月100km以降、8kmを2回走っただけだった。自己ワーストは確実、交通規制解除の5時間以内には戻りたいが、膝の状態を考えると、完走も危うい。ただ、今回は指宿連泊なので時間を気にする必要はない。口内炎による減量も好材料?。膝痛を悪化させないよう、ペースを抑えて走ることにしよう。
13日、7時に起床。ちょっと風はあるが、天気は良くなりそうだ。さんざん迷って半袖・ショートタイツにする。ゆっくり朝食を摂って、7時半にホテルを出発。会場で会った知り合いから、顔色が悪いと言われた。とり正マスターとアップ、会場を2周してからスタート地点へ向かった。今日は控えめに4時間台の所に並ぶ。9時にスタートして、スタート地点通過に3分かかった。
スタート直後はいつものように大渋滞。膝を傷めないようにペースを抑えて走るにはちょうど良い。それでも5kmに0:34:39とかなり時間がかかった。しかし無理してペースは上げずに走った。池田湖への上り、北九州ウルトラRCのメンバーに追い付かれた。これくらいのペースだと楽だねと声をかけられ、それからしばらく併走した。一緒に走るメンバーがいるとペースが上がりやすいが、ここは抑えた。坂を上りきると池田湖。天気が良くて、満開の菜の花に開聞岳と、素晴らしい眺め。ゆっくり走ると決め、デジカメも持ってきたが、なぜか撮らなかった。エイドも楽しむつもりだったが、序盤は給水も取らなかった。池田湖を過ぎ、きつい上り坂を越えると正面に開聞岳が見えてくる。中盤の走りやすいところ。ここまで5km30分ペースだったが、膝の痛みはなかったので、じわっとペースを上げた。といっても5km28分台。ハーフは2:09:20で通過。サブフォーは諦めた。
後半、28kmくらいからアップダウンがきつくなり、ペースが落ちてきた。30km以降、5kmラップは33分前後。練習もしていないし、まあこんなものだろう。山川駅を過ぎて最後の上り、殆ど歩こうかというくらいのペースで上り切った。温泉街からゴールに向けてラストスパートをかけるところだが、今日は全く足が動かず、競技場直前で澤田さんにかわされた。ゴールタイムは4時間24分台、ネットで4:21:22。平地のフルマラソンではもちろん自己ワースト、初めて4時間を越えた。
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■ 1月23日 久々月間200km超
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指宿から戻ってきたその日に軽くリハビリラン。その後も8km程度の軽いジョグをしていた。一週間経って、ようやく10kmを越える距離を走った。膝の違和感は殆どなくなった。23日も11km走って、1年ぶりに月間200km到達。しかし萩往還250kmのためには最低でも月間300kmは走っておきたい。あと1週間、クリアーできるだろうか。
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■ 1月27日 あわや遭難?二ノ岳〜三ノ岳登山マラニック
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二ノ岳・三ノ岳は玉名市天水町と熊本市河内町の境にある山。天水町側からの写真で、左が三ノ岳(681m)、右が二ノ岳(熊ノ岳、685m)。この南には金峰山があり、これらの山を巡る 金峰三山山岳マラソン(西山クロスカントリー)が開催されている。
その麓、天水町小天には温泉が沸き、またかつて夏目漱石がこの地を訪れ、小説「草枕」を発表したらしい。その草枕ゆかりの地に 草枕温泉てんすいがあり、ダッチオーブン関連イベントの下見に出かけることにした(畑駅伝不参加の言い訳?)。地図を見ていて、二ノ岳・三ノ岳を見つけ、せっかくなので山登りもしようと、北九州ウルトラRCメンバーの西田さんに声をかけ、二人で出かけた。九州道・菊水ICを下りてから草枕温泉てんすいまで約20km、北九州から2時間弱で着いた。
二ノ岳・三ノ岳にはそれぞれ野出登山口と三ノ岳観音からと二つのルートがあり、一般的にはそこに車を止めて二ノ岳〜三ノ岳を往復するようだ。今回は事前に国土地理院2万5千分の1地図を使ってコースを設定したが、草枕温泉てんすいから野出登山口まで走り、二ノ岳・三ノ岳を縦走、三ノ岳林道に下りて上有所への林道を走って戻ってくる16-7kmのコースである( 下図クリックで拡大)。しかし、、、
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草枕温泉てんすいをスタート、正面に普賢岳 |
9時半にスタートする。草枕温泉てんすい入口の坂を下ると、正面に雲仙普賢岳が見える。景色は最高。しかし、アップダウンは厳しい。八久保の集落内、ミカン畑の中の曲がりくねった急坂をのろのろ上る。県道に入って少し坂は緩やかになる。スタートして約4km、坂を上りきったところに野出方面への道がある。地図ではこの先にもいくつか野出に上る道がありそうなので、真っ直ぐ進んだ。下り勾配、調子に乗ってどんどん下る。しかしその道がわからない。ミカン畑のなかで途切れてしまいそうな道ばかり。不安になりながらもどんどん下ってしまった。二ノ岳ではなく、金峰山がどんどん近付いてきた。自転車に乗った人に道を聞く。この先に左に行く道があると教わり、さらに下る。ようやく左・野出の標識を見つけた。
左折してミカン畑の中の道を上る。途中、芳野小への分岐点で、再度地元の方に道を教わった。そこからしばらく上って、ようやく二ノ岳への案内標識を見つけた。スタートして1:50、予定より1時間遅れて野出登山口に着いた。後で距離を測ると12km、本来のコースより5kmも迂回していた。あまりのんびりしていられない。お茶を買って、早速登山口へ向かう。
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延々迂回して、11km
ミカン畑の向こうに二ノ岳が見えてきた |
野出登山口に到着
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登山道に入ると河内クロスカントリーの札が立っていたが、走るには狭くて急で怖そうな道だ。登山口から25分ほどで山頂に着いた。素晴らしい眺めだった。パンを食べ、写真を撮っているところに西田さんも到着。二ノ岳から三ノ岳までは1.8km、途中緩やかな鞍部を走って25分で着いた。三ノ岳からの眺めも素晴らしく、また足下には、今から走るであろう上有所方面への林道やその先のループ橋も見えた。念のため、山頂にいた登山客に下山ルートのことを聞いてみた。すると、下に見えた林道は通行止めになっている、登山口まで下りて吉次峠方面に向かうと三叉路を左で天水町方面だがかなり遠回りと教えてくれた。下山し始めたところに西田さんがやって来て、再び山頂に戻って記念撮影。12:45、下山開始。
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金峰山と熊本市内方面(二ノ岳山頂にて) |
有明海と雲仙普賢岳(二ノ岳山頂にて) |
三ノ岳(二ノ岳山頂にて) |
二ノ岳と普賢岳(三ノ岳山頂にて) |
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三ノ岳の登山道を下り、二ノ岳とは逆方向、吉次峠方面へ向かう。軽く走る。700mくらいで左に下る道が見つかった。2万5千分の1地図にも載っている道で、迷わず左へ。かなり荒れた道だった。所々背丈以上に伸びたススキが生え、轍はあるが最近車が入った形跡はない。どうやら山頂で会った登山客が通行止めになっていると言ったのがこの道だったようだが、まだそのことに気付かず、地図に載っている道、ちゃんとつながっているに違いないと、そのまま進んだ。500mくらい進むとますます草は深くなってきた。枝や棘にウェアを引っかけ、轍も見えなくなった。倒木に足を引っかけ、そして大きな岩に完全に行く手を阻まれた。西田さんと道を捜すが、獣道すら見つからない。戻るべきか。その時、黄色いペンキの塗られた木が並んでいるを発見。赤いリボンも1本。ここで間違いない、そう信じて進むしかなかった。道無き道、何百メートルヤブ漕ぎしただろうか。ようやく目の前が開けた。林の中に道が続いていた。
しばらく走ると、ようやくミカン畑の中に出た。そして目の前にループ橋と普賢岳が見えた時には助かった、と思った。どんどん下り、集落に入った。集落内を右に左に曲り、小天東小前を経てループ橋に辿り着いた。赤仁田や下有所地区は熊本県農村景観コンクールでH2年の美しき村賞、H5年の景観大賞に選ばれたらしい。美しい段々畑だが、それだけ傾斜も厳しいと言うこと。そんな景観を眺めながら、ループ橋をゆっくり時計回りに上っていく。上りきってしばらく行くと、真下に草枕温泉てんすいが見えてきた。最後は下り坂を一気に走って、4時間56分でゴール。5km以上迂回したり、ヤブ漕ぎも強いられたりと、畑駅伝の日にでかけると、ろくなことがない。
施設内を見学してから温泉へ。露天風呂に浸かると真正面に雲仙普賢岳と有明海が見える、最高の気分だった。
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三ノ岳林道から上有所への道は荒れ果て、、、 |
草木と倒木・岩に行く手を阻まれ |
道無き道を強引にヤブ漕ぎで突破、ミカン畑の中の道を下る。
普賢岳とループ橋が見えた時にはホッとした |
ループ橋を走る |
草枕温泉てんすいを俯瞰 |
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■ 1月30日 250km超
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二ノ岳・三ノ岳登山はかなりハードだったようで、翌日から筋肉痛がかなりひどくなった。2日休んで練習再開。筋肉痛でスピードは出なかったが、ゆっくり走ったらあまり疲れることもなく17.5km走れた。これで今月は250km超、目標の300kmには届かなかったが、このペースを落とさずに走ろう。そうしないと、練習会で取り残されてしまう。
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今月の記録 |
走った日数 |
月間距離 |
平均 |
1月からの累計 |
13日 |
252.2km |
19.4km |
13日 |
252.2km |
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