平成20年5月 最短KO−第20回萩往還マラニック250km |
萩往還マラニック250km−ランナー編 |
■ 5月2日 萩往還マラニック250km−スタートしてみたものの
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平成20年の20回大会で、小野会長さんが勇退。自身20回目のウルトラマラソン完走もかかっている。しかしその割りに気合いが入らず、練習量も激減。端から完踏を諦め、行けるところまで行こうという、なんとも中途半端な気持ちで大会に臨んだ。
18:16、瑠璃光寺をスタート、周りのペースについ合わせてしまい、上郷駅までは1km6分くらいのペース。上郷駅をスタートしてからはペースを落とし、1km7分半くらい。しかし眠くなってきた。眠くなってダラダラ走るよりはましかと、秋吉のエイドを出てから宮城UMCのランナーと話をしながら走った。無理して着いていったのが間違いだった。西寺には23時半頃着いたが、脚に痛みを感じるようになっていた。30分ほど休んだが、脚の痛みが取れず、歩きが多くなった。豊田湖畔公園エイドにはAM2時に到着。時間がかかりすぎ、戦意喪失。エイドを出てしばらくK口さんと走ったが、直ぐに離された。4時過ぎに俵山温泉のエイド、そして砂利ヶ峠手前で夜が明けた。AM7時、大坊ダムエイドに着いた時、既に撤収作業が始まっていた。そこに収容車が現れ、迷わず乗り込んだ。走行距離75.8km、250kmのわずか3割だった。
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萩往還マラニック250km−スタッフ編 |
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リタイヤしたら大会の手伝いをしようと決めていた。どうせ止めて手伝うなら、早いほうが良い、大坊ダムで止めたのはそんな理由もあった。収容車に乗って海湧食堂へ。そこにはなぜか運転手のいなくなった大会の車が。その車を運転して宗頭へ荷物を運び、3日のAM11時、大会本部に戻った。時間があったので湯田温泉に行って風呂に入り、戻ったところで仕事開始。
まずはB140kmの説明会。クラブのメンバーに会ってしまった、「なぜここにいるの?」。そりゃそうだろう、本来なら千畳敷辺りを走っているはずのランナーが説明会の会場にいるのである。A250と違って、B140の説明会は萩往還が初めてなら、夜間走も初めてというランナーが多いようで、質問の嵐。昨日スタートして今朝リタイヤしたランナーがいますので気温などコンディションを話してもらいましょうと自分にマイクを向けられ、会場内は大爆笑となった。
説明会の後、B140のランナーを見送ってから夕食、その後仮眠の予定だったが。リタイヤ者の収容に向かい、戻ってきたらゴール地点の手伝い。そしてトップのランナーは3日、23:45頃に戻ってきた。ゴール写真を撮影、それから明け方までは1-2時間毎にゴールしてくるくらい。しかし夜明けとともに、D35・C70のスタート準備、ゴールしてくるランナーも増えてきて、次第に忙しくなる。午後、特に15時を過ぎると続々とゴールしてきて、ゴール地点はごった返してパニック状態。激務から解放されたのは19時過ぎ、走るより疲れた。
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■ 5月23日 3週間の休み
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早々にリタイヤした今回の萩往還。肉体的な疲れはなかったが、保健所の立入検査などで精神的にグッタリ。この間、祖父の葬式、関西クックオフなどゆっくり休むことも出来ず、口内炎までできた。3週間経ってようやく練習再開。しかしスピードが出ない。来月のサロマ湖に間に合うだろうか。
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今月の記録 |
走った日数 |
月間距離 |
平均 |
1月からの累計 |
4日 |
107.8km |
27.0km |
56日 |
1057.8km |
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