九州最後のブルトレ「はやぶさ・富士」廃止記念列車
Revival train Vol.1 2009年3月

H21.3/1 はやぶさForever(肥薩線・段駅)

2009年3月 九州ブルトレ廃止記念列車Index
 H21年3月、九州からブルートレインが姿を消す。
 最後の勇姿を収めようと、カメラマンの姿は日を追って増えていく。最後のチャンスを逃すまいと鉄ちゃんが必死なら、JRもそれに便乗して様々な企画を発表してきた。
 その一つが廃止記念の特別列車運行。熊本では肥薩線をはやぶさが走り、日豊線の別府〜鹿児島中央を富士が走り、門司港〜長崎をさくらとあかつきが走った。もっと早く高速の通行料が1000円になってくれたら助かったのだが。

H21.3/15 耳川橋梁を渡るリバイバル富士
(南日向〜美々津)


H21.3/1 はやぶさForever 日帰り肥薩線の旅:肥薩線上り
渡〜那良口
3月1日は自分にとってブルトレ廃止前の最後の休みとなった。そこではやぶさ・富士追っかけ800km撮影行を敢行、その一番の目的が肥薩線だった。ブルトレ廃止記念企画として1日・7日の2回、球磨川沿いの川線を「はやぶさ」が走るのである。記録によれば46年前、土砂崩れで鹿児島線が不通になり肥薩線に迂回して以来らしい。
原田ではやぶさを撮影後、高速で人吉に向かい、12時半頃人吉ICを出た。八代〜人吉間では2箇所、球磨川を渡る所がある。肥薩線・川線の撮影ポイントは知らなかったが、鉄橋を渡る列車の写真をどこかで見た記憶があり、橋があるところを地図で調べて来た。そしてやってきたのが渡〜那良口間、写真で見たとおりの鉄橋がかかっていた。数人のカメラマンが真正面で狙っていたので、河原に下りて真横から撮ることにした。

第二球磨川橋梁を渡る、九州横断特急1号
吉尾〜海路
第二球磨川橋梁で最初の撮影。牽引機はDE10、ヘッドマークも付いていたが、真横からの撮影でデザインは確認できなかった。
予想していた「はやぶさForever」のダイヤから、ひょっとしたら数カ所で撮影できるかもしれないと思い、直ぐに車で追っかけ開始。球磨川沿いを走る国道219号は同じような県外ナンバーの車がたくさん走っていた。対岸の肥薩線と平行して走る県道にはパトカーも走っていたが、国道の流れはスムーズだった。しばらく走ると、はやぶさを待つカメラマンの姿が見えてきた。車を止めてカメラを構えた。
水鳥が泳ぐ球磨川、菜の花も満開、穏やかな景色の中、ゆっくりとはやぶさがやってきた。

海路駅を通過
瀬戸石〜鎌瀬
瀬戸石ではやぶさはくまがわ3号と交換のため停車。その先、瀬戸石〜鎌瀬間で肥薩線と国道は交差し、肥薩線は球磨川の東側、国道は西側を走るようになる。
真横からの撮影ばかりだったので、鎌瀬橋を渡ったところで正面から狙うことにした。車を降りると直ぐにはやぶさがやってきたので慌ててカメラを構えた。先頭のDE10に取り付けられていたヘッドマークはピンク色。「さくら」と「はやぶさ」が併結運転されていたときのもののようだ。
新聞の写真を見ると、下りは普通の「はやぶさ」、上りだけが「さくら・はやぶさ」のヘッドマークになったようだ。人吉駅での記念撮影用に、他のブルトレのヘッドマークも用意されていたらしい。JR九州の粋な計らいに感謝。
こうなったらもう一箇所。球磨川を渡って八代の一つ手前、段駅ではやぶさを待った。
段駅
撮影機材 Body Canon EOS 40D
Lens EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
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H21.3/15 リバイバル富士 日豊線:別府〜鹿児島中央
回9562レ 西大分〜東別府
14日、富士とはやぶさはそれぞれの終着駅に着き、九州ブルトレは約50年に渡る歴史の幕を閉じた。
その翌日、たった一日、片道だけだが富士が復活した。かつて富士は最長距離を走る特急列車として、24時間以上かけて西鹿児島まで運転されていた。しかしS55年には宮崎発着、H9年以降は大分発着と運転区間は徐々に短くなっていった。今回、リバイバル富士として運転されるのは別府〜鹿児島中央(元・西鹿児島)、往年の富士を懐かしむ企画である。
今回のリバイバル富士のダイヤはある程度自分で予想していたが、直前に詳細なダイヤを入手できた。あまりはずれていないことが確認できたが、さらに当日朝、下郡から亀川までDE10が牽引する回送列車が走ることを知った。
AM5時起きでまず東別府へ向かった。

ズラリと並んだカメラマンの横をDE10が駆け抜ける

別府湾沿い、朝日を浴びて走る

この写真だけだと、下り・富士と言ってもわからない?
方向幕は西鹿児島行きだったような気がする
撮影場所は西大分〜東別府間で探すことにした。10号線を南下していたら十数人のカメラマンが目に止まり、そこで自分も撮ることにした。高崎山の入口である。正直言って回送列車にこれだけの人数が集まっていたことは驚きだった。カメラマンの集団から離れたところに三脚をセット。そこに地元の人が車を止めた。完全に写り込む。一部のカメラマンが邪魔だと抗議したが、地元の人には逆らえない。左の写真はトリミングしているが、元の写真の左下にその車が写っている。
日豊線の大分以南は、中学生時、中津から鹿児島の親戚の家に行く時に乗ったことがあるだけ。大淀川でC57の写真を撮ったが、それ以外の記憶は全く無い。美々津や田野、青井岳など、SLが活躍していた時代の有名地も写真で見たことはあっても現地に行ったことがないので、どこで撮ったらいいか、全く見当が付かない。

地図で下調べして、最終的に美々津で撮ることに決めた。東別府からの移動距離は150kmくらい。初めての場所だし、東別府にかなりの人数がいたことを考えて、早めに移動することにした。しかし7時間もある。道の駅で腹ごしらえ、宗太郎付近でにちりんの写真を撮ったりしながら、のんびり美々津へ向かった。沿道ではあまり鉄ちゃんを見かけなかった。

にちりん5号(宗太郎〜市棚)
南日向〜美々津
美々津着は12時過ぎ、リバイバル富士通過まで2時間以上ある。初めて訪れた美々津は、山の斜面が切り開かれ、かなりの人数集まっても大丈夫そうだ。しかし、先客はたった一人。斜面を登って撮影場所を確保した。上からの俯瞰は素晴らしい。広角で全体を入れると右写真中央に写っている西南の役激戦地の看板が邪魔だが、望遠で狙えば大丈夫そうだ。数本の列車でフレーミングを確認して、リバイバル富士を待つ。そしてこの先の撮影地に関して情報交換する。
カメラマンは意外に少なく、斜面上に我々3人、下に4-5人。しかし直前になってリバイバル富士を追っかけてきたと思われるカメラマンが続々とやって来て慌ただしくなった。
そしてリバイバル富士がやって来た。耳川にかかる橋をゆっくり渡り、トンネルへ入っていく。撮影を終えると余韻に浸る間もなく、後から来たカメラマンは直ぐに車で追跡開始。それを見て自分も慌ただしく荷物をまとめ、リバイバル富士を追った。
高鍋〜日向新富
この日のリバイバル富士は、かなり足が速かった。運転停車も少ない。平行する10号線は実質片道一車線。何とか高鍋で先行できた。日向新富手前、数人のカメラマンが目に止まり、10号線から田圃の中の道へと左折し、カメラマンがいたところに向かった。車から降りようとしたらリバイバル富士がやって来た。急いでカメラを取り出し、撮影モードも何も確認せず、ただシャッターを押した。
何とか間に合ったが、追っかけはかなり難しそうだ。直ぐに10号線に戻る。日向新富で4分の運転停車があったはずだが、佐土原の日向大橋でリバイバル富士に抜かれた。無理な追っかけは止めて日豊線から離れ、東九州自動車道で田野へ向かうことにした。
田野〜青井岳
田野ICで高速を下り、国道269号を青井岳方面に向かう。ポイントは全くわからない。門石信号所も考えたが、分かれ道を通り過ぎ、青井岳に着いてしまった。青井岳駅手前の鉄橋で撮ろうとUターンしたところでタイミング良くチューさんからTel。鉄橋を河原から。その指示通り、河原に下りてリバイバル富士を待った。川の流れで、列車が接近してくる音が聞こえない。通過予定1分前にコンパクトデジカメでの動画撮影をスタート、間もなくリバイバル富士がやって来た。
撮影機材 Body Canon EOS 40D
Lens EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM
EF100-300mm F4.5-5.6 USM
彗星:南宮崎〜宮崎(H15.12/13)
大淀川でのブルトレの写真を捜したら、1枚だけ出てきた。青島太平洋マラソンで宮崎に行った時に撮ったものである。
この頃の彗星はあかつきと併結運転されていたが、B寝台だけで、しかも閑散期には4両で運転されていた。そしてこの2年後に廃止された。
(Nikon COOLPIX3100)

夕闇迫る大淀川を渡る、彗星
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