2005玄海100kmウルトラマラソン鼻血リタイヤの巻 2005年9月18日---二週連続100km、その1 |
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玄海100kmUMの案内や写真・記録集は、みのむしの東西南北駆けある記
2005年玄海100km練習会の様子は、4月・葉桜ラン 7月・暑稽古 二週連続100km・・・その2秋田内陸リゾートカップ100kmでリベンジの巻 |
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三度目の玄海100kmは、最悪の体調で臨むことになった。風邪をこじらせ一週間前に発熱、一昨日から鼻血が出るようになった。この間、まともに練習していないし、走ったところで5kmもすればぜいぜい息切れがして、走れるような状態ではなかった。厳しいアップダウン、翌週の秋田のことも考え無理せず回避しようかと思った。そこに楽松師匠が九州に来られ玄海も走るという連絡があり、それなら一緒に走ろうと決めた。
しかし今の体調で完走は無理だろう、50km走ってエイドを手伝います、と主催の山下さんに告げた。 |
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■ 平成17年9月17日 広島−長崎リレーマラソン報告会 | |||||||||||||||||
仕事が終わって一旦帰宅。そこにボランティアの横ちゃんからクーラーを貸して欲しいとTel。破れていたウェストポーチを直し、エイドで使うクーラーを積んで病院に戻る。しばらくして楽松師匠と尾形さんが来られ、津屋崎へと向かった。途中、玄海のコースを通ったり等迂回していたらかなり時間を食い、民宿よし田到着はちょうど18時、コース説明会が終わったところだった。受付をしていたら、みんなから「走るの?」と聞かれる始末。「50kmまで走ろうかと思う」と答えておいたが、スタート前からリタイヤ宣言、完全に弱気だった。
広島−長崎リレーマラソン報告会は20時開始とし、19時過ぎから楽松師匠、越田さん、國府さん等と夕食を摂った。昨日も飲んだし、風邪もまだ完治していないので、アルコールは少し控えた。幸い鼻血は殆ど止まっているようだった。 報告会は、越田さんがPC+プロジェクターで多くの写真を提示しながら殆ど喋られ、行広さん・横ちゃん・楽松師匠は殆ど出番なし、後半のピースランの報告で自分が少し喋った。21時過ぎに報告会も終わり、それからしばらく飲んでいたが、明日も早いので、22時過ぎには2Fに上がって横になった。しかし海岸で遅くまで騒いでいるグループがいて、なかなか寝付けなかった。 |
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■ 平成17年9月18日 玄海100kmウルトラマラソン | |||||||||||||||||
3時スタート組 |
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AM2時過ぎに目が覚めてしまい、仕方なくカメラを持って3時スタート組の様子を見に行った。結構蒸し暑い。宮地嶽神社前にいたのは約30人と随分賑やかで、参加者の約3分の1を占め、完全に3時のアーリースタートが定着した感じ。体調を考えて自分も3時に変更すれば良かったのだが、一昨日楽松師匠と食事をしている時、美しく幻想的な脇田温泉の夜明けやヒガンバナは5時スタートじゃないと見ることができません!と力説したのだった。言った以上3時に変更することもできなくなったのである。そして西本さんの合図で3時組がスタートしていった。
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スタート:宮地嶽神社 AM5:00 |
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よし田に戻り着替えて朝食。4時過ぎ、大庭さんの車で宮地嶽神社へ向かった。鳥居の向こうに満月が見え、それをバックに記念撮影したりしながらスタートの時を待つ。写真を撮っていたら早くもデジカメのバッテリーが少なくなってきた。体調も悪いし、デジカメも動かなくなったら、走る気力はなくなるだろう。スタート前から憂うつだった。そんな気分のまま、AM5時に3度目の玄海100kmがスタートした。
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■最初の鼻血:宮地嶽神社→見坂峠→脇田温泉→間夫峠 |
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走り出すと何となく体も軽く、3-4番手くらいで走った。直ぐ前にいるのは一昨年一緒に間夫峠を上った熊本の釘島さんだった。蒸し暑かったので、日が昇る前に距離を稼いでおこうと、少し無理して走った。りょうじさんと一緒に峠を上り、59分で見坂峠に到着した。見坂峠からの下りで5:05スタートの光安さんがにこにこしながら抜いていった。調子が良さそうで羨ましい。着いていこうと思ったが早くもペースが落ちてきた。練習不足・病み上がりではこんなもんだろう。12km過ぎ、もうすぐ雲海が見えるかなというところで異変が起きた。鼻がむずむずするのでかんでみると、鼻血だった。ちょうど自販機があったので休憩し、鼻にティッシュを詰め、お茶で鼻を冷やした。ちょうどそこにshinakoさんと桂木さんが来た。まずいところを見られてしまった。ぼちぼちとスタートしてみたが、体調も悪くて走ってもきついし、完全に戦意喪失した。そんな時に元気のいいランナーに併走されるのは煩わしくもあり、一人になりたかった。
脇田温泉手前でティッシュをはずしてみる。どうにか鼻血は止まったようだ。脇田温泉のエイドで巨峰をつまんだりしながらゆっくり休む。休んでいたらshinakoさんに追い付かれ、ここからまた併走された。俳句の道を抜けたところでヒガンバナの写真を撮る。花は去年の方が多かったようだ。その先の私設エイドで八尋君にも追い付かれた。元気なもの同士で行ってくれと言ったが、ダメだった。 間夫峠への上りは無理せずラン&ウォーク、というより一人になりたくてわざとわざとペースを落としたりした。結局峠到着は3:15と、既に昨年より30分遅れた。 |
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■二度目の鼻血:間夫峠→力丸ダム→宮田 |
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間夫峠からの長い下り、いつもなら気持ちよく走るところ、何度も立ち止まった。滝川君、佐藤さん等何人にも抜かれた。長い下り坂が終わり、縁山畑を左折したところに行広・山元組の移動エイドがあり、これ幸いとリタイヤ宣言した。shinakoさんは一人スタートしていった。これでようやくのんびり一人で走れる。鼻血が出ただけで、まだ足は動いていた。ゆっくり休んでいたら楽松師匠が来られ、50kmくらいまでは行きましょうと言って、再び走り出した。
ここから力丸ダムまではほぼ平坦だが、意外に長く感じる所である。無理せずのんびり走っていたが、辻本さんに追い付いた。まだまだ結構走れるなと思ったその時、再び鼻血が出てきた。ティッシュを詰めて走り出したが、暑いこともあって今度はなかなか止まらない。仕方なく歩いた。 35km、若宮と宮田への分岐点に横田・大庭組の移動エイドがあった。早くもリタイヤした國府さんは缶ビールを飲んでいた。鼻血も止まっていなかったし、ここで止めようかとも思ったが、まだフルの距離にも届いていない。鼻にティッシュを詰め、再びスタートした。 千石峡キャンプ場から少し下ったところに富田・平山組の移動エイドがあった。しばらくして楽松師匠が到着、この時点で最後尾グループだった。富田君に「まだ走っているのですか」と言われた。体調は最悪だが、鼻血さえ止まればという気がある。山下さんとの約束もある。50kmの関門を聞いたら8時間(13時)とのことで、まだ十分時間はある。当初目標の50kmに向けてスタートしたが、ついにデジカメのバッテリーも切れ、写真を撮る楽しみも無くなった。 6:10でようやくフルのポイント脇野橋のコンビニに到着した。缶ビールとアイスクリームを買い、ビールを飲んで直ぐにスタートした。 |
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■歩いても遠いトヨタ九州 |
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いつものように強い日差しに照りつけられ、さすがにきつくなり、宮田の町中ではだいぶ歩いた。45kmは原田・松原組の移動エイド、自分の2電源保冷庫があった。なぜか車の外に置いてある。蓋を開けてギョッとした。クーラーの中に氷水が入れてある。ファンが濡れたら壊れてしまう。保冷庫の使い方を説明しているところに楽松師匠が到着した。「どうもピースランペースになってしまい、夜中までかかればゴールできそうだが、時間内は無理」と言ってみんなを笑わせる。そしてここで止めると言い出したが、「まだ時間があるので、50kmまで一緒に歩きましょう」と言って、スタートした。
そして徹底して歩いた。歩いたおかげで、ピースランinKOREAなどいろいろな話を聞くことができた。途中でとり正応援団の声援を受けたが、50kmで止めると決めていた。天気が良くて暑かったが、見ると夕立の来そうな怪しげな雲行きになっていた。トヨタの直前、倉久で雨が降り出したが、土砂降りにはならなかった。トヨタへの上り、山下さんの出迎えを受け、12:50過ぎに到着、ギリギリで関門はクリアーした。 エイドにはちゃんと3人分の軽食が用意されていた。山下さんの奥さんに、最後尾で到着して何もお手伝いできませんでしたと謝る。予定通りここで止めようかと思ったが、時間内に到着していたので、さらに先を目指すことにして、一人スタートした。 |
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■ついに時間切れ:赤木峠→地蔵峠 |
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トヨタ九州から先、サポートはなく、自販機とコンビニを頼りに一人で走るしかない。赤木峠までは歩かず休まず走って上り切り、下りの途中にあった自販機前で休憩した。山下さんが車で回ってきて看板を取り外していったが、冨地原の交差点に1枚残っており、それをはずして山下さんのもとへ運んだりした。赤間上町のコンビニでデザートとお茶を買う。既に14時を回り、65km、15時の関門には間に合いそうもない。風に当たりながら、しばらく田久桜公園のベンチで横になった。
クリエイトのコンビニで前方にランナーを見つけた。コンビニで缶ビールを買い、飲みながらしばらく話をした。初めてのウルトラで先輩に誘われたらしいが、ゼッケンを外してでもとにかく100km走るという。この根性を見習いたい。ライトのことなど少しアドバイスして、先にスタートした。 地蔵峠下の65kmエイドには関門を17分過ぎて到着した。ゼッケンをはずす。これで3回目の玄海が終わった。 既にエイドは撤収されており、残っていた水をもらって頭からかぶった。ところが収容車がない。仕方なく、誰かボランティアに連絡を取って迎えに来てもらおうと、再びスタートした。きつい地蔵峠はラン&ウォークで上り切った。さすがに峠からの下りでもスピードが出なくなってきた。高倉神社へ左折というところでタイミング良く山元君から70km吉木小学校の所にいますとTelがかかってきた。そして16:19、収容車に乗り込んだ。 成田山経由で津屋崎へ戻る。途中で何人ものランナーを見かけた。諦めが早過ぎたかなとちょっと後悔したが、今の体調ならここまで走れただけでも良しとしよう。 |
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■ 平成17年9月18日 懇親会 | |||||||||||||||||
17時過ぎ、民宿よし田に戻り、國府さん等と夕陽館の潮湯へ入りにいく。股ずれは大したことなかったが、それでも海水は染みる。鼻血はまだ止まっておらず、両方の鼻から出るようになった。長湯したらひどくなりそうで、早々に上がる。服を着ようとしたら、着替えのズボンを忘れたことに気が付き、仕方なくタオルを巻いて出た。出たところで長瀬さんとバッタリ、情けない格好を見られたものだ。民宿に戻って一眠りした。
19時をだいぶ過ぎてから懇親会が始まった。光安さんの横に座ってビールを飲む。その光安さんは2年前に続いて今回もまた優勝した。13時間30分の時間内完走者は20%ちょっと、やはり厳しいコースである。 懇親会はいつものように抽選会や見野さん・野口さんの南京玉すだれなどで盛り上がった。しかし気分は落ち込んだままだった。 |
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■ 秋田へ | |||||||||||||||||
秋田内陸100kmまで1週間。ゆっくり休もうかと思ったが、100km初のリタイヤで焦りを感じだした。体調不良、練習不足、諦めも早くなり、どこまで走れるだろうか。35年ぶりに会う同級生の前でリタイヤなんて格好悪くてできないし。と言って今さら走り込んだところで何の意味もない。結局2日走り、不調を引きずったまま、秋田へと向かった。
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