第9回村岡ダブルフルウルトラランニング 2006年9月3日 |
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■ 初の村岡遠征 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
100kmのウルトラでどこの大会がきついかという話題になると、必ず村岡ダブルフルの名前が出てくる。アップダウンの厳しいかなり大会だと噂に聞いていたが、村岡に参加した知り合いから大会の素晴らしさを聞き、一度は行ってみたいと思っていた。しかし開催日は玄海100kmの翌週、しかも昨年・一昨年と9月の最後はバースデー割引で秋田へひとっ飛び、秋田内陸に出ていたため、村岡ダブルフルに出る機会はなかった。その秋田内陸が2年間休止、しかも国体の関係で村岡が9月第1週に開催されると知った。玄海100kmまで2週間空く。何とかなりそうだ。
ネックとなったのは現地までのアクセスだった。関西圏の大会なので、仕事は休みたくない。しかし不便なのである。姫路で播但線に乗り換え、山陰線八鹿まで5時間はかかる。幸い、弟の兄さんが現地での送り迎えを引き受けてくれ、仕事を1時間早く切り上げなければ何とかなることがわかり、往きは解決。問題は帰り、姫路で一泊して朝一番の新幹線だとギリギリ。姫路から大阪に向かい夜行列車、新幹線を乗り継げば仕事に間に合う。高く付くのは仕方ない、アクセスが解決して初めて村岡へ遠征することにした。 今回の村岡遠征には、北九州ウルトラRCからもう一人参加した。うちの栄養士である。年齢・走力いずれも敵う相手ではなく、前回のにちなんおろちでは、2時間半の差を付けられた。挑発し合っているわけではないが、栄養士が村岡の88kmにエントリー、調子に乗って国東半島100kmを申し込むことになり、玄海100kmと合わせ、久しぶり月間100km×3回を走ることになった。 |
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日本屈指の山岳ウルトラ村岡ダブルフルウルトラランニング
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■ 平成18年9月2日 村岡へ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
いつもより1時間、早めに仕事を切り上げ、駅までダッシュ、12:18の電車に乗った。小倉駅から新幹線のぞみ、岡山で乗り換え姫路へ。姫路から播但線に山陰線とローカル線を乗り継ぐ。5回乗り換えて、所要時間は約5時間、17:11に八鹿駅に着いた。デジカメのバッテリーを買おうと駅前をぶらついたが、店がない。駅には弟の兄さんが迎えに来てくれた。後続の特急に乗ってきた縞猫さんとともに村岡へと向かう。途中のコンビニで電池と缶酎ハイなどを購入した。
国道9号・道の駅ハチ北先をハチ北温泉へと入る。コースの一部と言うことだが、確かに坂が多く、民宿街に入るとその勾配は一段ときつくなった。18時過ぎ、ちーむもも組の定宿、坂本屋に到着した。到着後しばらくして前夜祭に出ていたメンバーが戻ってきた。同室は久しぶりに会うドンガメオーさん等。夕食後、弟の兄さんと従弟の慎ちゃん、タイガさん等と10時頃まで飲み、それから寝た。何とかなるだろうとコース図・高低図、いずれも目は通さなかった。 |
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■ 平成18年9月3日 村岡ダブルフルウルトラランニング前半 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
坂本屋出発〜スタート前 |
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AM2時に起きて、2時半に朝食、そして出発準備に取りかかる。猿に虎にとなかなか華やかだが、虎のコスチュームに合わせ靴まで黄色く塗ったタイガさんのこだわりには恐れ入った。車で海上へ向かい、4時前に駐車場着。もうすぐ夜が明けようかというのに、もの凄い数の星だった。スタート地点の兎和野高原野外教育センターに着いて、UMMLerや青馬会RCのメンバー等と記念撮影。4時半、村岡には欠かせないヒゲダンサーズの公演が始まり、賑やかになってきた。会場は篝火に照らされていたが、空は白々と明け始め山の稜線が見えてきた。そして花火とともに、5時にスタートした。
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スタート・兎和野高原野外教育センター〜村岡折返し |
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スタートしてしばらくは下り、その後は緩い上りとなる。涼しくて走りやすく、ドンガメオーさん等について走った。5km通過はほぼ30分だった。ハチ北のスキー場を過ぎると、今度はハチ北温泉街の急な下り。萩往還練習会で知り合った赤野さんに追い付かれた。よせばいいのに赤野さんと話しながら下っていく。下りだったので調子に乗って飛ばし過ぎたのが後で応えてくる。10kmは57分で通過。11km付近で88kmのランナーと別れ、大野折返しへと向かう。この辺りは大野川沿いの田圃を挟んで折り返す比較的平坦な所で、快適に走れた。折り返し点の第3エイドにはプリンやヤクルトが置いてあった。胃をやられた時には良さそうだ。折り返しへ向かうタマゴンさんや弟の兄さんに手を振り、その先で再び88kmと合流し、福岡の集落へ。88kmに出ているヒゲダンサーズのリーダー氏が直ぐ近くにいて、歌って走ってと賑やかだった。15km付近から再びきつい上り勾配が始まった。タラさんに付いて無理して上っていったが、17.4km、坂を上りきったところの第5エイド・黒田の石碑に着いた時には少し吐き気がした。ここからしばらくは下りとなるが、その勾配もきつく、休み休み下っていく。20km通過は1h55mと、かろうじて10km60分は切っていた。その先、市原農道三叉路に着くと、既に村岡の町を折り返してきたランナーがいた。7kmも差が付いている。
ここから村岡の折返しにかけてはゆるい下りだが、スタート直後に飛ばしたのが応えてきてペースダウン、しかも胃の調子も悪くなってきた。折り返してきたダブルさん・大友さん・濱ちゃん・タラさん・ドンガメオーさん等とすれ違ったが、みんな快調に走っていた。25kmは2h26mで通過、早くも5km30分を超えた。折り返して老人福祉センター前エイドで缶ビールを持ったはっぴさんに追い付かれた。胃の調子が良ければ、ビールで気分転換するところだが、それも無理だった。 |
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村岡〜猿尾滝・流しソーメンのエイド〜作山の折返し |
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村岡の町中で再び歌うヒゲダンサーズリーダーとすれ違う。88km、歌い続けて走り切る、きついのにその体力とサービス精神に感心させられる。村岡を折り返してからは緩い上り、どんどんスピードが落ちる。30kmは3h01mで通過。だんだん吐き気がひどくなってきた。市原農道三叉路エイドを出て9号線を渡ったところに直ぐトイレがあったので駆け込む。強烈な吐き気で胃に激痛が走ったが、何も出てこなかった。しばらくじっと休んでいた。トイレを出てノロノロと歩き出す。市原の分岐に青馬会RCのタコちゃんがいたが、きつくて喋る気力もなかった。ここから約8km、猿尾滝から作山公民館への折返しでは、100kmだけの流しそうめんエイドがある。のんびり歩いていたら折り返してきた大友さんの姿が見えた。スパルタスロンに向けて、順調に仕上がっているようだ。ようやくのことで33km・猿尾滝。おしぼりをもらい、椅子に座り込んで流しそうめんを食べようとしたが、吐き気がして殆ど食べられなかった。楽しみにしていたのに。猿尾滝を出ると。どんどん勾配がきつくなっていく。すれ違ったタマゴンさん・はっぴさんにあと何百mで折返しと元気づけられる。ようやく35kmを通過したが、この5kmに50分近くもかかっていた。それでも何とか折返して、作山公民館エイドで一休み。そこに弟の兄さんが上ってきた。猿尾滝へと下るが、ペースが上がらないせいか、睡魔も襲ってきて蛇行するようになった。帰りの猿尾滝エイドでも流しそうめんは諦めた。下ってくると、目の前に雄大な風景が広がっていた。
市原の分岐に戻ると、タコちゃんはまだいた。写真を撮ったが、きつくてボロボロと言うのがやっとだった。一山越えたとは言えまだ40km、そしてこの先にコース最高点の蘇武岳が控えているのである。 |
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市原分岐点〜蘇武岳〜50km |
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41km過ぎ、耀山で子供達から熊避けの鈴をもらった。ここが第1CPとなっていたが、全然意識していなかった。その第1CPを過ぎると本格的な上りになる。しばらく上ると耀子の清水があり、冷たくて美味しい水を頭からかぶり、ペットボトルに満タンにした。その先の耀山公民館エイドでは甘くて美味しいスイカを頬張り、女郎滝では陰イオンを体中に浴びる。しかしこの辺りから勾配は一段ときつくなってきた。無理して走ったら足をつりそうになり自重した。横にいたランナーに、ここは5km1時間ペースで上ればいいとアドバイスされた。休み休み上り、所々で眼下に広がる雄大な景色に足を止めて写真を撮る。45kmまでの5kmは50分。
ところが次第に天気が悪くなり、耀山放牧場を出たところでついに雨が降りだした。そんな時、急に荒々しい鼻息が聞こえてきたビクッとした。イノシシでも出たかと肝を冷やしたが、牛だった。但馬牛だろうか。雨足も強まって、余計に体が冷えた。のろのろ歩いていたら寒くてたまらないので、少し早歩きにした。最高点に近付き、やや勾配も緩くなってきた頃、コース横の応援ボードが目に止まった。ランナー一人一人に応援メッセージが書いてある。49km付近で自分の応援ボードを発見、「初出場 福岡の青馬会 ファイトで」と書いてあった。そしてようやく49.4km蘇武道展望台のエイドに到着した。風があってのんびりしていたら体が冷え切ってしまう。鎮痛剤のスプレーを借り、写真も撮らずにスタートした。ようやく中間点の50km、スタートして6h25mが経過、この5kmにちょうど1時間を要した。このペースを維持して13時間、下りが多くなるので何とかなるかなと思ったが、そんな考えが甘いと後で思い知らされる。 |
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■ 村岡ダブルフルウルトラランニング後半 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
50km〜71km・射添公民館 |
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コース最高点・標高1040mを越え、下りに入る。時折冷たい風が吹くが、まずまず気分良く下る。しかし下りの一本調子ではなく、時にきつい上りが待ち受けていたり砂利道になったりとちょっと走りづらい。5km毎のLapも40分前後と、大して上がらなかった。最高点越えて少し安心したものの、このままのペースだとどこかで関門に引っ掛かるかもしれないと思うようになった。といっても、その関門時間は確認していなかったが、実は蘇武道展望台第2CPは関門時間40分前だったのである。60km付近で、突然、海が見えた。香住の方だろうか。山の中ばかりと思っていただけに、海が見えたのは意外だった。62.8km・蘇武道小城入口エイドに着き、足にたっぷり水をかけ鎮痛剤をスプレーした。大腿部〜膝にかけてがガチガチだった。スタートして8時間を超えた。ここまで来て初めて、コース図・高低図が掲げられているのに気が付いた。
エイドを出ると急な下り、そしてその先に和佐父峠が待ち受けていた。距離にして2km、標高差200mもないくらいだが、勾配のきついこと。ラン&ウォークがいつの間にかウォーク&レストになってしまう。珍しく日差しが強くて暑さを感じたところでもあった。この辺りから再びペースが落ち始め、65kmまでの5kmに47分。ようやく和佐父峠を越えるとエイドがあり、収容されていくランナーを見てしまった。自分もあのようになるのだろうか。和佐父峠からの下りもまたきつくて、ブレーキかけながら下りるのがやっとだった。そしてまたも睡魔に襲われた。蛇行したり立ち止まったり、下りというのにペースは却って落ちた。集落が見え始めた頃、コース横の民家から子どもがスイカを持って出てきた。私設エイドなのだろうが、本当にありがたい。おかげで目も覚めた。70kmは9h26mで通過、下りの5kmに52分もかかった。残り30kmを4時間半というのもちょっと厳しい。やっとの事で71km、射添公民館エイドに着いた。ここには応援メッセージをくれた小学生がいるはずだが、探す時間的余裕はなかった。ここが第3CPで、関門時間は25分後に迫っていたのである。しかしそんなこととはつゆ知らず、少し胃の方が回復して腹が減っていたのでそうめんを食べてからスタートした。 |
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71km〜但馬大仏〜80km・柤大池 |
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射添公民館をスタートしてまたきつい上りが始まる。そして但馬大仏・長楽寺へと入っていく。境内で黒豆茶をもらい、大仏殿に入ってぐるりと一周したところで今度はおはぎ。甘いものを食べて元気になったはずだが、あんこに黄粉と2個のおはぎは余計だった。せっかく治まりかけていた吐き気が、またし始めた。ちょっと辛い。うつむきつつ、よろよろと坂を上る。応援も少なくて辛い、と思っていた時に声をかけてくれたのが猪岡さんだった。飲み物を勧められたが、吐き気がするので遠慮した。柤大池まで来て、ようやくフラットになり、少し走れるようになった。坂をちょっと上って第20エイド・あけぼの山荘。ここにはカレーがあると聞いていたが、吐き気が治まらず、トマトなどを食べてスタートした。80kmは11h05mで通過、5kmにまたも49分、残り20kmを1時間55分と、いよいよ余裕が無くなってきた。
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80km〜ゴール |
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80kmを過ぎて快適な下りが続く。ここで稼ぐしかないとスピードを上げた。そして85kmまでの5kmを32分台頑張った。この調子で90kmまでと思ったが、コースは次第に緩い上りとなり、再びペースダウンした。
89.6km・小北保育所エイドの手前で、「関門まであと300m、関門閉鎖まで17分」のコール。ここで初めてギリギリの状態と気付く。殆ど最後尾か、ペンライトまで渡され急に焦りを感じ出す。そしてまたきつい上りが始まる。90kmは12h23mで通過、頑張って走らないと間に合わない。しかし一二峠への上り、どうしても歩きが多くなる。ようやく峠を越え、95kmを13h09mで通過、何とか間に合いそうだ。95km過ぎ、板仕野防火水槽折返しへと最後の上り、最後の最後まで痛めつけてくれる。明石のタコ嬢に追い付き、制限時間ギリギリまで公演するんですねと声をかけたら、今日は全く余裕がないと返事が返ってきた。その先で、久しぶりにタマゴンさんとすれ違う。最終第25エイドの板仕野防火水槽に明石のタコ嬢が踊りながらやって来て、地元の女の子が握手を求めてきた。その写真を撮ってあげ、ゴールに向けてスタートした。後は3.8km下るだけ。途中でこちらも最後までサービス精神旺盛なヒゲダンサーズリーダー氏を抜いた。そして13時間44分、ようやくゴールにたどり着いた。 |
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ゴール後
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初めて参加した村岡は、やはり厳しい大会だった。送られてきたコースの高低図をろくに見もせず、にちなんおろち100kmや玄海100kmなど走っているので何とかなるだろうと、少し甘く見ていたところがあった。そして実際に参加して、その考えが甘かったことを痛感させられた。日本屈指の山岳ウルトラと銘打っているだけのことはあった。上りは走れず、下りもブレーキをかけながらゆっくり下るのがやっと。勾配のきつさ・長さ、にちなんや玄海とは段違いの厳しさだった。
それにもかかわらずリピーターが多いというのは、地元を上げての応援、ランナーの要望を取り入れた運営にあるのだろう。きつかったが、機会があればまた参加したいと思っている。 大会後、ハチ北温泉・湯治の郷に浸かり、弟の兄さんに姫路駅まで送ってもらった。コンビニで缶ビールを買い、大阪へ。そこで再び缶ビールを買い、夜行列車に乗り込んだ。目が覚めて、徳山で新幹線に乗り替え、職場へと直行した。夜行列車で熟睡したものの、さすがにきつくて仕事にならず、また1週間、筋肉痛がひどくて殆ど走れないくらいダメージは大きかった。 |
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