平成18年9月 台風男たる所以・・・村岡・玄海・国東100km3戦のはずが |
■ 9月3日 厳しいアップダウンに大苦戦−村岡ダブルフルウルトラランニング
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村岡ダブルフル完走記 |
6月以降、月間走行距離はいずれも300km以下、大会を除けば200km程度しか走っていない。この程度の練習量で村岡に行くのは無謀だった。にちなんおろちや玄海100kmもかなりきつい方だと思っていたし、何とかなるだろうとエントリーした。しかし登りの総距離は2550m、日本屈指の山岳ウルトラと銘打った大会だけのことはある。そんな考えが甘かったと言うことを思い知らされた。
だいたい今回も練習不足というのに、飛ばしすぎた。特に序盤、ハチ北温泉街の急な下り。勢いに任せて下ってしまい、20km過ぎに足は動かなくなり、胃の調子も悪くなってきた。楽しみにしていた猿尾滝エイドの流しソーメンは殆ど食べられず、その後の厳しい上りはひたすら歩き、下りも勾配がきつくて走れない。80kmからの下りでいくらか取り戻せたが、89.6kmの第4チェックポイント手前数百mのところで、「関門閉鎖まで17分」というコール。さすがに焦った。スタートして13時間44分49秒、制限時間ギリギリのゴールだった。
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16日18時の台風13号 925hPa、目がくっきり |
9/10、フィリピン東海上に台風13号が発生した。西の方に進みながら徐々に勢力を増し、15日頃から北へと進路を変えてきた。秋の台風はここから徐々にスピードを上げる。気象庁の予報では、玄海100km当日の17日から18日にかけて北部九州に接近、そして17日夜、予報円の中心は福岡県となっていた。直撃は免れない。15日、正式に大会中止が決定された。
思えば4年前、初めて玄海100kmに参加した時も台風15号が来ていた。この時は南海上を抜けたので大きな影響はなく、大会も無事終了した。台風の季節とは言え、自分が玄海100kmに出るようになって4年間で2回も台風がやってきた。なぜこうも台風に好かれるのか。
最近、その理由がわかった。47年前、自分と同じ日に生まれたものがあった。それは史上最大の被害をもたらした 伊勢湾台風だった。
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■ 9月17日 台風で中止のはずでは−玄海100kmウルトラマラソン
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予報通りに台風は接近してきた。最接近は夜、昼頃まで天気は持つという予報だったので、5時に宮地嶽をスタートしたランナーもいた。確かに朝の内はまだ暴風域にも入っておらず、雨も小降りだったので、走れないこともない。そこで成田山まで様子見がてら走りに行くことにした。
11時半、波津の海岸に到着。さすがに時折激しく雨が降るようになってきた。八幡屋前に車を置いて、海岸沿いの自転車道へ向かった。玄海100kmでは70km過ぎ、最初に海に出てきたところの自転車道を逆走したわけである。台風の強烈な風を真正面から受ける。こんな天気の日に本当に走っているランナーがいるのだろうか、、、早速自転車道ですれ違った。確かにここまで来れば、追い風なのである。汐入川河口で折返し、元来た自転車道を戻る。
本番では歩いてしまう成田山の上りは、一気に走って上った。そして売店に入り、トコロテンを注文。ところが店のおばちゃんから、今月いっぱいで店をたたむと聞かされた。突然のことでビックリした。本番では余裕がないので、こうして練習会の時にトコロテンを食べに寄るのが楽しみだったし、もちろん他のランナー達にも人気があった。その店が無くなってしまう。最後になると思いお代わりしたら、おまけに梅が枝餅をくれた。寂しくなるが、無理して出てきて良かったのかもしれない。そのおばちゃんから、今日も何人かのランナーが通ったと教えてもらった。成田山からの長い下り坂、突然竹が倒れてきた。そして玄界灘に出ると、強烈な風。これ以上走るのは危険、八幡屋に行って、雨に打たれながら露天風呂で体を温めた。風呂から上がると、走るウルトラ飲兵衛氏から、「ハッスル山本さん、70kmを通過」とメールが入っていた。
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厳戒・玄海・1 波津〜成田山を走る |
12:00 だいぶ時化てきた(波津の自転車道にて) |
12:26 成田山から芦屋方面を望む |
今日で見納め食べ納め、成田山のトコロテン |
13:09 「元・幽霊屋敷」前の海岸 |
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実はこの日、大会中止にもかかわらず諦めきれないランナーが走っていた。ハッスル山本さんもその一人。八幡屋からの帰り、成田山へ回ると、ずぶ濡れの山本さんが走ってきた。ゴールまで走りきりますと言う山本さんに、木が倒れたりしてて危ないですから気を付けてと言って別れた。その帰り道、急に風が強くなった。延岡でJRの特急が脱線したなど、各地で被害が出ている様子。心配になって、直ぐにUターンした。この頃台風15号は、940hPaの強い勢力を保ったまま九州に近付きつつあった。
15時過ぎ、国民宿舎ひびきの手前で山本さんに追い付いた。しっかりとした足取りだった。風は強いが、追い風だったのがよかったようだ。そして一刻も早くゴールへと、休まず黙々と走っていた。国民宿舎を過ぎ、海沿いの道を抜けると鐘崎、そしてさつき松原へと入る。少し風が弱められたようだ。コーラを買って、釣川河口で山本さんを待った。カメラを構えても風で煽られる。到着した山本さんとしばし立ち話。ここまで風の最も強くて苦しめられたのが地蔵峠だったらしい。確かにあそこはいつも向かい風。それに対して後半は追い風だし、ここまで来ればあと10km。しかし大変なのはここからだった。
まずは勝浦浜。先回りして様子を見に行った。ちょうど防風林の影で、意外に風は弱かった。しかし海岸に流れ込む川の水量がいつもより多かった。もちろん飛び越えられるような川幅ではなくなっていた。試しに川にはいると、足首と膝の中間くらいの深さだった。それを見た山本さん、躊躇せず川の中に入り、そして波打ち際を塩浜へと向かっていった。反対側から逆走して迎えに行ったが、飛んでくる砂の痛いこと。本人のレポートに拠れば、「ブリザード吹き荒れ、鼻に口に砂が飛び込んでくる、、、数億年前の地球に迷いこんだようだ。」と。もしこれが向かい風だったら目も開けられず息もできず、大変だっただろう。
しかし本当に大変なのは、海岸を出てからだった。防風林もなく、強烈な横殴りの風が吹き荒れていた。強風に煽られ倒れそうになりながらも黙々とゴールへ向かう。津屋崎の街へ入り津屋崎海岸沿いの道に出た時、最後の最後で向かい風になった。民宿よし田に先回りして山本さんを待ったが、なかなか姿が見えず気が気じゃなかった。
そんな暴風雨にも負けず、17時22分、無事に山本さんはゴールされた。お疲れさま。
津屋崎からの帰り、停電で信号が真っ暗になったり、帰ってみればベランダの木の柵が壊れていたり、停電でADSLモデムが壊れたりと、それなりに被害が出ていた。
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厳戒・玄海・2 全コース走破 |
15:19 鐘崎へ |
16:24 勝浦浜を走る |
17:05 あと2km、強風に煽られる |
17:22 民宿・よし田前にゴール |
ハッスル山本さんの完走記 |
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■ 9月24日 練習不足で苦戦−国東半島100kmマラソン
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国東半島100km完走記 |
練習不足で迎えたこの9月。何とかギリギリで村岡を完走、そして玄海は台風で中止。本来ならちょうど良い休息になったはずだが、練習不足では何の意味もなかった。
お隣、大分県で開催される国東半島100kmマラソンには初参加、これがウルトラ20戦目となる。杵築市の住吉浜リゾートパークをスタートし、旧・国見町で折り返す往復コース、その折返し前後にアップダウンがあるものの他はほぼ平坦で、タイムは狙いやすいかもしれない。しかしフラットなコースは手を抜くところがない。案の定、序盤からペースは上がらない。33km過ぎ、最初の上りは休まず走りきったものの、39kmからの上りで早くも歩いた。折返しに5時間24分で着いたものの、後半はさらにペースダウン。折り返しから70kmまでの20kmに3時間を要した。このままでは13時間か。その後は何とか頑張って、12時間26分でゴール。
結局今年走った100kmは、全て12時間を超えた。真剣に走り込まなくてもいつでも完走できるのではないか、タイムは二の次、デジカメ持ってファンラン、こんないい加減な気持ちで好タイムの出るはずがない。その一方で初代走るウルトラ飲兵衛氏は、炎天下の超長距離のマラニックや休み無しに走り込んだ効果が出て、自己ベストを1時間半も縮める10時間台前半の好タイムで9位になった。負けられない、そう思った矢先に風邪をこじらせて1週間の休み、おまけに身辺にわかに慌ただしくなり、走る時間が取れなくなった。結局今月も300kmを下回った。
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今月の記録 |
走った日数 |
月間距離 |
平均 |
1月からの累計 |
9日 |
283.1km |
31.5km |
113日 |
2724.0km |
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