平成23年3月 今月は目標400km |
■ 3月6日 岡の里名水マラソン DNS
|
1年の中で最大のメインレースは萩往還。そのため例年、3月の走行距離が一番長い。2月に寝込んだ分、今月はしっかり走り込まねば。しかし1日は雨、2日から走り始めた。
5日は6年ぶり、岡の里名水マラソンにエントリーしたが。直前にキャンセルとなった。身内が入院中なので仕方ないが、好転する可能性は殆ど無く、翌週の萩往還練習会も微妙。今月の目標は400kmとしたが、時間のある時に少しでも走っておかないと、かなり厳しい。
|
|
|
萩往還練習会レポート |
3月11日、東日本を襲ったM9.0の巨大地震、そして大津波。未曾有の大災害となった震災の翌日、沿岸各地に津波警報・注意報が発令され、また入院中の身内の容態も悪いという状況で、行くべきかどうか迷ったが、予定通り長門市へと向かった。
この練習会は今年で7回目。少しずつメンバーが入れ替わり、自分が最多の6回参加。そしてついに最年長となった。自分以外、伸び盛りのメンバーで、一人取り残されそうで不安だった。
長門市駅前を17:15にスタート。天気は快晴、海も穏やかだった。予想通り、Y元くん・ランボーくんが飛ばし、それに何とか付いていくという感じ。今までより30分くらい速いペースだった。無理したせいか、三見駅で休憩中、鼻血が出始めた。三見駅から少しペースを落とす。天気は良かったが、日没後は急速に冷え込んできた。それに加えて睡魔。玉江駅で一眠り、その後も虎ヶ崎、萩往還公園、明木でも寝たが、寒くてあまり長くは眠れなかった。霜が降りるくらい明け方は冷え込んだが、それでも一升谷の休憩所で寝て、ようやく目が覚めた。
佐々並から板堂峠までの終盤、他の4人から完全に離され一人とぼとぼ走ったが、待っててくれたメンバーと合流し、最後は離されることなく、瑠璃光寺にゴール。90.5km、所要時間17時間12分とちょっと不安の残るタイムだった。
|
萩往還練習会 |
夕陽を浴びて走る(仙崎) |
スイセンが満開(笠山) |
霜で真っ白(落合) |
満開の梅をバックに(瑠璃光寺) |
|
|
|
身内が入院中で、遠出が出来ない。仕方なく、自宅マンションの周りをぐるぐる走って、何とか300km台には乗せた。目標の400kmまであともう一歩。この日、北九州ウルトラRCでは中津〜青洞門のマラニックが開催されたが、当然パス。しかし同じくらいの距離は走っておきたいと思い。畑貯水池へと向かった。
例年3月下旬ともなれば、桜の便りも聞かれるが、今年は3月に入って真冬並みに冷え込むことが多く、26日は雪も降った。この日の畑貯水池も、晴れてはいたが風が冷たく、まだまだ手袋が手放せない。畑貯水池のコースは、自宅から貯水池を周回して戻ってくるとハーフの距離だが、これだけだとあまりアップダウンはない。ウルトラを始めた頃、ある実業団のランナーに畑貯水池から畑トンネルに行くコースを勧められた。貯水池からトンネルまでは約5kmの上りが続き、河内貯水池から大蔵に下れば35kmくらいになるし、河内小学校から市瀬峠を越えるコースも走り応えがあり、また皿倉山や尺岳・福智山に行くルートもある。今回は田代から自転車道を河内貯水池まで下り、河内小学校から市瀬峠を越えるコースとした。3時間6分で走り、測ってみると28km弱。家の周りをちょっと走って30kmとした。月間400kmまでもう一歩。
|
|
■ 3月28日 大会参加無しで400km
|
本格的に走り始めて10年以上になるが、月間400kmを越えたのは4回しかない。それも萩往還マラニック250kmなどに参加した時で、練習だけで400kmを越えたことはない。今月は、唯一の大会だった月初めの岡の里名水マラソンをDNS、遠出したのは萩往還練習会だけで、あとは自宅の周りを走るくらい。それでも3/27の畑トンネル越えで400kmまで24.5kmとなった。こうなったら一気に400kmをクリアーしようと、走りに出た。前日のダメージでペースは上がらなかったが2時間半ちょっと走って25.6km、目標の400kmに到達した。最終的には23日で431.0km、萩往還250kmを完踏した2004年5月に次ぐ2番目の記録で、大会に参加せず練習だけで走った日数・距離は新記録となった。
|
|
今月の記録 |
走った日数 |
月間距離 |
平均 |
1月からの累計 |
23日 |
431.0km |
18.7km |
58日 |
962.9km |
|