2010玄海100kmウルトラマラソン・ファイナル
2010年9月19日---2003年から2010年までを振り返る
 5月に届いた玄海100kmの大会案内には、主催者・山下さんのメッセージ「10年の記憶」が添えられていた。いよいよファイナルである。苦しくも楽しく怪しいウルトラの世界に引きずり込んでくれたこの大会、多くの仲間と知り合い、二度も誕生日を祝ってもらったりと手作りの温かさがあったこの大会。海・山と変化に富んだコース、5つの峠越えに最後は砂浜まで走らされる厳しいコース設定だが景色は素晴らしい。ウルトラにのめり込むきっかけとなったまさに原点とも言える大会、無くなるのは実に寂しいが、この素晴らしい大会を忘れることはないだろう。大会を支えてきた多くのスタッフに感謝し、AM5時、宮地浜をスタートしたが、、、
INDEX 玄海100km 2003年〜2009年を振り返る
玄海100kmスタート前
玄海100km前半:宮地浜〜間夫峠〜トヨタ九州
玄海100km後半:トヨタ九州〜勝浦浜〜津屋崎ゴール
玄海100kmゴール後
打ち上げ@二升瓶

LINK 玄海100kmウルトラマラソン−みのむしの東西南北駆けある記

イラストレーター・タコさん作成の玄海100kmコース図

■ 平成22年9月18日 玄海100kmウルトラマラソン、2003年から2009年を振り返る

玄海千粁
 前日17時、津屋崎の民宿よし田へ行き、受付を済ませた。最後の参加賞とTシャツを受け取り帰宅。参加賞の湯呑みには、山下さんにより「玄海千粁」と書かれていた。10回の大会で合計1000kmということのようだ。ふと思いついて、今までのTシャツを全て並べてみた。そして1枚ずつ写真に撮った。いろんな事が思い出されたが、感傷に浸っている暇はない。撮影終了後、ゼッケンや参加賞をとり正まで走って届けた。大会前日でも平気で飲むようになったのも玄海100kmのおかげか。結局、とり正で飲み、タクシーで帰宅。支度をしてちょっと仮眠。
 大会当日、午前2時45分、金重兄弟の車で宮地浜へと出発。4時組のスタートを見送り、民宿よし田へ荷物を置きに行く。ウェストポーチにはデジカメ、薬と小銭を入れたが、携帯は置いていくことにした。何が何でも自分の脚で帰って来よう。宮地浜に戻りスタート前の集合写真撮影。そしてAM5時、最後の玄海100kmがスタートした。
玄海100km Tシャツ・デザインの変遷と過去の成績
2003年
初参加は2003年。この年は初めてウルトラを走り(サロマ湖100km)、二度目のウルトラとなった。大会前日は台風15号の影響で一時かなり激しく雨が降ったが、台風は九州南海上を通過して直撃はなかった。しかし風が強く、地蔵峠は強い向かい風、勝浦浜では飛んでくる砂が痛かった。まだウルトラの走り方も苦しさも怖さも楽しさもわからず、暑さに苦しめられ、胃もやられたが、何とか時間内完走できた。
様々な出会いがあった。米子から545kmを走って来て参加したゆきひろさん、変わった人がいるものだと思ったが、気が付いたら自分もその怪しい世界に片足突っ込んでいる。懇親会で一緒になった大庭さん・前村さんのおかげで北九州ウルトラRCに入会したが、クラブ員の一人、二宮さんは直ぐ隣のマンションに住んでいると知ってビックリした。途中で一緒に走った山崎さんもその後クラブ員になった。
大会が開催された日は44歳の誕生日だったが、大会後の懇親会では、バースデーケーキが用意されていた。手作りの大会の温かさと素晴らしい景色、ウルトラマラソンにのめり込むきっかけとなったのは間違いない。
Tシャツは、表・裏ともにウミガメのイラスト。

成績:12時間47分 31位/107人
2004年
前年の玄海100km完走からその勢いで100km超のウルトラに参戦、大村湾一周160km、萩往還250kmに初参加で完走。大会参加もこの年が一番多かった。
コンデジを持ってウルトラマラソンを走るようになったのもこの年からだが、満開のヒガンバナが実にきれいだった。その分、タイムが落ちた?。勝浦浜で夕陽を見たのは、この年だけだった。
Tシャツはその勝浦浜の写真。背面は無地。

成績:13時間10分 14位/87人
2005年
二度目の萩往還250kmでは復路の仙崎でリタイヤ。マラソンを始めて初のリタイヤだった。三度目の玄海100kmは、直前に引いた風邪がこじれ、体調不良で臨むことになった。そしてスタートして12km、鼻血が出始めた。ティッシュを詰めて走ったが、走りながらではなかなか止まらない、ペースも上がらない。結局、100kmの大会で初のリタイヤとなり、この年は二度のリタイヤを経験することとなった。
なおこの年から玄海100kmの練習会に参加するようになった。4月の福岡県西方沖地震被害状況確認を兼ねた練習会は完走したが、7月の猛暑の練習会は成田山で止めた。
Tシャツのイラストは玄海の荒波をデザインしたものだろうか。

成績:69.7km吉木小学校リタイヤ
2006年
リベンジするはずが、台風13号の直撃を受けて大会が中止。しかし諦めきれないランナーが走っていることを知り、波津へと出かけた。八幡屋前に車を置き、成田山から波津海岸の自転車道をちょっと走ったが、風が強くなってきていきなり竹が倒れてきたりした。帰ろうとしたらハッスル山本さんを発見、暴風雨の中、津屋崎ゴールまでサポートした。この9月は、村岡ダブルフル100km・国東半島100kmに参加しており、大会中止は幸いだったというべきか?
大会中止のためか、この年のTシャツを見ていない。
2007年
5月の月間ゼロなど過去最低の練習量で参加した。そのため最初から弱気でAM3時のアーリースタートとしたが、それで完走出来るほど甘くはない。
前年に続き今回もまたまた台風11号が接近。幸い直撃はされなかったが、東シナ海を北上して南からの湿った風で蒸し暑くなった。
中盤は猛暑、後半は土砂降り・雷。濡れて股擦れがひどくなり、時間切れで収容車に乗った。無理すれば、宴会ゴールくらいできそうだと思ったが、早く戻って夕陽館の風呂に入りたいという誘惑に負けた。
アーリースタートは時間に余裕がありそうだが、脇田温泉はまだ暗くて景色が楽しめずエイドも出ていない。真剣に走らないような気もして、この年だけで止めた。
Tシャツは表・裏ともに文字だけ、表は「亀」、裏は「玄海百粁」となった。

成績:85km鐘崎漁港リタイヤ
2008年
玄海100kmでは二度目のバースデーラン、AM5時の正規組で申し込み、49歳の誕生日ということで、49番のゼッケンをもらった。しかし本番では語呂合わせの通り、死ぬほどの苦しみを味わうことになった。まじめに練習していないので当然の結果だった。
前半は雨、脇田温泉過ぎで雷も鳴ったが遠かった(実は自宅マンションに落ちていた)。雨のおかげで快調だったが、後半はいつもの猛暑と睡魔と練習不足でペースダウン、鐘崎漁港の関門に間に合わず、鐘崎漁港で夕陽を見た。
それでも誕生日でケーキも用意しているとまで言われれば、意地でも完走しなければ。
鐘崎漁港で夕陽を眺め、真っ暗闇の勝浦浜を走り、何とか懇親会には間に合った。
ゴール後、用意されたケーキのロウソクを吹き消し、ウェルサンピアの風呂へ。ところが脱水で眩暈がして倒れそうになった。民宿よし田に戻ったがきつくて懇親会には出ず、しばらく横になっていたら、、、朝になっていた。
Tシャツは背中側の「玄海百粁」が胸側に回り、背中側は玄海の荒波の写真に。場所は成田山からの長い下り坂を走って玄界灘(響灘)に出た所か。

成績:15時間31分 時間外完走
2009年
前年は49歳の誕生日、2009年は49歳の最終日。そのせいでもないだろうが、気合いが入らない。3月から4月にかけて練習ゼロ。おまけに直前に熱と下痢で寝込んだ。こうなったら日付が変わってバースデーのゴールにしようかなどと冗談を飛ばしながらスタートする。
結果は予想通り。翌日早朝、信州旅行の予定もあり、早々にリタイヤして、懇親会にも出ないで帰った。
この年は、あるランナーをTNCのTVカメラが追っていた。クラブ員も何人かインタビューを受けていた。自分はたまたまそのランナーと同じようなところを走っていたので何度もTVに映った。完走していれば格好良かったのだが。
Tシャツの胸のロゴは前年とほぼ同じ。背中側は黒地に「玄海」の白文字が浮かび上がる。実は主催の山下さんから、以前撮った写真を使わせて欲しいと連絡があり、完成を楽しみにしていた。ところがTシャツを受け取って見た瞬間、真っ黒、これが自分の撮った写真?。
じっと見ていたら、真っ黒ではなく少し濃淡があり、いくつか白い点々もあった。しばらくして白く光るそれが、帽子などの反射材にストロボの光が反射したものとわかった。どうやらスタート前の写真をモノクロに加工したものらしい。それから数日掛けて玄海100kmで撮った写真を全部探して、ようやく元の写真が2004年・宮地嶽神社スタート時のものと分かった。

成績:70km門司邸エイドリタイヤ
2010年
第10回目の今回でいよいよファイナル。5月に大会案内が届き、早速Webでエントリー。ファイナルとあって申し込みが殺到し、受付開始からほぼ1週間で定員をオーバー、最終的に173人がエントリーした。今回はアーリースタートがAM4時に変更されたが、相変わらずアーリースタートの方が人気がある。しかし成績を見ると、AM5時正規組の方が上位を占めている。
玄海100kmはここまで完走(宴会ゴールも含め)とリタイヤと3回ずつ。完走して勝ち越しと思ってはいたが、タイムが一番良かったのは初参加の2003年。無難にAM4時スタートにすればいいのに、最後くらいはきっちり時間内完走で決めたい。無謀とは思ったが、AM5時の正規スタートでエントリーした。
果たして結果は?
Tシャツはヒガンバナの咲く玄海の野山を走るランナーのイラスト。これを描いたのは、上の地図を作成したイラストレーター・タコさんである。

■ 玄海100kmファイナル前半戦:宮地浜〜脇田温泉〜間夫峠〜力丸ダム〜トヨタ九州
前半の部
 見坂峠 9.1km 1:04:45
 脇田温泉・俳句の道 19.9km 2:13:06
 間夫峠 25.3km 3:05:33
 トヨタ九州エイド 48.3km 6:05:11

スターター・諸岡さん
 記録的猛暑となったこの夏。立秋以降も猛暑日が続き、9月になってもなかなか涼しくならなかった。この日もスタート時は20℃くらい、暑さとの戦いになりそうだ。もちろん目標は時間内ゴール、序盤はまじめに走った。見坂峠までの最初の上り、コース横の民家のでかい犬に吠えられることもなく、歩かずに走り切った。見坂峠は1:05くらいで通過、宴会ゴールとなった2008年より数分早い。猫塚エイドまで一気に下る。九州道下をくぐり、脇田温泉まではアップダウンの連続、ペースが落ちてきたが、黒丸までは走り抜こうと決める。西鞍の丘運動公園手前、宮若市黒丸の雲海ポイント。しかしこの日は曇り空、夜明け前から気温が高くて雲海が見えるはずない。猛暑のせいかヒガンバナも咲いておらず、ちょっとがっかり。
 2時間ちょっとで脇田温泉着。いつものように県道から下ってきたところに地元の方の巨峰エイド、その先の温泉街にオニギリエイド。甘い巨峰、小振りで食べやすいオニギリは、この先の間夫峠越えに向けてちょうどいいカロリー補給となる。しばらく立ち話しながら、巨峰やオニギリをつまむ。脇田温泉を出る頃、パラパラと雨が落ちてきたが、直ぐに上がった。食べて胃腸の動きも活発になり、トイレを済ませて間夫峠へと向かう。例年、俳句の道から林道の分岐にかけて、満開のヒガンバナが目を楽しませてくれるのだが、やはりこちらもあまり咲いてなかった。
 修厳寺橋を渡って、間夫峠まで4kmの上り、ここは無理せずラン&ウォーク。途中、熊本てれっとのY先生に声を掛けられ、しばらく一緒に歩いた。峠手前のエイドで一休み、3:05で間夫峠を越えた。
 縁山畑から県道を今度は4kmの長い下り。飛ばしすぎて脚を痛めないようにと思うが、なかなかブレーキが利かない。惰性で下っていたら眠くなってきて、右に左にフラフラ蛇行。長い下りが終わって左折、少し走った所で4時アーリースタートの西田さんに追い付いた。そして30km・若宮南小前のエイド。これから先、力丸ダムまでほぼ平坦、いつもの玄海ほどではないが暑くなってきてペースが落ちた。時々歩いて、36km・力丸ダム、一期一会RSのエイドには4:20ほどで到着。暑かったので、缶ビールをもらう。千石峡を下り、40km過ぎ、千石公民館前のエイドには5時間で到着。周りには数人のランナーがいたが、殆ど最後方グループとわかり焦る。そのため脇野橋のコンビニには寄らず、真っ直ぐ八木山川左岸を進む。しかし暑くなって、コンビニに寄らなかったことを後悔した。宮田の町へ、よろよろと進む。
 幸い、今回が最後とあって、ランナーも多いが、ボランティア・移動エイドも多かった。羅漢寺橋で信号待ちの間に水を一杯もらい、県道21号下の移動エイドでも一休み。もっともエイドが多い分、休憩時間も長くなった。上りは歩き、下りは少し走って、ようやくのことで48.3km・トヨタ九州エイド着。スタートして6:05、時刻は11:05だった。殆ど最後尾だが、関門にはまだかなり余裕があり、取り敢えず少し休もうと、ブルーシートの上で横になる。そしてしばらく寝た。
玄海100km・前半の部

宮地浜の受付

集合写真撮影中の見野さん

北九州ウルトラRC AM4時組

AM4時組のスタート

AM5時組の集合写真

AM5時組のスタート

猫塚エイド(10.6km)

宮若市黒丸

脇田温泉・巨峰エイド(18.7km)

脇田温泉・オニギリエイド

脇田温泉・俳句の道(19.9km)

ヒガンバナは少なめ(脇田温泉先)

間夫峠への道

間夫峠下エイド(25km)

7月の豪雨で崩れた間夫峠頂上

若宮南小エイド(30km)

キバナコスモス(30km過ぎ)

力丸ダム・一期一会RSエイド(36km)

八木山川沿いの移動エイド(40.8km)

トヨタ九州エイド(48.3km)
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■ 玄海100kmファイナル後半戦:トヨタ九州〜波津〜成田山〜勝浦浜〜津屋崎ゴール

蛍の館公園前エイドで水をかぶる
 少し寝て起き上がり、素麺3杯食べてまた寝て、杏仁豆腐など食べて、結局35分の休憩後、後半ステージへとスタートした。ゆっくり休んでリフレッシュしたはずが、スタートして直ぐに脚が動かなくなった。赤木峠の上りは歩いた。赤木峠にはランザローテのエイドがあり、鉄仲間・チューさんがもの凄い勢いで走って行ったと聞いた。トヨタ九州からその赤木峠まで、わずか4kmに50分も要していた。チューさん追いかけようにもこのペースでは、、、。しかも赤木峠からの下り、股擦れが辛くなってきた。最後尾ランナーのサポートを終えた移動エイドが度々止まってくれ、コンビニに寄る必要はなかったが、ワセリンを持っている人はいなかった。
 59km・田久桜公園着は8:34、トヨタ九州からの約10kmに2時間もかけてしまった。公園のベンチは木陰で風もあって気持ち良く、いつもここでしばらく横になるのだが、残念ながら3つとも先客に占拠され寝られなかった。幸い、丸野さんがワセリンを持っていたので少し分けてもらった。これで少し股擦れの痛みが和らいだ。
 JRの跨線橋を越え、宗像くりえいとで初めてコンビニに入った。暑かったので、ガリガリ君と冷凍アクエリアスを買ったが、後から来た丸野さんも同じ物を購入、暑い時に考えることは一緒。食べながら歩いていたら、直ぐ先に二升瓶の大将等のエイド。
 地蔵峠に向けて少しずつ上る。ここはまじめに走った。64.5km・蛍の館公園前のエイドには水浴び用のプールが置いてあった。頭から水をかぶり、脚にも水をかけた。簡易ベッドで寝ていたK間さんはここで止めるとのことだった。素麺を食べ、地蔵峠へ向かう。上り坂は一段ときつくなり、ゆっくり、しかし一気に上った。65.8km・地蔵峠は9:53で通過、そして一気に下る。
 乳垂川に沿って高倉神社へと左折する所で移動エイド、また一休み。70km・門司邸エイドには15時半に到着した。水を浴びてここでまた一眠り、、、休憩20分。この間、サポート隊長の走るウルトラ飲兵衛氏もやって来て、まだ走ると答えたが、結局、トヨタ九州に着いてから門司邸をスタートするまで5時間近くも要してしまった、、、20kmちょっとに。

後半の部
 田久桜公園 59.1km 8:34:05
 地蔵峠 65.8km 9:53:52
 門司邸エイド 70.2km 10:50:00
 勝浦浜 92.6km 14:48:04
 勝浦浜・塩浜口 95.3km 15:27:04
 津屋崎・民宿よし田 100.6km 16:07:16

玄界灘の夕暮れ、空も海も真っ赤に染まる(82.6km)
 70kmエイドをスタートしたのは16時ちょっと前、15km先、鐘崎漁港の関門17時にはまず間に合わないが、少しは反省してまじめに走った。汐入川河口まで走り、新松原海岸から波津海岸までの自転車道も走った。時間的にはそろそろエイドも撤収かなと思ったが、前方から誰かやってくる。あまりに遅いので心配になったのか、F地さんが逆走して迎えに来てくれた。75km、一期一会RSのエイドには16時55分着、あと5分で10km先の関門閉鎖。間に合うわけないので、諦めてI橋さんとビールを飲んだ。I橋さんは成田山を上らず海岸沿いのコースへショートカットするとのことだったが、ここまで来てショートカットするのもなぁ。正規ルートを進むことにした。ライトもちゃんと持って来たし。
 成田山の上りで散歩中の年配ご夫婦から声を掛けられ、立ち話。その先、成田山の太宰府走ろう会エイドは既に撤収中。お茶だけもらった。成田山からの長い下り、さすがに走り続けるのが辛くなってきた。
 18時過ぎ、長い下りが終わって玄界灘に出た。そこに江口車がやってきた。ゼッケンは外したが、ライトは持って来たので、海岸を走って帰りますと江口さんに言った。ここからは一切サポート無し、携帯も置いてきたので自分の脚で帰るしかない。
 夕焼けを撮りながら進む。鐘崎漁港にはかなり暗くなって18時40分着。漁港内を走っていたら、誰かが手を振っている。この日の最終ランナーになったタコさんたちだった。この時間、真っ暗な勝浦浜を走ろうというランナーはいない。タコさんたちと別れ、一人、さつき松原へ。ライトを点ける。真っ暗なさつき松原を抜け、無気味な自転車道を走り終え、新しくなった釣川の皐月橋を渡る。
 さあ残り10km。そして19時48分、勝浦浜に入った。月明かりしかない。潮は満ちつつあり、波打ち際も砂が締まってなくて走りづらく、殆ど歩いた。ライトを消して月明かりだけを頼りに歩いてみたり、カニを追いかけたり、約40分かけて勝浦浜を歩いた。20時27分、勝浦浜の塩浜側、かつての勝浦塩田への水路に到着。おそらく自分が砂浜を走る最後のランナーだっただろう、一礼して砂浜から出た。残り5km。
 ゆっくり走り始める。すれ違った車から声を掛けられたが、その車は止まることなく行ってしまった。別のランナーを捜していたのかな。21時過ぎ、津屋崎の旅館街に入る。誰にも連絡していなかったが、民宿よし田前には、多くの仲間が待っていてくれた。その写真を先に撮ってから、21:07、ゴールテープを切った。
玄海100km・後半の部

赤木峠の移動エイド(52.5km)

田久桜公園(59.1km)

地蔵峠下、蛍の館公園前エイド(64.5km)

乳垂川沿い、後方に城山

門司邸エイド(70.2km)

新松原海岸〜波津海岸

波津海岸から出た所で一期一会RSエイド(75.8km)

成田不動尊(岡垣町内浦)

玄界灘の夕焼け(82.6km)

鐘崎漁港の夕焼け(85km)

さつき松原(87km)

真っ暗闇の勝浦浜、波打ち際を走る

カニ(勝浦浜)

民宿よし田屋前のゴール
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■ 玄海100kmゴール後は、、、
 
21時07分、ゴール
 疲れた。よし田の玄関前に座り込んだら動けなくなった。サンピア福岡の風呂に間に合う時間だったが、立ち上がれない。座ったまま、水を掛けてもらったら、寒くなってきた。金重君が缶ビールを持ってきてくれたのに、飲みたくない。よし田の玄関前にどれくらいいただろう。取り敢えずシャワーを浴び、着替えて宴会場へ。
 既に懇親会は終わっていた。缶ビールを一口飲んだが、やはり美味しくなかった。23時によし田を出て、JR福間駅へ。帰宅後も体調は回復せず、食べる気力も飲む気力もなく、そのまま寝てしまった。翌朝、仕事のため7時半に起き上がる。体重4kg減、筋肉痛より脱水がひどかった。

 粘って何とかゴールしたが、宴会ゴールもできず、“宴会後”ゴールとなってしまった。これほどまで遅れようとは。
 果たしてこれで良かったのだろうか。2008年の誕生日、宴会ゴールしたが脱水でダウン。2009年はDNF、翌日予定があり、懇親会には出ず帰宅。そして今回。最後だから完走して勝ち越したい、時間外にはなったが完走して4勝3敗。これまで大会を支えてきた方々と飲みたかった。しかしその玄海100km最後の懇親会には間に合わなかった。結果的には大失敗レース。大会を満喫出来なかった寂しさを感じた。
玄海100km・宴会ゴール

 

最終ランナーとなったタコさんと明石のタコ嬢
■ H22年10月6日 打ち上げ@二升瓶
 スタッフ・ボランティアを中心とした打ち上げが行われ、40数人が参加。狭い二升瓶の店内は、立錐の余地もない。ランナーでしか参加したことなかったが、打ち上げに参加した。もちろんこの日は脇役、酒や料理を運んだりで座ってゆっくり飲む暇はなかった。
打ち上げ@二升瓶

締めの手一本
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